力士乱闘事件 其之弐
皆が窓辺に集まる中、ひとり片膝を立てて飲んでいた斎藤一がようやく口を開いた。
「ふん…囲まれたか。さて、どうする」
斎藤の視線を感じた山南敬介は、困惑して問い返した。
「なぜ私に聞く?」
永倉は、手のひらを水平に一周して、部屋の中を示した。
「おいおい、マジで言ってんのか?此処に並んでるアホ面を見ろよ?ホントはあんただってもう分かってるはずだ。これはもう誰かがなんとかしなきゃ、どうにもなんない問題で、その誰かはあんただってな!」
山南は言われるまま、一同を見渡したあと、肩を落とした。
「…とにかくここを出よう。このままでは店に迷惑がかかる」
沖田が期待に眼を輝かせながら、先を促した。
「で?それから?」
「…あとは相手の出方次第だ」
永倉が額に手を当てて天を仰いだ。
「たいした作戦だなあ、山南先生?」
「…すみませんね。なにせ『妓楼で六角棒を持った力士に取り囲まれる』なんて事態が、私の人生に起きようとは、考えたことすら無かったもので」
隊士たちは身支度を整えて、席を立った。
といっても、今日は舟遊びをするつもりだったので、みな稽古着に脇差一本である。
「主人、迷惑をかけた」
山南は、玉代とは別に、心付けとして、なけなしの金を楼主に渡して詫びた。
芹沢は、山南の肩をポンと叩いて、
「よしなよ。チャッチャと片付けて、また戻って飲み直すんだからさ?」
そう云い放ち、ズカズカと玄関を出た。
四股名の入った浴衣を着た、一番格上と思しき力士が進み出て、芹沢に額を突き合わせた。
「壬生浪士組だな?」
「ふん…かもな」
「我々は小野川部屋の者や。先ほどの刃傷の一件、西町奉行与力内山様から正式な許可を頂き、抗議に参った」
芹沢は、おどけた調子で顔をしかめた。
「あんたらの業界じゃ、抗議に参るのに、いちいちお奉行の許可が必要なのかい?そりゃ大変だな」
「会津お預かりと聞いたので、一応筋を通したまでや」
芹沢は、仲間を振り返り、大袈裟に両手を拡げた。
「…だってさ?じゃあ、アレだな?こりゃあ、ご公儀公認のケンカってわけだ」
「な…」
暴れる口実を探していた芹沢は、みなまで言わせず、その代表者を蹴り倒した。
それが、乱闘開始の狼煙となった。
「初仕事だ。派手に暴れてやろうぜ!」
手下の平山五郎、野口健司は、その言葉と同時に力士たちに踊り掛かった。
ケンカ好きの原田も腕をまくる。
「そう来なくっちゃなあ?おう、総司!ぬかるんじゃねえぜ?!」
「誰に向かって言ってるんですか」
沖田は涼しい顔で、刀身を鞘に納めたままの脇差を構えた。
原田は、水を得た魚のように、天水桶にヒョイとよじ登って、高台から力士たちの数を数えた。
「にーしーろー…いやあ、まいったな、こりゃどうも。よっしゃ、八人くらいは俺が引き受けてやっから、あとは、あんた達の頭数で割んな!」
と、口では言いながら、飛び降りた勢いで、もう一人目の力士を蹴り倒している。
原田は倒れた力士から六角棒を取り上げ、頭上でグルンと一回転させた。
「ちっとばかし太いが、脇差よりシックリくらあ。長柄の扱いってやつを教えてやるぜ?お相撲さんよう!」
さて、その頃。
熊川関の命を救った紀伊国屋の中居、小寅は、若い男に手を引かれて難波橋を渡ろうとしていた。
「いったいどこに行ってたんです?紀伊国屋に迎えに行ったら居ないから、慌てましたよ」
穏やかな口調で小寅を詰った連れの男は、薩摩の“人斬り”中村半次郎である。
「そこの難波小橋でな、刃傷沙汰があってん」
小寅はあっけらかんと答えた。
「なんだって、そんなもの見物に行くんです!気を付けてくださいよ?!」
この日、小寅は薩摩藩の仲介で新町遊郭の吉田屋へ移ることになっていた。
彼女は薩摩の周旋活動にも深くかかわっていたので、敵対勢力からの報復を避けるため、秘密裏に居場所を変える必要があったのだ。
同伴の中村半次郎は、主西郷吉之助の愛人を介添えするため、一時的に下坂していた。
いわば、証人保護プログラムのようなもので、中村はその護衛というわけである。
ところが、
「またケンカが始まったで!!」
通りの向こうで叫ぶ者があり、道行く人々がみな、橋とは反対の方向に駆けてゆく。
「なんやなんや?またか」
小寅は人だかりの方を見やった。
曽根崎新地は狭い町である。
住吉楼は、そのちょうど真ん中くらいにあって、騒動はイヤでも人の目を引いた。
だから、集まってきた野次馬の中に、また小寅が居合わせたのも偶然とは言えない。
中村はグイと、小寅の手を引いて、首を横に振って見せた。
「やめておきましょう」
「なんで?」
中村の本音としては、先方の楼主も待たせてあるし、さっさと用事を済ませてしまいたかった。
「あなたを無事新町まで送り届けるのが私の義務だからです」
小寅は中村に持たせていた振分の荷物を引っ手繰った。
「新町くらい一人で行けるさかい、そんなん言うんやったら、もう放っといて」
新町遊郭は、ここから歩いて四半刻(約30分)の距離である。
「ねえ、私の立場も分ってください。あなたに何かあれば、西郷さんに申し訳が立たないんです」
中村が珍しく情けない声で懇願すると、
「大袈裟やねんからもう…」
小寅はウンザリした表情で、中村を睨んだ。
しかし、中村はこの際とばかりに、思いの丈を吐き出した。
「そもそも、遊里などで働く必要がありますか?言っていただければ、それなりの家を用意します。そりゃあ贅沢は出来ませんが、そこで西郷様のお帰りをお待ちになられては?」
「アホな。旦那もおらんのに、妾宅だけ借りるん?半次郎はんなあ、言うとくけど、うちかて子供やないんやさかい、お荷物になる気はないねん」
「いや、そういう…まったく、強情なひとだな」
飽きれる中村の腕をつかんで、今度は小寅が手を引いた。
「ほらほら、早よ行かな、ケンカ終わってまうで?」




