龍尾剣 其之壱
その頃、壬生寺では。
副長助勤永倉新八が、入隊志願者の阿部十郎を追い回していた。
「あっ!こらっ待て、てめえ!」
阿部は、最近すっかり板についてきた逃げの一手で、まるで逃げ水のようにスルスルと間合いの外に離れていく。
愛する中沢琴に、いいところを見せたい永倉は、まともな勝負に持ち込めないことに苛立って、滅茶苦茶に竹刀を振り回していた。
「うわっと!」
「じっとしてろ、この野郎!」
まるでドタバタ喜劇のように滑稽な試合運びに、中沢琴は、欠伸を噛み殺した。
「やれやれ」
ため息を漏らした琴の隣へ、すっと寄り添うように、猫背の男が立った。
「おまえ、見た顔やな」
考試の偵察にやってきた芹沢一派の副長助勤、佐伯又三郎である。
琴は、佐伯の顔をチラリと見て、内心面倒な奴に絡まれたと思ったが、黙殺した。
その態度が癇に障ったか、佐伯はこめかみにうっすら青筋を浮かべ、琴の襟を掴んだ。
「ふん、女みたいな声やないか…わしゃ覚えのええ方で、その声には聞き覚えがあるで。お前とは島原で会うたな」
「覚えてないな」
琴は短く応えた。
「浪士組に何の用じゃ?」
「見れば分かるだろう?浪士組に加盟する」
「ほ!笑わせるやないか」
佐伯は目を剥いて笑った。
この佐伯とは、今と同じ男装姿の時に、島原大門の前で一悶着起こした過去がある。
「…まあええわい」
不思議なことに佐伯は、それ以上追求しようとはしなかった。
二人がヒソヒソ話しているのに気づいた永倉は、試合中にも関わらず、佐伯に噛み付いた。
「なんだあ?てめえもお琴ちゃん目当てか?」
「お琴ちゃん?え?なんです?」
「あ、いや、こっちの話だよ。いま考試の最中だから、そんなとこでペチャクチャ喋られてちゃ気が散るってんだよ!」
「すんまへん。いやね、最近出番が少ないから、ちょっとお手伝いでもしよか思て」
佐伯は頭の後ろを掻きながら言い訳した。
「ちぇ、よく言うぜ」
「どないでっか?つぎ、たまには、わしが志願者のお相手しまひょか?」
琴は佐伯の顔を見返した。
この場でケリをつけようと言う魂胆だろうか?
「バカヤロー!おれぁ、次を楽しみに、こんな七面倒臭せーお役目を引き受けてんだよ!アッチ行けーっ!シッシッ!」
恋仇の威嚇に忙しい永倉の足下に、阿部が下段を打ち込んだ。
「うわっと!てめ!汚ねえぞ!」
さすがと言おうか、永倉は、すんでのところでそれを交わしたが、またカッとなって阿部を追い回す。
「しょーがないじゃん。スキがあったんだから!」
「…なんや、猿廻しでも観てる気分やな」
佐伯の感想があまりにもツボを押さえていたので、琴は吹き出しそうになった。
そこへ、ようやく原田左之助と沖田総司が到着した。
「中座しちゃってすみません!」
小走りで駆け付け、ペコリと頭を下げた沖田の足元には、
どうしたわけか、いまや八木家の飼い猫になったクロがじゃれついている。
「こら!ついて来るなって言ったのに」
「いやいや、おまたせ、おまたせ~!」
原田の方は呑気に歩いてくると、本堂の前に立って、頭上で腕を交差させながら振った。
「よーし、じゃあ、こっからは俺が仕切るからよ!」
「あいつら、緊張感のない現れ方しやがって」
佐伯が毒づいた。
沖田に追い払われたクロは、原田の背後、向拝の階段に飛び乗ると、気持ちよさそうに欠伸をした。
確かに、境内は鮮やかな新緑に彩られていて、ポカポカと心地いい陽気が眠気を誘う。
