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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
角力之章
356/404

力士乱闘事件 其之弐

皆が窓辺に集まる中、ひとり片膝かたひざを立てて飲んでいた斎藤一がようやく口を開いた。

「ふん…囲まれたか。さて、どうする」

斎藤の視線を感じた山南敬介は、困惑こんわくして問い返した。

「なぜ私に聞く?」

永倉は、手のひらを水平に一周して、部屋の中を示した。

「おいおい、マジで言ってんのか?此処(ここ)に並んでるアホづらを見ろよ?ホントはあんただってもう分かってるはずだ。これはもう誰かがなんとかしなきゃ、どうにもなんない問題で、その誰かはあんただってな!」

山南は言われるまま、一同を見渡したあと、肩を落とした。

「…とにかくここを出よう。このままでは店に迷惑めいわくがかかる」

沖田が期待に眼をかがやかせながら、先をうながした。

「で?それから?」

「…あとは相手の出方次第でかたしだいだ」

永倉がひたいに手を当てて天をあおいだ。

「たいした作戦だなあ、山南先生?」

「…すみませんね。なにせ『妓楼(ぎろう)六角棒(ろっかくぼう)を持った力士に取り囲まれる』なんて事態が、私の人生に起きようとは、考えたことすら無かったもので」


隊士たちは身支度みじたくを整えて、席を立った。

といっても、今日は舟遊ふなあそびをするつもりだったので、みな稽古着けいこぎ脇差わきざし一本である。


「主人、迷惑をかけた」

山南は、玉代ぎょくだいとは別に、心付こころづけとして、なけなしの金を楼主ろうしゅに渡してびた。

芹沢は、山南の肩をポンと叩いて、

「よしなよ。チャッチャと片付けて、また戻って飲み直すんだからさ?」

そうい放ち、ズカズカと玄関を出た。


四股名しこなの入った浴衣ゆかたを着た、一番格上(かくうえ)おぼしき力士が進み出て、芹沢にひたいを突き合わせた。

「壬生浪士組だな?」

「ふん…かもな」

「我々は小野川部屋おのがわべやもんや。先ほどの刃傷にんじょうの一件、西町奉行与力にしまちぶぎょうよりき内山様から正式な許可を頂き、抗議(こうぎ)に参った」

芹沢は、おどけた調子で顔をしかめた。

「あんたらの業界じゃ、抗議(こうぎ)に参るのに、いちいちお奉行ぶぎょうの許可が必要なのかい?そりゃ大変だな」

「会津おあずかりと聞いたので、一応(すじ)を通したまでや」

芹沢は、仲間を振り返り、大袈裟おおげさに両手を拡げた。

「…だってさ?じゃあ、アレだな?こりゃあ、ご公儀こうぎ公認のケンカってわけだ」

「な…」

あばれる口実を探していた芹沢は、みなまで言わせず、その代表者をり倒した。


それが、乱闘開始(らんとうかいし)狼煙のろしとなった。

「初仕事だ。派手ハデに暴れてやろうぜ!」


手下の平山五郎、野口健司は、その言葉と同時に力士たちにおどり掛かった。


ケンカ好きの原田も腕をまくる。

「そうなくっちゃなあ?おう、総司!ぬかるんじゃねえぜ?!」

「誰に向かって言ってるんですか」

沖田は涼しい顔で、刀身をさやに納めたままの脇差わきざしを構えた。


原田は、水を得た魚のように、天水桶てんすいおけにヒョイとよじ登って、高台から力士たちの数を数えた。

「にーしーろー…いやあ、まいったな、こりゃどうも。よっしゃ、八人くらいは俺が引き受けてやっから、あとは、あんた達の頭数あたまかずんな!」

と、口では言いながら、飛び降りた勢いで、もう一人目の力士をり倒している。


原田は倒れた力士から六角棒(ろっかくぼう)を取り上げ、頭上でグルンと一回転させた。

「ちっとばかし太いが、脇差わきざしよりシックリくらあ。長柄ながえの扱いってやつを教えてやるぜ?お相撲さんよう!」



さて、その頃。

熊川関くまのがわぜきの命を救った紀伊国屋きのくにや中居なかい、小寅は、若い男に手を引かれて難波橋(なにわばし)を渡ろうとしていた。


「いったいどこに行ってたんです?紀伊国屋きのくにやに迎えに行ったらないから、あわてましたよ」

おだやかな口調で小寅をなじった連れの男は、薩摩の“人斬り”中村半次郎である。

「そこの難波小橋なにわこばしでな、刃傷沙汰にんじょうざたがあってん」

小寅はあっけらかんと答えた。

「なんだって、そんなもの見物に行くんです!気を付けてくださいよ?!」


この日、小寅は薩摩藩の仲介ちゅうかいで新町遊郭(ゆうかく)の吉田屋へ移ることになっていた。

彼女は薩摩の周旋活動しゅうせんかつどうにも深くかかわっていたので、敵対勢力てきたいせいりょくからの報復(ほうふく)けるため、秘密裏ひみつりに居場所を変える必要があったのだ。

同伴どうはんの中村半次郎は、あるじ西郷吉之助の愛人を介添かいぞえするため、一時的に下坂(げはん)していた。

いわば、証人保護プログラムのようなもので、中村はその護衛(シークレットサービス)というわけである。


ところが、

「またケンカが始まったで!!」

通りの向こうでさけぶ者があり、道行みちゆく人々がみな、橋とは反対の方向に()けてゆく。

「なんやなんや?またか」

小寅は人だかりの方を見やった。


曽根崎新地そねざきしんちせまい町である。

住吉楼すみよしろうは、そのちょうど真ん中くらいにあって、騒動(そうどう)はイヤでも人の目を引いた。

だから、集まってきた野次馬ヤジウマの中に、また小寅が居合いあわせたのも偶然とは言えない。


中村はグイと、小寅の手を引いて、首を横に振って見せた。

「やめておきましょう」

「なんで?」

中村の本音ほんねとしては、先方の楼主ろうしゅも待たせてあるし、さっさと用事を済ませてしまいたかった。

「あなたを無事ぶじ新町まで送り届けるのが私の義務だからです」

小寅は中村に持たせていた振分ふりわけの荷物を引っ手繰(ひったく)った。

「新町くらい一人で行けるさかい、そんなん言うんやったら、もうっといて」

新町遊郭しんまちゆうかくは、ここから歩いて四半刻しはんとき(約30分)の距離である。

「ねえ、私の立場も分ってください。あなたに何かあれば、西郷さんに申し訳が立たないんです」

中村が珍しく情けない声で懇願こんがんすると、

大袈裟おおげさやねんからもう…」

小寅はウンザリした表情で、中村をにらんだ。

しかし、中村はこの際とばかりに、思いのたけを吐き出した。

「そもそも、遊里ゆうりなどで働く必要がありますか?言っていただければ、それなりの家を用意します。そりゃあ贅沢(ぜいたく)は出来ませんが、そこで西郷様のお帰りをお待ちになられては?」

「アホな。旦那だんなもおらんのに、妾宅しょうたくだけ借りるん?半次郎はんなあ、うとくけど、うちかて子供やないんやさかい、お荷物になる気はないねん」

「いや、そういう…まったく、強情ごうじょうなひとだな」

きれる中村の腕をつかんで、今度は小寅が手を引いた。

「ほらほら、よ行かな、ケンカ終わってまうで?」


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