力士乱闘事件 其之参
そして、ここにもう一組、この乱闘を外野から見守る関係者がいた。
谷三兄弟の長兄三十郎と、末弟千三郎である。
チビの千三郎は、背伸びをしながら、芹沢たちの暴れっぷりを見て、
「兄さま、たまたま曽根崎のお姉ちゃんたちと遊びに来たところで、このような場面に出くわすとは、まさに天啓ではありませんか。ここはひとつ、助太刀して恩を売り、そのままの流れで加盟しちゃうというのは如何でしょう?」
と、兄の反応を伺った。
「う、うむ。そうだな…」
しかし、三十郎は、芹沢たちの荒っぽいケンカにすっかり腰が引けている。
「いや待てよ。今日は友引か…千三郎、残念だが日が悪い。今回は出直すしかあるまい」
「兄さまは、六曜にも通じておられますからな。まあ、そう仰るなら…。しかし、このケンカ、千三郎は勝敗を見届けてよろしいでしょうか」
「好きにせよ。私は無益な争いは好まぬ故、先に店に行って飲んでいる」
「さすが、秩序と平安を愛する三十郎兄さま。恥ずかしながら、私、こういう揉め事が大好物なので、あとで追いかけます」
こうして、近藤たちのあずかり知らぬところで、浪士組乗っ取り計画の危機は、ひとまず遠のいたのであった。
一方。
永倉新八は、どうにかこの場を収めようと空しい努力を続けている。
「うわあっ!こらまて!落ち着きなさいってば!」
乱れ飛ぶ攻撃を器用に交わしながら皆をなだめて回ったが、
そんな永倉の気も知らず、原田左之助が次々と火に油を注いでいった。
「ほらよ!一丁あがりだ!つぎ!ウヒョー!ほら、どうした総司!モタモタしてっと、俺が全部いいとこいただいちゃうぜ?」
「わたしは、5人目ですよ!」
沖田総司も、ヒラヒラと舞うように首やみぞおちといった急所を突いて、力士たちを翻弄する。
「いいか!何があっても命をとってはならん!」
この中では比較的常識人の平間重助が叫んでいる。
芹沢一派はすでにみな抜刀して、
刀の峰で、群がる力士を打ち据えている。
あちこちで六角棒と刀のぶつかり合う音が鳴り響いた。
「てめ!左之助!いい加減にしやがれ!」
永倉は騒ぎの中心にいる原田たちに近づこうと、四方八方から飛んでくる六角棒を搔い潜ったが、原田の方も右へ左へと走り回るため一向に辿り着かない。
「あんのバカどもが!こら、野口!テメエもやめねえか!って、あっぶねえな、おい!気をつけろよ、そんなもん振り回しやがって、当たったら死んじまうだろが!山南さん、なんとかしてくれよ〜!」
もちろん、山南敬介も騒動を止めようと全力で奮闘していたが、
如何せん四方を囲まれ、身を護るので精いっぱいだった。
「原田さん、挑発にのっちゃダメだ!沖田くん、やめないか!」
そのとき、斎藤一が、山南の後ろから殴りかかる力士の肩を突き、そのまま山南に背を預けた。
「無駄だ。もう収まらん」
「ええい、クソ!もうアッタマきた!てめえら、いい加減にしねえとやっちまうぞ!」
とうとう永倉までが乱闘に加わった。
山南は首を振って項垂れた。
「永倉さん…」
芹沢は大笑しながら、脇差を振りぬき、目の前にいた敵の肋骨を砕いた。
「アハハハ!のってきたな、永倉!いいぞ!」
「好き好んでこんなことやってるわけじゃねえぞ!チクショウ、何が悲しくて花街で相撲取りと喧嘩なんか…」
永倉も刀を振るいながら怒鳴り返した。
ここまで、浪士組は十人近い力士を打ち倒したが、まだひとりの死者も出していない。
しかし。
「ああ!しゃらくせえ!」
背中に一撃を食らった平山五郎が、ついに逆上し、力士の一人を斬り伏せた。
崩折れる巨体に、皆の視線が集中し、
一瞬、時が止まったかのような空白があった。
「秀の川が斬られた!」
誰かが叫ぶと、
「貴様ら、もう許さん!」
倒れた力士の血を見て、仲間たちも激高した。
「おもしれえ!次に血祭りに挙げられたいのはどいつだ!」
平山が、それに応じる。
乱闘は沸点を超え、ついに命の取り合いが始まった。
力士たちは雄叫びを挙げて襲いかかってくる。
争いには消極的だった永倉や平間も、もはや攻撃をいなすだけでは防ぎきれなくなった。
気がつけば、路上には点々と血の跡が残っている。
敵だけではなく、野口健司の額にも血がにじんでいた。
「やめないか!双方静まれ!」
そう叫んだ刹那、
山南は、沖田の背後に回った力士が、今にもその頭上に六角棒を振り下ろそうとしているのを目撃した。
「沖田!!」
無意識のうちに抜刀し、
その背中を斬りつける。
血飛沫とともにその力士が倒れるのを、まるでスローモーションを見るように目で追いながら、
山南は自分のやったことに茫然として立ち尽くした。
しかし、両者入り乱れての乱戦は、山南を置き去りに続いている。
止める者が誰もいなくなり、戦いはますますヒートアップした。
芹沢は、平間と平山に背中を護られながら、台風の目のように荒れ狂い、
その周りでは、
沖田、斎藤、原田が縦横無尽に駆けて、敵を駆逐していった。
気の毒なのは力士たちである。
無敵の暴君、芹沢鴨に加え、
永倉、沖田、斎藤といえば、のちに洛中を震えあがらせた新選組の中でもトップ3の剣士たちで、原田左之助はNo.1の槍使いだ。
大人しそうに見える山南敬介ですら、北辰一刀流免許皆伝の剣豪である。
抜刀した彼らが相手では、如何に30名を超える力士とは言え、相手が悪過ぎた。
よくよく考えて見れば、二十年にわたる幕末史の中でも、これだけの錚々たる剣豪と大立ち回りを演じたのは、後にも先にも彼らだけだったかもしれない。
勿論、力士らに歯が立つわけもなく、すでに大勢は決したと言って良かった。




