大坂を牛耳る男 其之参
近藤が船宿に帰ると、芹沢たちは性懲りもなく飲みに出かけていた。
近藤は、仕方なく試衛館一派を集め、奉行所でのやり取りを伝えた。
「本当はこんな手管を使いたくなかったが、あの男が相手となれば仕方あるまい」
永倉新八が、珍しく神妙な顔で近藤に頭を下げた。
「近藤さん、かたじけねえ」
自分のために屈辱に耐えた近藤に負い目を感じているらしい。
近藤は、苦笑した。
「小野川部屋とは、奉行所の仲介で手打ちってとこが、落とし所なんだろうが、調停は、ちょっと時間がかかりそうだしな。彼らには、まず誠意をもって謝らねばならん」
近藤としては、内山との軋轢と今回のケンカは別物で、奉行所の裁定がどうあれ、小野川部屋には仁義を通したい。
しかし、山南が言い辛そうに口を挟んだ。
「私が言えた義理ではありませんが、理由はどうあれ、我々から先に頭を下げるわけにはいきません」
この時代の身分制度では、いくら近藤側に詫びる心算があったとしても、まずは武士の体面を保つという不文律があった。
ましてや、無礼討ちを申し立てた浪士組の側としては、先に頭を下げてしまっては会津藩の顔にも泥を塗ることになる。
近藤は、考えた末、苦し紛れの屁理屈屈をひねり出した。
「いや…これはお前たちを預かる試衛館の道場主としての訪問だ。行くぞ」
項垂れていた原田が顔をあげる。
「これから?」
「当たり前だ。お前たち、二、三発はぶん殴られる覚悟をしとけ」
ところが、ちょうど全員が立ち上がったところへ、船宿の女中が取次ぎにやってきて、その小野川秀五郎が、訪ねて来たと告げた。
「みろよ。向こうには仲直りするつもりはないみてえだぜ。さっそく仕返しに来やがった」
近藤は、いきり立つ原田の頭をペチンと叩いて、
「お前はここで待っとけ」
と、ひとり階下へ降りてゆく。
玄関に出ると、数人の力士を引き連れた初老の男が土間に平伏していた。
「芹沢様、私、部屋を預かる小野川秀五郎と申します。この度の不始末について、お詫びに参りました」
小野川は、近藤たちの立場を察して、先に頭を下げに来たのだった。
勿論、力士たちはまだ納得がいかないといった顔つきである。
近藤は小野川の懐の深さに感銘を受けた。
「お顔を上げてください、小野川さん。芹沢は留守にしております。私が代わりにお話を伺いしましょう」
「すると、貴方がもう一人の局長、近藤勇様ですな?」
「ええ。あの、とにかくお立ちになって。まあ、どうぞ」
近藤は力士たちを部屋に案内した。
そして、山南たちを後ろに並ばせると、共に手をついて謝った。
「こちらこそ、隊士たちの過ぎた行いを申し訳なく思っております。その後、関取のお具合は如何がでしょうか」
恐縮して平伏していた小野川は、顔をあげて少しだけ微笑んだ。
「幸い、熊川の傷は大したことがないようで、また土俵に立てそうです」
「それは、不幸中の幸いでした。しかし、そちらは何人かお亡くなりになられた方もいらっしゃるとお聞きしております。これは、何があったにせよ、許されることではない。こちらとしては、何某かの…」
小野川は近藤の口上を遮った。
「もうよしましょう。こちらにも非はあります。双方、素直に頭を下げたところで、手打ちとしていただけませんか」
小野川部屋の力士たちも、近藤の謙虚な態度に感化されて、心なしか態度を軟らげている。
「それは願ってもないが…」
小野川部屋には死人が出ている、言いかけて、近藤は言葉を飲み込んだ。
しかし、小野川秀五郎にも、今回の事件の発端には思う所があるらしい。
「こいつらにも言い分はあるでしょうが、そもそも、あんな腐れ与力に尻尾を振るなど、恥を知れとドヤしつけてやったんです」
なるほど、いかに町奉行の下で興行を打っているとはいえ、内山を快く思っていないのは、大坂相撲の親方も同じという訳だ。
内山は、米が高騰する原因を、都合よく欧米との自由貿易に転嫁して世間を言いくるめ、その陰で市場を操作して私腹を肥やしている。
熱烈な攘夷論者の小野川としては、売国奴に等しい存在なのだった。
もちろん、それは噂の域を出ないが、少なくとも小野川は、固くそう信じていた。
いくらかわだかまりも解けたところで、小野川が一つの提案を持ちかけた。
「では、こうしませんか?一つお願いを聞いていただきたい」
「何でしょう?」
近藤が、前のめりに尋ねる。
「実は我が大坂相撲と京相撲は、過去に興行権を巡る諍いがあって、長らく行き来が途絶えております。近藤様にその仲を取持っていただきたい。それで恨みっこなしといたしましょう」
近藤はニッコリと笑って頷いた。
「なるほど、わかりました」
こうして浪士組は二度目の下坂を終えた。
こののち、近藤は谷町にある小野川部屋を訪ねて、秀五郎とさらに意気投合、新町遊郭で手打ちの宴を設けるまでに至る。
この一件は、近藤と芹沢の違いを際立たせた。
しかし、会津藩に浪士組の存在をアピールするという初期の目的については、決して上々の首尾とは言い難かった。
今回の騒動が、浪士組の強さを広く知らしめ、結果的に在京の攘夷過激派に対して、ある種の牽制になった一方で、公事方与力内山彦次郎に遺恨を残す形で終わってしまったからである。
一方。
老中小笠原長行は、将軍の指示でこの後ひと月余りも淀に留め置かれ、その後、虚しく江戸に帰還することとなった。




