八百長試合 其之弐
「つぎ、糸魚川藩、越後三郎殿」
「はい!」
目の前の青年が名前を呼ばれて出ていくと、沖田が阿部の肩を叩いた。
「じゃあ、この次は私が相手役を代わってもらいますから、上手くやってくださいよ」
試験官の川島勝司もそろそろ疲れてきた頃合いで、タイミングとしては悪くなかったが、沖田より一歩早く、副長助勤の永倉新八が交代を申し出た。
「よっし、じゃあ最近身体もなまってる事だし、次は、俺が肩慣らしを兼ねて相手してやっか」
沖田は慌てて永倉を呼び止めた。
「あ、いや、永倉さん。次は私。私がやりますから」
「なんだよ、気持ち悪いな。いつも面倒くさがるくせによお。なんかあるのか?」
永倉は不審げに言って、辺りを見回し、琴の姿を見つけた。
沖田は嫌な予感がした。
「…はは~ん。総司ったら色気づいちゃって、いいとこ見せようってか?でも、譲ってあげないよん」
永倉の眼は、すでにハートマークになっていて、こうなったらテコでも動くはずがなかった。
沖田はスゴスゴ引き上げてきて、
「ダメだ。めっちゃ張り切ってます」
阿部は、ブンブン竹刀を振り出す永倉を指して抗議した。
「バカいえ!みろ、すごい音させてるじゃないか。ダメだダメだ、あんな強そうな奴は。もうちょっと、手頃なのにしてくれ」
「…よくそういう情けない台詞をエラそうに吐けますねえ…う~ん…そう言われてもなあ…」
困っていると、門の方から島田魁がやってきて沖田に手を振った。
「おーい沖田さん、近藤先生が呼んでますよ」
「えー?今忙しいんだけど!」
「でも、すぐ来いって」
「ちっ、しょうがないな」
立ち去ろうとする沖田の腕に、阿部がすがった。
「いやいや、そりゃねえだろ」
しかし沖田は、その手を振りほどいて、
「いいですか?これはあくまで技量を見るための考試であって、なにも勝つ必要はないんです。だいたい永倉さんなんて、私だってなかなか勝てないんだから。んじゃ、頑張って」
と、無責任に行ってしまった。
さて、その頃。
八木家の離れでは。
近藤勇から沖田の代役を言い渡された原田左之助が、稽古着をつけて支度をしていた。
「ったくよー。総司の野郎、俺様に代役を頼むなんざ百年早えつーんだよ…」
ブツブツ言いながら縁側に腰掛けて、草鞋の紐を結んでいると、
「原田」
頭上から声が降ってきた
「ん?」
顔をあげたが庭先には誰もいない。
気のせいかと考え直して再び草鞋に目を落とすと、
「はらだってば」
今度はさらにはっきりと聴こえた。
ようやく、その声が背後からしたことに気づいた原田は、
「あ?誰だ?俺様にタメ口利く奴あ?」
と凄みながら振り返った。
「あたしよ、原田。きたわよ」
原田は、その顔を見上げて、驚愕のあまり、庭に尻餅をつき、そのまま後ずさった。
「う、う、うわー!!か、要?」
「福田要殿でしょ!あたしゃ、あんた達みたいな道場のタダメシ喰いとワケが違うのよ!」
そこに立っていたのは、武田観柳斎だった。
近藤たちがまだ江戸にいた頃。
この武田も、原田らと同じく、市ヶ谷甲良屋敷の天然理心流試衛館道場に出入りしていた若者の一人で、当時は福田広とか福田要などと名乗っていた。
自称軍学者のこの男は、剣の腕もそれなりに立ったが、もとは医者の卵で、他の弟子や食客たちとは多少毛色が異なっていた。
道場へは、剣術の稽古というより、同世代の若者と時勢を語るために顔を出していたようなところがあり、
周囲に無骨者しかいなかった近藤勇も、彼の来訪を喜んでいた。
「な、な、なんで、お前がここにいるんだ??」
原田左之助は、見ての通り単純を絵に描いたような男だったので、弁の立つ武田とは相性が悪いというか、大の苦手だった。
「愚問ね。愛する勇さんを助けに来たのよ!でも、さっきからこの家の中を隅々まで捜してんのに、見当たらないんだけど」
「近藤さんは、この向かいの前川さん家に…」
「なんで、それを早く言わないのさ!」
「いま会ったのに、無茶言うなよ!」
「ほら!さっさと案内しなさい」
「ど、どこに!?」
原田が縁側に這いあがると、武田は鎧戸に立て掛けてあった竹箒を手にして怒鳴った。
「勇さんとこよ!」
「な、な、なんで?」
「なんで?いま、なんでって言った?あー、アッタマきた。どうして、いちいちそう察しが悪いのかしら…」
武田は、要領を得ない返事にイラついて、竹箒の柄で原田の頭を小突いた。
「てめ、いってーな、この野郎!」
しかし、武田は反撃の暇を与えなかった。
「あんたたちが!どーしよーもなく!バカだからに!決まってるでしょ!」
一句、一句、竹箒でビシビシ叩きながら、原田を追い立てる。
「痛い痛い!」
「一緒なんでしょ?どうせ、腰巾着の山南と土方も。あいつらに任してたら勇の命がいくつあっても足んないから、この、あたしが、浪士組の参謀になってやるつってんのよ!」
「は、はあ?」
「さっさと呼んでらっしゃい!福田要、改め、甲州流軍学者武田観栁斎先生が来たってね」
原田はすっかり戦意を削がれている。
「ご、ごめん、なに?武田、なに流斎?」
「いいから、行きな!」
原田左之助は、裸足のまま前川邸に駆けて行った。
※御用金:財政難を補うための臨時の上納金
※沖口出入役銀:港で海運物資に掛ける通行税




