白衣の佳人 其之弐
壬生寺に行ってみると、たしかに数人の子供たちがすでに釣り糸を垂れている。
為三郎は誘っておきながら、沖田そっちのけで場所とりに走っていってしまった。
沖田は手ごろな切り株をみつけて腰をおろすと、頬杖をついて子供たちが魚を釣り上げる様子をボンヤリと眺めた。
そのうち、ひとりポツンと離れたところで糸を垂れている、三つか四つくらいの少女に目がとまった。
他の子供たちが次々と釣果を挙げるなか、少女には先ほどから全然アタリがない。
なんとなく放っておけなくなった沖田は、少女の傍らにしゃがんで声をかけた。
「すごいね。その竿、きみの?」
少女は怪しげな大人を見る目で沖田をにらむと、無言でうなずいた。
「…それ、エサついてる?」
「…」
「もう食べられちゃったんじゃないか」
「知らん」
少女は細い声で応えた。
沖田は警戒されているのを悟って、しばらく少女と一緒に無言で糸の先を見つめていたが、なにかきっかけになる話題がないかと考えを巡らせた。
「そういえば、今日さ、ひな祭りだね…」
「…」
少女はやはり真剣な顔で釣り糸を睨んでいる。
「ヒナアラレ、食べた?」
「…しらん」
素っ気なく応えて、少女はまた押し黙った。
「…知らん、知らんって…ヒジカタかっての」
沖田は顔を背けると、小声で毒づいた。
「…」
「お人形は飾った?」
「…」
どうにも打つ手なしだな、と沖田が肩をすくめたとき、
「うちなあ、おかあはんがおしごとしてるさかい、お人形だしてへんねん」
少女は前を見たまま、寂しそうにつぶやいた。
「お母さん、ひな祭り忘れてるのかなあ」
「…そんなん、しらん」
また沈黙が戻ってきた。
沖田はふと思い立って、切り株のところに戻ると、先ほど芹沢からもらった千代紙でひな人形を折りはじめた。
芹沢のようにはいかないものの、なんとか形にすると、少女の前にそっと差し出して顔色をうかがった。
この容色の冴えないお雛様で懐柔するのは、やはり無理があったかと諦めかけたとき、彼女はパッと表情を輝かせて振りかえった。
「おだいりさんは?」
「え?」
「これ、おひなさんやろ?おだいりさんは?」
「ああ。お内裏さんね。ちょっと待ってな」
沖田はひざを折って、少女の前に千代紙の束を扇形にひろげて見せた。
「どの色がいい?」
ふたりが額をつき合わせるように色紙を選んでいると、白い前掛けをした若い女性が表門の方から駆けよってきた。
「お雪!」
「おかあはん」
少女は声のした方をみてすこし微笑んだが、すぐに沖田の手元にある千代紙に視線をもどした。
沖田は手をとめて、その白衣の女性を見上げた。
彼女は、沖田の膝におかれた「お雪」の手をつかむと、まるで人さらいから奪い返すように強く引きよせた。
おどろいた沖田は両手をあげて「降参」のポーズをとってみせる。
「大丈夫。捕って食ったりしませんよ」
白衣の女性は警戒心も顕わに沖田の目を睨み据えると、娘の肩をぐっと抱いた。
「ええ。でも知らない人について行ってはいけないと教えていますから」
「そっか、そうだな。わたしは沖田総司といいます。ほら、そこの八木さんちに来た浪士組の者です」
「…ああ、あの」
彼女はかるくうなずいてみせたが、切れ長の美しい眼にわずかな翳りが差した。
沖田はめずらしく敏感に相手の不安を察して、申し訳なさそうに笑みを浮かべた。
「よけい怖がらせちゃったかなあ」
「いえ…。わたしはそこの診療所でお手伝いをさせていただいてる石井秩と申します。大切なお役目で京に来られたお侍さまに、この娘がなにか粗相をしていなければ良いんですけど」
そう言ったお秩の着物の裾にはさざめく水面の光が反射して、幻想的な模様を描いている。
それがこの女性のはかなげな雰囲気とあいまって、沖田は一瞬立ちくらみのように奇妙な感覚をおぼえた。
「やめてくださいよ。子供に粗相も何もないでしょう?」
さもバカバカしいという風に顔をそむけ、動揺を取り繕った。
「お武家様に対する礼儀に、大人も子供もありませんから」
「見てのとおり、お武家って柄じゃあない。ただの貧乏浪人です。ま、あたりまえか、浪士組っていうくらいなんだから。ね?」
沖田に頭をなでられたお雪は、訳も分からずニッコリ微笑んだ。
「うん、そうや」
「もう、この子ったら!目上のひとに、そういう気やすい口をきくものじゃありません。何度も言ったでしょ?」
「参ったなあ。浪士組には確かに気難しいのもいるけど、そんな怖い人ばっかりでもないですよ」
しきりに頭をかく沖田に、石井秩は固い表情のまま詫びた。
「気を悪くなさらないでください。沖田さまがそうだというのではないのです。でもこの娘はまだそうした分別もつきませんから、お侍さまがみな優しい人ばかりじゃないというのも覚えてもらわないと」
「お父さんは、いや、ご主人は何をされてる方なんですか。やっぱりお医者さん?」
「…1年前に病気で亡くしました」
秩は、少し悲しげに微笑んだ。
「それは…」
こういう場合に言うべき言葉がみつからず、沖田は言葉に詰まった。
「…すみません」
「もうずいぶん経ちますから」
シドロモドロになる沖田を見て、秩はようやく気を許したように微笑んだ。
「失礼します。ほら、沖田さまにお礼は?」
「おきたはん、おおきに」
お雪はペコリと頭を下げて、また笑ってみせた。
「あ、ちょ、ちょっと待った!」
ひな人形のことを思いだした沖田は、アタフタと紙を折った。
「はい、お内裏さん!」
やはりあまり上手とはいえない人形が、その小さな手のひらに鎮座している。
しかし、お雪は立派な京人形でも見るように目をまるくした。
「ほんまや!なあ、おかあはん。みて!おひなさんと、おだいりさん」
秩は娘の喜びに水を差さない程度に微笑んでみせ、それから沖田に一礼して踵を返した。
お雪は手を引かれながらも、名残惜しそうに沖田を見ている。
「また遊んでね?」
沖田は小さく手を振って声をかけた。
「そのまえに、お母さんを説得しといてよ!」
「さて、と。」
沖田が、そろそろ為三郎を探さねばと池のほうを振りかえると、目の前に鼻の下をのばした永倉新八の顔があった。
「な…!!」
「よう、誰だあの美人は?」
「…永倉さん、犬みたいに鼻が利きますね」
「バカ。俺だって日がな一日女のケツばっか追いかけてるわけじゃねえんだよ。近藤さんが呼んでる。佐々木とかいう偉いさんが来たから戻れとさ」
「まったく。余韻もクソもないな」
沖田はため息をついた。




