力士乱闘事件 其之壱
大坂。
堂島川の北、曽根崎新地
この夜、浪士組筆頭局長芹沢鴨は、「住吉楼」に登楼して、乱痴気騒ぎを始めた。
「よおし。ここも俺が出してやっから。手前ら、遠慮せず飲め!」
「うおー!やったあ!」
相変わらず気前よく皆の払いを請け負う筆頭局長に、隊士たちは拍手喝采を浴びせた。
「だ~から、その金はどっから湧いて出たんだっての」
チクリと皮肉を言う永倉新八の肩を抱き寄せ、局長芹沢鴨は、その頭を撫でまわした。
「なあ、永倉、大人になれ。いちいち気にすんなよ。世の中にゃ知らない方が幸せなことだって、あんだからよ」
水戸の芹沢一派、平山五郎と野口健司も、含み笑いをしながらうなずく。
「そうそう、そういうこと」
「芹沢さんは、陰の苦労を、ひけらかしたりしねえの」
芹沢一派は、橋の上での一件で気が立っているせいか、いつもよりさらに酒の進みが早い。
原田左之助と沖田総司も、賑やかなのは嫌いではないから、雰囲気に乗せられて、乾杯を交わす。
「今日は、小うるせえのが二人ともいねえから、羽目を外すぜ!」
「居たって外してるでしょ」
「アハハ、違ぇねえ!」
そんな中、副長、山南敬介はというと、酔い過ぎないようチビチビ酒に口をつけながら、斎藤一にも釘を刺した。
「悪いが、君も(酒を)過ごさないようにしてくれ。どうにも嫌な予感がする」
「…承知した」
斎藤は、切れ長の目で山南をチラリと見て、短く答えた。
その、山南の肩に、芹沢がドサリと覆いかぶさってきた。
「おっと、酒が進んでないじゃんか、山南先生。まださっきの事、怒ってんのかよ?」
ふざけながら、山南の盃に酒を注ぐ。
山南は盃を、そのまま膳に置いて、姿勢を正した。
「私は、あなたがさっき何に腹を立てたのか、分かってるつもりです」
芹沢は、山南を横目に徳利の残りをラッパ飲みした。
「ほう、そうかい。俺がムカッ腹を立てるのに、理由があるなんて知らなかったよ。ぜひ、教えてくれ」
「与力の内山は、ことさら声高に攘夷を喧伝している。もし、巷で噂されているように、彼が列強への市場開放を口実にして、陰でコメ相場を操り、私腹を肥やしているのだとすれば、むしろ、彼は打ち払うべき外敵の側の人間だ。私も、そんな男が攘夷を口にするなど、汚らわしいとさえ思う」
「ハハ、俺の癇癪に、もっともらしい理屈をつけてくれて感謝するがな。じゃあ、あんたは何をそんなにプンプンしてるんだ?」
「だが」
山南はそこで言葉を切って、芹沢の眼をまっすぐ見た。
「我々に彼のことをとやかく言う資格がありますか?市中警護を理由に、商家に金をせびっているようでは、彼となにが違うと言うんです?」
芹沢は、説教など沢山だと肩をすくめ、
「はっ!ご高説痛み入るがね、…」
言いかけたところで、通りから聞こえるガヤガヤした騒ぎ声に気を取られ、口をつぐんだ。
さて、そんな緊迫した会話が交わされているなど露知らず、
永倉新八は、先ほどの心配事など何処かへ置き忘れてしまったかのように、
盃に並々と酌を受けながら、芸妓に鼻の下を伸ばしている。
「おっとっとっと!梅千代ちゃんたら、おれのことこんなに酔わせて、どうしちゃう気なのかな?おれ、今晩、襲われちゃったりしてえ?」
「いややわあ、永倉はん」
「イヒヒヒヒヒ、いやあ、それとも、おれの方から襲っちゃおうかしら?いい?うひょひょひょひょ」
と、ノッてきたところで、芹沢に尻を蹴られた。
「イッテエなあ!なにすんだよ!」
振り返って怒鳴ると、
「見ろよ。ふとっちょの団体客が来たぜ」
芹沢は、背中ごしに格子窓を見ながら、外をアゴで指した。
「あ?」
永倉は、芹沢を押しのけて、窓の外を覗いた。
30人近い力士が、それぞれ六角棒を持って、住吉楼の入口に詰めかけている。
永倉は、とたんに気分も萎えて、恨めし気に芹沢を睨んだ。
「…ほ〜らみろ、言わんこっちゃねえ…」
こういう荒事にはやたら鼻の利く原田左之助が、窓辺に這い寄って来て、
「おほ、こりゃスゲエ。さっきのお礼参りってわけかい?」
と舌なめずりした。
「久々の大ゲンカだぜ。腕が鳴らあ!」
「おまえは、ついこないだ大坂に来た時も暴れてたろうがよ」
永倉が頭を小突くと、原田は男たちの手にした六角棒を指差して、薄く笑った。
「だが、見ろよ。あんなもんを持ち出されちゃ、今度は遊びじゃすまねえぜ?」
そうなれば、刀を抜くしかなくなるだろう。
永倉は小さくため息をついて、沖田を振り返った。
「確かにな。総司、店の者に聞いて、裏口を見てこい」
「ええ~?逃げるんですかあ?」
沖田が不服そうに盃を飲み干した。
「バカやろ!店の前であんな棒っ切れを振り回されてみろ。奉行所が出張ってくらあ!」
「ちぇ、つまんないの」
ブツブツいいながら沖田が部屋を出て行くと、芹沢鴨が永倉の肩を拳でコツンと叩いた。
「永倉ぁ、まったく、てめえって奴ぁ。せっかく面白くなってきたんだ。よけいな口をはさむんじゃねえよ」
「う~るせえ!やりたきゃ斬り合いでも申し合いでも、あんた一人で好きにやれ!」
しかし、沖田がすぐ戻ってきて、悲報を告げた。
「駄目です。裏にもでっかいのが二人、踏ん張ってますよ」




