力士乱闘事件 其之肆
人の波を掻き分けて、野次馬の前列に出た小寅は、その惨状を見て、怒りを顕にした。
「また、あいつら…!」
そして、中村半次郎が止める間もなく騒ぎの渦中に飛び込み、怒鳴りつけた。
「止めえ!!」
しかし、その声も飛び交う怒声に掻き消されて、みなには届かない。
「こ、こら!黙りなさい!関わっちゃダメだとあれほど……」
中村は慌てて小寅を羽交い絞めにして引き戻し、口を塞いだが、騒ぎの中に知った顔を見つけて、一瞬、言葉を失った。
「…あれは……山南敬介?」
小寅は中村の掌を口から引き剥がして振り返った。
「知り合いなん?」
「いや…別に親しいわけじゃありませんが、ええ、顔見知りです。あれは、京の浪士組というやつですよ。なぜこんな処にいるのか知らないが、ずいぶん元気が有り余ってるようだ」
「そうみたいやね」
「あの男、京には美しい愛人が待っているというのに、ずいぶん命を粗末にするものだ。もう少し利口だと思っていたが…」
立ち尽くす山南を見て、中村は残念そうに首を振って嘆き、
「さあ、我々もこんな所に長居は無用だ。いきましょう」
小寅の手を引いた。
「ちょっと待って!」
小寅はその手を振りほどくと、騒動のさなかに飛び込んでいった。
「あ、小寅さん!」
中村が手を伸ばした時には、小寅はすでに芹沢の前に仁王立ちしていた。
「あんたら!ええ加減にしいや!もうやめえ言うとるやろ!!」
芹沢は、驚いて口をポカンと開けたまま固まった。
小寅の一喝が効いたわけでもないだろうが、すっかり戦意を喪失した力士たちに、浪士組の面々も矛を収める頃合いと見たらしい。
騒動はそのまま尻すぼみに終わった。
「やれやれ、またあんたかい」
芹沢は冷めた眼で小寅をひと睨みしてから、累々と横たわる小野川部屋の弟子たちを見渡した。
「…なあんだよ、こんなんで水入りかい?」
沖田は構えを解いて、小寅に見入っている。
「あの場面で割って入るなんて、すごい女だな」
平間も空いた口が塞がらないまま、頷いた。
「まったく、若いのに大した女傑だ」
まだ動ける力士が、倒れた仲間を助け起こしている。
しかし、中村半次郎が進み出て、動かない力士の横に膝をついた。
彼は、しばらく傷を検分してから顔を上げ、力士の一人に助言した。
「この方はもう助からない。可哀想だが、奉行所のお調べがあるまで、このままにしておきなさい」
よく見ると、刀傷がある遺体が、他にも数体あった。
山南敬介は、その時初めて中村の存在に気づき、
中村の方も立ち上がると山南に向き合った。
二人はしばらく無言のまま、互いに見つめあった。
言い知れぬ恥辱が込み上げてきて、先に目を逸らしたのは山南の方だった。
「覚えとけよ。必ず後悔することになるからな!」
力士たちは捨て台詞を残すと、
互いに肩を貸しあって、重い足を引きずりながら立ち去っていった。
山南は険しい表情で、浪士組の同志たちを振り返った。
「すっきりしたかい?」
山南に声を掛けられた沖田総司は、肩で息をしながら振り返った。
「え?ええ、まあ」
「私も一人斬ったよ。これで私も立派な人斬りの仲間入りだ」
自分が責められているのを感じた沖田は、心外な顔をした。
「別に助けてくれなくてもよかったんだ。あいつが後ろにいるのは分かってたし、充分間にあった」
「ああ、そうだな」
素っ気ない返事に、沖田は急に後ろめたくなったのか、
「だって…しょうがないじゃないですか」
と、俯いた。
永倉新八がおずおずと二人の間に割って入った。
「山南さん。気持ちは分かるが、今さら言ってもしょうがあるまい」
「私は、あの男の背中を斬ったんだ!無防備な背中をな!クソ!」
山南は大声で怒鳴り、二人に背を向けた。
やがて、少し冷静さを取り戻した山南は、もう一度沖田に歩み寄った。
「…すまない、沖田くん。私はぜんぶ君のせいにして、自分を納得させようとしてただけだ…」
「いえ、そんな…」
沖田も、ようやく自分のやったことに責任を感じ始めたのか、力なく頭を振る。
原田左之助が、力づけるように沖田の肩をドンと叩いた。
「なにメソメソしてんだよ。やられたらやり返す。死にたくなきゃ、当たり前のこった」
山南は、原田に指を突きつけ、怒気を含んだ声で言った。
「いいか。彼らはサムライじゃない。こっちが先に手を出さなきゃ、あんなことはしなかっただろう。軽々しく当たり前だなんて言うな」
それから、山南は全員を見渡し、諭すように言って聞かせた。
「なあ、聞いてくれ。
古い話になるが、私が生まれた年、故郷の仙台は、大飢饉で、子供を捨てる百姓が後を絶たないほどだった。
それでも、私がこうして生きていられるのは、彼らが死ぬ思いで納めた年貢のおかげなんだ。
芹沢さんも私も、そして君たちもそうだが、古い武士道という檻に捕らわれているという意味では、多分同類だろう。
しかし、我々が金科玉条とする武士道は、そんな百姓たちの塗炭の苦しみの上に、かろうじて成り立ってるに過ぎない。
そして、その砂上の楼閣も…このまま国が外に開かれれば、足元から崩れ去るだろう。
そうなった時、百姓や町人たちの命を、ないがしろにしてきたサムライの行きつく先は、破滅しかないと知るべきだ」
原田は自分のやったことが「弱い者いじめ」だったのではないかと思い始め、急にしょげ返った。
「わかったよ…悪かったよ。すまねえ」
しかし、そんな山南の危惧も、生粋の武士、平山五郎には通じなかった。
「大袈裟だねえ、山南副長。こりゃただの盛り場のケンカさ。それ以上でもそれ以下でもねえよ」
そして、
「よーし、残念だが、今日のところはお開きだ。奉行所が来て面倒なことになる前にトンズラしようぜ」
筆頭局長、芹沢鴨は、笑顔でそう言い放った。




