壬生潜入作戦 其之参
さては、平山五郎辺りに相当脅されたな、と沖田は察したが、それについては触れなかった。
「実は人を捜しておりまして。お祐さんという、17、8の娘さんなんですが」
「はあ。けど、うちの奉公人にそのような名前の者は…」
「あ、いや、そうじゃなくて。お店の番頭さんの御息女に、そんな名前の娘さんはいないですかね?」
「さ、さあ?あの、少々お待ちいただけますか?」
手代はそう言って、奥へ引っ込んでいった。
どうやら、“留守にしている”はずの番頭に聞きに行ったらしい。
手代が戻ってくるのを待つあいだ、沖田は店の中を見渡していたが、丁稚やその他の奉公人もみな表情が硬い。
沖田は、その中の一人、若い下女に声を掛けた。
「ねえちょっと。ここに真綿は売ってないの?」
「はあ、手前どもは生糸問屋どっさかい、みんな糸になってますなあ」
娘は不思議そうに答えた。
「そりゃそうか。じゃさ、そこの座布団は売り物?」
沖田は帳場の片隅に積み上げられた座布団を指した。
隊士たちも、この奇妙なやり取りにキョトンとしている。
「これは、つい先に、お客様用に買うたもんどす」
「一枚、売ってくれないかな?」
「それは…うちに聞かれましても」
娘が困惑していると、手代が戻って来て言った。
「どうぞどうぞ。差し上げますさかい、持って帰っとくれやす」
「えっ?いいの?」
「ええ、もちろん。ところで、先ほどのお祐さん言ういとはんの件どすけど、そういう名前の子供は、居はらへんみたいどす」
沖田は肩を落とした。
「そっか、邪魔したね」
「いえいえ、近ごろは何かと物騒どっさかい、浪士組の皆さまには、今後とも、よしなにお付き合いくださいますよう」
手代は、これでもかと営業用のスマイルを浮かべて、沖田たちを玄関まで送り出した。
沖田は、大和屋の対応に、妙な違和感を覚えていた。
「なあんか、白々しいんだよな、身構えてるってかさ。そう思わなかった?」
禁裏に向かう道を歩きながら、林信太郎を振り返る。
「…言いにくいですが、浪士組には、色々良くない噂もありますからね。押し借りと間違えられたのでは?」
林が申し訳なさそうに応えた。
「なら、間違いじゃない。多分、何回か芹沢さんに脅されてる」
「だったら、尚更ですよ。しかも、かと思えば、いきなり座布団を売れとか珍妙なことを言い出すし、そりゃ、怪しまれますよ」
「なんか、そういうのじゃないんだよなあ…」
沖田は、手にした座布団を見つめながら、どこか上の空で呟いた。
「そんなもん、どうするんです?」
中村金吾が、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「え?ああ、これ?屯所まで持って」
沖田は、座布団を中村に押し付けた。
「や、じゃなくて、これの使い道…」
「それはね、ヒ・ミ・ツ」
沖田は、土方歳三が「ムカつく」と評した、例の笑みを浮かべた。
半刻のち。
沖田総司は、水茶屋「やまと屋」で、中沢琴たちと再び落ち合うと、
先ほどの座布団を割いて、真綿を取り出した。
「お琴さん、口、開けて」
「え?」
「いいから!ほら、あーん!」
沖田は、無理やり琴の口に親指を突っ込むと、その隙間から真綿をネジ込みはじめた。
「な、いや、う…うう!」
「ちょっ…こ、こう…こうか?あ、お琴さん、動かないでってば、こら!阿部さん、ほら!手伝って!」
「あ?あ、ああ」
嫌がる琴を、後ろから阿部慎蔵に羽交い絞めさせて、口の中を覗き込む姿は、傍目には、かなり破廉恥な行為に見えた。
琴の輪郭は、頬に含ませた真綿でずいぶん変わってしまった。
「…い、一体これは、なんの真似?」
琴が、腹に据えかねた様子で尋ねると、沖田は少し引いた位置から琴の顔を見て、首を捻った。
「これでもまだ、全然、本物より可愛いなあ」
楠は、女のように綺麗な顔立ちをした男だったが、さすがに本物の女性には及ばない。
「どこが違うんだろ?」
腕組みをする沖田に、阿部も悪ノリして意見を出した。
「本物は、もうちょい下膨れだったな」
「じゃ、あと少し足してみる?」
「よしきた。あと、眉毛も描き足そう」
「私は、まだ影武者を引き受けるとは…ちょっ…!」
またもや、無理やり口を開けられそうになって、琴は、とうとう抑えつけている阿部を、本気で投げ飛ばした。
「いい加減にしなさい!」
「いててて…お前、得意は剣術だけじゃねえのかよ」
阿部が尻餅をついたまま、腰を擦ると、琴は、
「ええ。なんなら、薙刀も味わってみる?」
と凄んだ後で、今度は沖田にキッと向き直った。
しかし、その顔を見た沖田は、
「プ、プハハハハハハ!い、いいんじゃないですか!ねえ阿部さん?アハ、アハハハ!」
堪え切れずに大笑いして、琴に鬼の形相で睨みつけられた。
「お、落ち着いて。気休めかも知れないけど、少しでも素顔を隠さなきゃ。ね?」
もっともらしい言い訳で繕ったが、まだニヤついている。
「喋りにくい!本当に、こんな変装まで必要?」
「用心のためですってば。なるべく黙ってて。さ、いざ、考試に出陣!」
阿部は後を追いながら、琴に肩を寄せた。
「あんなに、陽気な奴だったっけか?」
琴は、なぜか沈痛な面持ちで沖田の後姿を見つめている。
「彼はまだ、実戦経験に乏しいから、人を殺めたという現実に、どう向き合っていいのか、上手く折り合いがつかないんだと思う。要するに、以蔵なんかと違って、まともなのよ…」
「そういうおまえは、どうなんだよ」
阿部は、そんな琴の横顔に問いかけた。
「私は…そうね、そうありたいと願ってる」
その瞳の奥には、常に悲しみが潜んでいたことに、阿部はそのとき初めて気がついた。
「いや、何があったにせよ、お前はまともだよ。今のは忘れてくれ」




