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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
角力之章
360/404

大坂を牛耳る男 其之弐

近藤はドスンと腰を下ろして腕を組んだ。

「大塩平八郎は義士ぎし不遇ふぐうの英雄だ。大塩に十手じゅってを向けるような与力よりきなら、貪官汚吏たんかんおり(悪い役人)のたぐいに違いねえ」

「…それ、本気で言ってんのかい?」

井上はあきれて問い返した。


近藤は冗談めかして言ったものの、三国志の関羽かんうに始まり、赤穂浪士あこうろうし大石内蔵助おおいしくらのすけまで、義士ぎしと呼ばれる人物には元来がんらい強いあこがれがあって、自身もそうありたいと願っていたから、大塩に肩入れする気持ちが、内山への評価にバイアスを掛けていたのはいなめない。

しかし、比較的冷静な蔵之助の見立ても、そう大差たいさなかった。

「冗談ごとやなく、芹沢さんなんか、いつもの態度やったら、ろくな取り調べもないまま、おなわ頂戴ちょうだいなんて事になりかねませんよ?」


すると原田左之助が声を落として、近藤に相談を持ち掛けた。

「…それもアリなんじゃねえか?」

近藤は、なにやら決意を秘めた目で、原田をジロリと見た。

「どうやら、芹沢さんとは、いずれケリをつけねばならんようだ。だが、今回は試衛館の連中(おまえら)も関わってるし、下手ヘタに事を荒立あらだてたくない。何より会津の体面たいめんを保たねばならん」

それは、つまり芹沢との確執かくしつは、自分たちの手で決着をつけると言っているに等しかった。


「こりゃ失礼」

原田はスゴスゴと引き下がり、山南はもう一度頭を下げた。

永倉、沖田もきまりの悪い顔をして押し黙っている。


近藤はもう一度一同を見渡して、決断を下した。

「この一件は、無礼討ぶれいうちとして届け出る。五月に転任してきたばかりの松平信敏まつだいら のぶとし様なら、あるいは公平なお裁きをくださるかもしれん」

何をもって公平とするのか、近藤の理屈も自分勝手と言えなくはない。


翌朝、近藤勇は三度みたび、西町奉行所の前に立っていた。

その門構えも昨日とは違って威圧的いあつてきに見える。


西町奉行所を訪れた近藤が通されたのは、広間ではなく、調べの間だった。

証人ではなく、容疑者であるという立場を(わきま)えよという、無言の圧力だろう。



いきなり内山彦次郎本人が現れた。

「これは内山様。本日のお調べは同心の方々が担当されるとばかり…」

近藤は、いきなり好戦的こうせんてきな態度で皮肉ひにくった。

そちらがやる気なら、受けて立つという彼なりの意思表示だった。

内山のまゆがピクリと動いた。

「この案件は、事の重大性にかんがみ、私があずかることになり申した」

内山は近藤の前にゆっくりと座り、肘置ひじおきに頬杖ほおづえをついた。

昨日は部下に任せるなどと言っていたが、やはりあれは近藤を挑発ちょうはつするための方便ほうべんで、手をゆるめる気はないらしい。

しかし、近藤の後ろに続いて誰も部屋に入って来る者がないことに気づくと、内山の顔から例の張り付いた笑みががれ落ちた。

「はて。芹沢はどうした?」

「その件ですが、あれから隊のものに事の次第(しだい)を確認した結果、昨日の刃傷沙汰(にんじょうざた)は、この通り、無礼討(ぶれいう)ちとして届け出ることにいたしました」

近藤が淡々(たんたん)と答え、(ふところ)から出した書状しょじょうを押しやると、内山は不快感を隠そうともせず、扇子せんすの先でそれを突き返した。

ことわりというものを分かっておられぬようだな、近藤殿。無礼討(ぶれいう)ちといえど、これは『公事方御定書くじがたおさだめがき』に照らして、その判断が妥当(だとう)であったか、公正に吟味ぎんみせねばならん」

