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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
花見之章
36/404

食い詰め浪人 其之弐

ところでその頃、もはや間違いなくその「怪しげな連中」の一人である阿部慎蔵が、京の南、伏見にある中書島ちゅうしょじま遊郭界隈ゆうかくかいわいをウロついていた。


もちろん、彼に遊ぶ金があるわけもない。


ここ中書島は、高瀬川が宇治川(淀川の京都側の呼び名)へそそぎ込む地点に位置する中洲なかすで、京における水運すいうん要衝ようしょうともいうべき場所である。

中洲は、平戸橋・蓬莱橋ほうらいばし・京橋などで陸地と結ばれており、それぞれ橋のたもとには、三十石さんじゅっこく船の船着場があった。


つまり、彼は性懲しょうこりもなくまた(!)、大坂に戻るべきかいなかを逡巡しゅんじゅんしていたのだった。


ひょんなことから暗殺の目撃者となり、大坂からのがれた阿部だったが、逃亡先の京では長州藩士といさかいを起こし、今度は彼らに目をつけられる身となってしまった。

しかも、今や京の町には二千とも三千ともいわれる長州兵が駐留ちゅうりゅうしており、町のいたる所は長州藩士だらけである。

これまでの気楽な路上ろじょう生活が難しくなると、たちまち所持金しょじきんが底をついてしまった。

そんなわけで、本拠地ほんきょちである大坂の方も、そろそろほとぼりが冷めた頃ではないかという希望的観測きぼうてきかんそくにすがり始めたのだ。


しかし彼は、ここ伏見にも長州藩邸があることをすっかり忘れていた。

京橋の船着場まで来てみると、それらしき紋付もんつきを着たサムライがあちこちを歩いている。

やむなく遊郭ゆうかくに逃げ込んだ阿部は、道ゆく遊女ゆうじょたちの顔を検分けんぶんしたりして船が来るまでの時間をつぶすことにした。


彼は、金ヅルとしてアテにしていた例の辻君つじぎみを思い出していた。

彼女に「人斬ひとき討伐とうばつ」を持ちかけられて、かれこれ三ヶ月経つから、少々()いっした感もあるが、岡田以蔵が死んだといううわさはまだ聞かない。

ついつい、あの辻君とバッタリ出くわさないかなどと都合のいいことを考えてしまう。

もっとも「辻君」というくらいで、彼女たちはいわゆる街娼がいしょうだったから、こんな場所にいるはずもない。


むしろ彼は、遊廓ゆうかくに長州藩士が居ても少しもおかしくないことに早く思い至るべきだった。


京橋の方角から歩いてくる二人連れのうち、片方に見覚えがあることに気づいて、阿部は、あわてて路地ろじに身を隠した。


松下村塾しょうかそんじゅく四天王のひとり、入江九一である。


二人のいで立ちから察するに、相手の男は遠方から京橋の船着場ふなつきばに着いたばかりという感じだ。

つまり、入江の方は、出迎でむかえ役といったところだろう。

二人が阿部のひそむ路地のまえを通りすぎたとき、その会話の断片だんぺんが漏れ聞こえた。


「…吉村さんがいてくれれば心強い…」


「吉村」と呼ばれた相手の男は、何かこたえたが、なまりがひどくて阿部には聴き取れなかった。

しかし、そのなまりには聞き覚えがあった。

大坂の河内かわち屋という本屋の前で目撃した、あの暗殺者と同じ御国言葉おくにことば


土佐者だ。


妙に月代サカヤキ(頭のてっぺんを剃った部分)がせまいのも、彼らの流行はやりである。


二人はそのまま、半町(約55M)ほど先の妓楼ぎろうの中に消えていった。

「昼間っから酒飲んで女遊びとは、長州藩士ってなあ、いいご身分だな」

阿部は、はからずも土方歳三と同じようなグチをこぼした。


しかし、その長州藩士が接待するほどの人物であれば、吉村という男もそれなりの大物ということになる。


「こないだの様子だと、ヤツらがうわさ尊皇攘夷そんのうじょうい派ってやつだな。じゃ、あの土佐訛とさなまりは、さしずめ土佐勤王とさきんのう党ってとこか。京の町もいよいよヤバくなってきやがった」


実はこの「吉村」こそ、幕末における最も先鋭せんえい的な過激派のひとり、

吉村寅太郎 ―ヨシムラトラタロウ―だった。


彼は前年、寺田屋で摘発てきはつされた関白かんぱく京都所司代きょうとしょしだい襲撃しゅうげきに呼応した大規模な挙兵計画きょへいけいかくに参加するため、土佐勤王党の盟主めいしゅ、武市半平太とたもとかって、土佐を脱藩していた。