人相の悪い浪士たちが竹刀を振り回していなければ、何とも長閑な午後のはずである。
「あら総司、久しぶり」
中沢琴が、飼い猫に挨拶した。
「総司」というのは、琴が勝手に猫につけた名前だ。
「ニャア」
クロは琴を覚えているようで、か細い声で返事をした。
「あなた、ちょっと太ったんじゃないの?随分いいもの食べさせてもらってんのね」
「そういうお琴ちゃんも、ちょっと太った?」
永倉新八が、便乗して琴にちょっかいを出してきた。
琴は猫を抱き上げながら、怖い眼で永倉をジロリと睨む。
「…いやいや、女の子なんてのは、少しふっくらしてる方が、色っぺ…いえ、何でもないです。すみません」
「ていうか、試合終わったの?」
琴が尋ねたのと同時に、沖田が指をパチンと鳴らした。
「間に合わなかったか!」
永倉は、本堂の前で頭を押さえながら座り込んでいる阿部を顎で指し、大きく鼻で息をついた。
「なんだ総司?あいつなら、たったいま仕留めたぜ。まったく、手こずらせやがって…」
「で?」
「しかも、オマエのせいで、一番いいとこを見せらんなかっただろ!」
永倉は、クロの首の後ろをつまんで持ち上げ、怒鳴りつけた。
「そうじゃなくて、結果は!?」
「んなもん、あんだけ逃げ回ってりゃ不合格だよ!」
「にゃ!」
永倉が、腹立ちまぎれに放り投げたクロを、琴が受け止めた。
不正入試をやるつもりだった沖田は、ガックリと肩を落とした。
「あちゃあ、残念です…」
「まったく、油断も隙もありゃしねえ。どいつもこいつもお琴ちゃんに色目使いやがって…もうおめえの出番はねえぞ。すっこんでろ!」
阿部がゾンビのようにムクリと起き上がって、沖田に掴みかかった。
「待った、待った!残念デスじゃなくて、約束が違えだろ!どうしてくれんだよ?」
と、赤く腫れあがった額を、突き付ける。
「痛そう…いやまあ…気を落とさないでください」
「なんだと、てめえ、この野郎」
琴は、二人の揉め事を無視して、抱いていた子猫を沖田に押し付けた。
「じゃ、次は私ね」
「もう連れて帰る気なんてないでしょう?」
沖田が猫の頭を撫でながら、飼い主の怠慢を責めると、琴は自分の頬を指して、
「コレのせいで喋りにくい。こんなの、ほんとに必要?」
と話をはぐらかした。
「それはさ、念には念をってね…じゃなくて、誤魔化さないでくださいよ」
「いま、仮住まいだから」
「…仮住まいは、わたしたちも一緒なんですけど」
そうこうするうちに、会議を終えた近藤、土方ら幹部たちも、件の間者というのを、ひとめ拝んでやろうとゾロゾロ姿を見せ始めた。
志願者たちは、その顔触れにすっかり萎縮している。
土方歳三は、ズカズカと琴に歩み寄ると、あきれた様子で頬ををツネった。
「なんだ、そのおかしな顔は?」
琴は、その手を撥ねのけて、土方に挑みかかった。
「なんか言った?」
「まあまあ、これは変装ですよ」
今度は土方と琴のケンカが始まりそうになったので、沖田が代わって弁明すると、琴はその沖田に腹をたてはじめた。
「本気で言ってんの?あの佐伯又三郎にも、一目で見破られたのに?」
「だろうな。さっさと口の中のモノを出せ」
琴は土方を睨みつけると、真綿を沖田に向けてペッと吐き出した。
「わっ、きたね」
「あ?もう一回、言ってみなさいよ!」
沖田はおどけて飛び退いたが、その時、懐からユニコーンの根付を落としたことには気づかなかった。