「ええ。ですから、こうして顛末(てんまつ)をしたためて参りました。あとは、奉行の松平信敏様に吟味(ぎんみ)していただきたく存じます。もちろん必要とあらば、御白州(おしらす)の場にて、芹沢やその他の隊士たちから申し開きいたすことも(いと)わぬ所存しょぞんにて」


内山は、こめかみに青筋あおすじをうかべて、手にした扇子(せんす)を近藤に投げつけた。

「身の程を知るがいい。貴様(キサマ)らごときを、お奉行様直々(じきじき)に取り調べなさるはずがなかろう!これ以上、出所(でどころ)の知れん素浪人(すろうにん)に大坂の町を歩かれては迷惑じゃ。さっさとあの汚らしい(けだもの)どもを連れて東国とうごくへ帰るがいい!」


近藤は頭を低くしながらも、その目にはまだ挑戦的な光が宿っていた。

「そのお返事は、なかなか興味深いですな」

「…なんだと?」

「あなたはこの事件を、不逞(ふてい)(やから)が、酒の上で乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)を働いた、()わばありきたりの刃傷沙汰(にんじょうざた)(とら)えておいでのようだ。なのに、事を(おおやけ)にされることも、気が進まぬご様子。なぜです?」

近藤は反撃に出た。

「この件は、私が松平様よりあずかっておるからだ!その判断は、この私が、徹底的に調べてから下す!」

「ほんとうは何があったか、すでにご存知ではないのですか。いや、貴方(あなた)は何が起きるのか、最初から知っていたのでは?」

内山のツルリとした顔には、憎悪(ぞうお)と、怒りと、そして深い(しわ)が浮き出た。

「つまりそれは、私がやらせたと言いたいのかね?」

「さあ?その問いに、予断よだんをもって答えることは差し控えた方が良いでしょうな。しかし、仮にも京都守護職(きょうとしゅごしょく)預かりの我々が、松平河内守(かわちのかみ)(松平信敏)に宛てた書状が、途中でにぎつぶされるようなことがあれば…よもやそのような事はないと信じておりますが、もし、そんなことがあれば、世間せけんに余計な疑念(ぎねん)憶測(おくそく)を呼ぶのは(まぬが)れないでしょう」


つまり、お互い後ろめたい部分があるのだから、この件には(ふた)をした方が賢明(けんめい)だと(おど)したのである。

義士(ぎし)大塩平八郎の復讐(ふくしゅう)目論(もくろ)んだ近藤としては、あまり相応(ふさわ)しくない手段であったが、

不本意ふほんいながらも、ここに来てようやく政治的な駆け引きの何たるかを習得しつつあったと言える。


下郎(げろう)!さがれ!」

顔を真っ赤にして出口を指差す内山に、近藤は膝を()りながら近づき、投げつけられた扇子(せんす)をその手ににぎらせた。

「近いうち、またお会いすることになるでしょう」

「この私をおどす気か」

内山は、肘置(ひじお)きに手をかけて立ち上がると、ワナワナふるえながら問いただした。

「おたわむれを。奉行所のお調べが続くなら、今後もお会いする機会があろうという意味ですよ」

近藤も立ち上がって、内山を見下ろす格好(かっこう)になった。

「内山様はいま、感情的になっておられるようなので、冷静な判断は無理でしょう。今日のところは引き()げます。しかし、もう一度よくお考えください。この件を深掘(ふかぼ)りすれば、困った立場に追いやられるのは、むしろ内山様の方ではありませんかね」

内山はギリギリと歯軋(はぎし)りをした。

「では失礼」

近藤は悠然(ゆうぜん)と調べの間を後にした。


しかし、それはある種の虚勢(ブラフ)だった。

内山のような男に弱みを見せれば、かさに着てたたみかけてくるのは目に見えている。

今日のところはなんとかえ抜いたものの、今後も内山は、執拗しつように追究を続けるだろう。


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