寺田屋の計画が露見ろけんしたあおりで、一度は捕縛ほばくされ、土佐に連れ戻されたものの、その後放免(ほうめん)となり、こうして再び京洛きょうらくに舞い戻ってきたのである。


つまりは、伏見義挙の首謀者しゅぼうしゃ、清河八郎、真木和泉まきいずみらの同志であり、特A級のテロリストだ。

なにせ、「あの」武市半平太が二の足(にのあし)を踏むような暴挙ぼうきょにさえ、躊躇ちゅうちょしない男である。

そして、彼は、ほどなく「天誅組てんちゅうぐみ」の指導者として前線に復帰することになる。


もちろん、阿部にそこまで先を見通せるはずもなかったが、男がかもし出す不穏ふおんな空気は、彼を警戒けいかいさせるのに充分だった。


そんなとき、


「よう、あんた」

阿部は背後から声をかけられて飛び上がった。

「うわーっ!」

振り返ると、せぎすのサムライが目を血走らせて立っている。

手にした陣笠じんがさには、一の文字に三ツ星(∴)、長州のもんだ。


「くそ!」

おのれ迂闊うかつさをのろって身構みがまえるも、なぜか長州の男に殺気はない。


実のところ、阿部慎蔵は少々自意識過剰(じいしきかじょう)だったと言わねばならない。

そもそも長州藩士たちは、彼のような小者など、毛ほども気に留めていなかったからである。


しかし、このせぎすの男にしても、用もなく声など掛けてこないだろう。

阿部は、男が自分のおびをじっと見つめているのに気がついた。

「…え?」

同じように腰のあたりをながめてみるが、別に変わったところもない。


「薬をくれ」


男は、唐突とうとつに要求した。

ワケが分からず、阿部はしばらくキョトンと突っ立っていたが、やがて相手の正気しょうきを疑うように、鼻面はなづらを突きつけた。

「おまえ、俺が薬屋に見えるか?」

「その腰からぶら下がってる根付ねつけの先は、印籠いんろうじゃないのか?」

「ああ、これ?」

辻君からもらった奇妙な形の根付ねつけに眼をやる。

「いや、そうだが…しかしこれは…」

「売るのか、売らないのか」


阿部は、印籠いんろうを手に取ってフタを外すと、中をのぞきこんでまゆをしかめた。

「別にかまわんが、だいたいコレ、なんに効く薬だか…おまえ、どっか具合でも悪いのか?」

「いいから、そこに入ってるのを全部よこせ。一両でいいか」

長州の男は、なかば無理やり阿部に金をにぎらせると、薬包やくほうをひったくるようにうばい、さっさときびすを返した。

その間、ただ呆然ぼうぜんとして、されるがまま金を受け取った阿部も、ズッシリとした小判こばんの重みが手のひらに伝わってくると、ようやく我に返った。

男が路地ろじかどを曲がって見えなくなるまで、なんとか平静を装ったものの、内心は小躍こおどりしたい気分だ。


「い、一両って…ああ、ビックリした。つーか、いったいどういう薬なんだ、こりゃあ?」

カラになった印籠いんろうをしげしげながめてから顔を上げると、先ほどの男が目の前に立っている。

「う、うわーっ!な、な、なんなんだおまえ!まだなんか用か?」

「そういえば、あんたに聞きたいことがあってな」

男は、荒い息づかいでこたえた。

「き、き、聞きたいこと?なんだよ、早く言えよ」

「…ああ。あんた、田中河内介が何処どこに行ったか、知らないか」


阿部は、思わず眼を見開いた。

あの辻君から聞かされた合言葉あいことばだ。

必死で記憶の糸を手繰たぐりよせる。

「あ…ああ、そうか。田中なんて奴は、ハナから何処どこにもいなかったってよ」


そして、おうかがいをたてるような上目遣うわめづかいで、男の顔をじっと見つめた。

男はしばらくのあいだ、黙ってその目を見返していたが、やがてボソリとつぶやいた。


「…お前に伝言だ。もも節句せっくこく、壬生寺にて待つ」

「え?」


「確かに伝えたぞ」

男は有無うむを言わさぬ調子で念を押すと、足早あしばやに立ち去った。


「ちょっ…てよ!壬生寺ってどこだよ!」


ぽつねんと取り残された阿部は、眉間みけんを人差し指で押さえながらひとりごちた。

「しかし、どういうことだ?あの女、俺が京にいることを知ってたのか?」


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