壬生潜入作戦 其之弐
「それ、いいかも。背格好も似てるし」
この案には、沖田も飛びついた。
「男装したときのお前は、美童でございって嫌味ったらしい感じまで、あいつにそっくりだぜ?」
調子に乗る阿部を、琴は睨みつけた。
「減らず口を叩くのを止めないと、間者より先に私が喉を掻っ切ってあげる」
阿部は眼を剥いて、口を真一文字に結んだ。
沖田はクスリと笑いながらも、阿部の案を推した。
「でも、悪くない考えだ」
「いや。だいたい、私は浪士組が上京する時に隊列に加わっていたし、この格好で、屯所にも数回出入りしているから、何人かに面が割れてる」
「お琴さんは一度も芹沢さんに名乗ってないから、楠小十郎の名を使ったところで、別に咎めだてされませんよ。むしろ、歓迎されるんじゃないですか?」
「問題は芹沢じゃないの。だって、芹沢たちは、すでに楠小十郎という名の間者の存在を掴んでる」
「えっ、そうなんですか?」
どうやら山南や土方は、まだそのことを隊士たちに知らせていないらしい。
「だから、どっちにしろ、彼ら水戸派には、この計画を打ち明けるしかない」
「そっか。でも、じゃあ、なにが問題なんです?」
「ひょっとしたらだけど、浪士組には、すでに一人、間者が紛れ込んでるかも」
「えっ?」
琴の記憶では、今年の三月、斉藤弥九郎らが、清河八郎暗殺を企てた時に、浪士組の内部で手引きした者がいるはずだった。
琴は、斉藤弥九郎が、刺客仏生寺弥助にこう言ったのを聞いている。
「近々、浪士組に長州の間者をもぐりこませる手はずになっている」
もしその男が、仏生寺から琴の正体を聞かされていたら。
その男が、琴の顔を知っていたら。
琴は、そのときの経緯を、掻い摘んで話した。
「なんでその時、言ってくんなかったんですか!」
沖田は琴を責めた。
「悪かったわよ。けど、あの時と今とじゃ、全然状況が違う。あの頃、騒動の中心にいたのは常に清河で、狙われていたのも彼だったし、長州だって、まだ黒船に大砲を撃ち込んだりしてなかった」
沖田は、目を閉じて眉間を中指で抑えながら、必死で状況を整理しようとした。
「…えーと、それって、誰だか見当はついているんですか?」
「間者のこと?いえ、全然。あの時はまだ、良之助たちも壬生村にいたから、間者は江戸に戻った本隊の方に紛れていたのかもしれないし、そうであれば、もう浪士組にはいないことになる」
沖田は決断した。
「じゃあ、これは賭けですね」
「なにが?」
今度は琴が尋ねた。
「どっちにしても、阿部さんを楠の替え玉にするのは、失敗の可能性が高すぎる。楠小十郎役はお琴さんで決まりだ」
「…だよな。それがいい」
阿部は、なんとなく割り切れない気分のまま同意した。
「もちろん、阿部さんも協力してもらいますよ?お琴さんの身辺警護はあなたの仕事だ」
「ちょっと待って。私が影武者を買って出れば、またあなたたちと芹沢の派閥争いに巻き込まれることになる。私にも島原の仕事があるんだから」
琴が抗議した、そのとき。
「あー!こんなとこにいた!」
元気者の新入隊士、中村金吾が沖田に駆け寄ってきた。
「沖田さん、見廻りの時間ですよ!」
沖田は、中村に軽く手を振って見せてから、琴たちの方へ向き直った。
「ちょっと禁裏を一周してきます。昼の考試(入隊試験)までには戻りますから、一刻後、もう一度ここで」
琴は、立ち上がろうとする沖田の腕を引き戻した。
「あ、ちょっと!そういえば、あの娘のことだけど…」
「なに?お秩さんのことならもう…」
沖田は、琴のお節介を嫌って手を振り払った。
「違う。いま、お医者に看てもらってるあの子」
「ああ。お祐ちゃん?」
「どうなの?」
「お秩さんの話では、変わらずです。でも、誰も彼女の家を知らなくて、家族にも連絡のしようがないんですよ」
「なにか、訳ありって感じね。素性が知れるまでは油断しない方がいい」
「わきまえてますよ。じゃ、変装道具を仕入れてきますんで」
沖田は元気なく笑うと、そう言い残して行ってしまった。
阿部は、去り際の言葉に妙な引っ掛かりを覚えた。
「…なに?変装って言ってた?」
琴は問いかけるような視線をさっと逸らして、肩をすくめてみせた。
「…変わった子だから」
沖田総司は、浪士組副長助勤としてのお勤めに戻った。
受け持ちの巡察ルートを見廻るため、隊士たちを引き連れて、堀川沿いを通り、二条城の脇を抜ける。
「お祐ちゃんに気を許すな…か」
琴に言われたことをボンヤリ考えていると、中立売通りに差し掛かったところで、隊士の林信太郎に腕を引っ張られた。
「沖田さん!中立売御門はこっちですよ」
「ああ、ごめん」
我に返って、顔をあげたところで、ある看板が沖田の眼に飛び込んできた。
「生糸売買」
「まてよ、お祐ちゃん確か、生糸問屋の番頭の娘とか言ってなかったっけ」
なにしろ、今のままでは、お祐の引き取り先がない。
「え?さ、さあ?」
唐突に聞かれた林は、戸惑いながら答えた。
「ちょっと、寄り道してっていいかな?」
沖田は、「大和屋」と暖簾のかかった生糸商に入って行った。
「失礼。壬生浪士組の沖田という者です」
いきなり悪名高い浪士組が入って来て、店内に緊張が走るのが伝わって来た。
奥から手代と思しき男が、飛んできて対応する。
「これはこれは、お勤めご苦労さんどす。あいにく主人と番頭は、ただいま不在にしておりまして、ご足労頂いたところ、大変申し訳ございませんが、またのお越しを…」
手代は固くなって額からダラダラ冷や汗を流しながらも、なぜかその口上は立て板に水のごとく、妙に手慣れている。
沖田はピンときて、手代が振るう長広舌を遮った。
「あ、あ、あ。そういうのじゃないんです」
「そういうの、と申されますと?」
「お金を借りに来たんじゃないってこと」
「あ!ああ…うちはまたてっきり…いや、左様でございますか…」
手代は腰が砕けたように、床に手をついた。




