夕涼み 其之壱
文久三年六月三日。
夕の七つ(4:00pm)。
近藤勇と井上源三郎は、取り調べに協力するために、まだ奉行所に足止めされている。
二人を置き去りにしてきた芹沢は、船宿に帰ると手をパンパンと打ってゴロゴロしていた隊士たちの注意を引いた。
「おう、みんな。これから遊山船で夕涼みと洒落こもうぜ」
永倉が半身を起こして、顔をしかめる。
「はあ?どこにそんな金が…」
「俺が出すから、金のことは心配すんなよ」
「心配なのは、金の出処なんだよ」
芹沢は永倉の頭を撫でながらニヤニヤ笑った。
「無粋なこと聞くなってば。酒が不味くなるぞ」
浪士組が京都↔︎大坂間の交通手段として利用している淀川は、大坂市中を通る支流に分岐すると、大川と名前を変える。
八軒家の船着場は、厳密に言うとこの大川の南岸に位置する。
彼らのいる京屋忠兵衛の宿は、船着場の少し川上、天神橋のたもとにあって、
野口健司が、手回しよく主人の忠兵衛に言いつけ、旅籠の裏手に町屋形船を着けさせていた。
「さあさ、皆さん、乗った乗った!」
桟橋に立った芹沢が、皆の背中を押して船へと誘導する。
「近藤さんと源さんはまだ仕事中なのに、なんだか気が引けるなあ」
言葉とは裏腹に、沖田総司は満面の笑顔で船に飛び乗った。
ちょうどその頃、
公事人の溜まり(待合室)で、事情聴取の順番を待つ近藤勇は、同心たちのピリピリした雰囲気を察知して、憂鬱な気分が伝染していた。
「町は一見平和に見えるが、奉行所の連中はどいつもこいつも、殺気立ってやがる」
同行した井上源三郎も頬杖をついて同意する。
「あたしが心配なのは、宿に残してきたウチのやんちゃ坊主どもさ。このおかしな熱気に当てられてなきゃいいがなあ」
「あっちは山南さんがいる。心配あるまい」
「とは言っても、あとは乱暴者の局長を含めて、単純なのしかいないぞ?」
近藤は、その他のメンバーの顔を思い浮かべて人選を誤ったかと後悔を始めた。
「…心配になってきた。早く用を済ませて宿に戻りたいが…」
一方。
芹沢たちを乗せた屋形船は、すでに舳先を中ノ島方面に向けて、岸を離れていた。
淀川(大川)もこの辺りまで来ると、かなり河口に近いため、川幅も広く、流れもゆったりしている。
この数日は妙に蒸し暑かったが、川面のひんやりした冷気が心地いい。
大坂では、遊山船(町屋形船)を浮かべて夕涼みというのが定番の遊興で、
八人も乗れば小さな舟は満員になったが、
広大な大川には、酒や食べ物を売る舟や、
三味線を弾く芸者を乗せた舟などが、そこかしこに浮かんでおり、
声をかけて呼ぶと、鉤縄をひっかけて漕ぎよせ、
屋形船に並走してくれるという具合だった。
俗に言う「ウロウロ舟」である。
「こいつは最高だな」
原田左之助が景色を眺めながら酒を煽ると、
「だろ?」
平山五郎も珍しく上機嫌で応じた。
舟が大川の真ん中に漕ぎ出すと、上流には天満橋、下流には天神橋と、それぞれ全長100間(約180M)を超える大きな橋が、弓状に曲線を描くのを水上から見上げることができる。
大坂の人々は、この二つに、もう少し川下に架かる難波橋を加えて、浪華三大橋と称した。
そろそろ陽も落ちてきたが、長大な橋の上には、たくさんの人々が行き交い、夕涼みの客を目当てに夜店なども出ていて、ポツポツと赤い提灯の明かりが灯っていた。
この時代にはビルの照明や電飾看板もないので、橋越しに見える大坂の夜空には沢山の星が瞬いている。
「うおー、見ろ、スゲエぞ!」
原田が手を打って喜んだ。
「灯りがキレイですねえ」
さすがの沖田も、その景観に見とれている。
確かに、なかなかの壮観である。
「もうじき夏祭りの季節でっさかい、天神祭りの日は、そりゃあもう賑やかなもんでっせ」
船頭は沖田たちを振り返って、ちょっとした観光案内をしてくれた。
野口健司は、橋を行き交う人々を見上げながら、感慨に浸った。
「もうそんな季節かあ…」
原田などは祭りと聞いただけで血が騒ぐタイプだ。
「そういや、江戸にいれば、もうじき神田明神のお祭りだもんな」
「おみつ姉さん、どうしてるかなあ」
沖田は祭り好きの姉を懐かしがった。
やがて舟が難波橋の下をくぐると、少し川幅が狭くなって、いわゆる中洲である中之島を挟んで、河は北の堂島川と南の土佐堀川とに別れる。
船は北側にある堂島川へ入っていった。
原田は、すっかり酒が回っきて、
「よし、てめえら、いいもんを見せてやろう」
と、例によって諸肌を脱ぎ始めた。
「な?見える?これな、切腹の痕。なんでこうなったかって言うとー…」
「もういいってば!」
沖田が原田のアタマを鷲づかみにして引き倒した。
「バカだねえ…」
永倉新八は、皆がふざけあう様子を眺めながら、船縁から片手を川に突っ込んで、冷たい水の感触を愉しんでいたが、
ふと斎藤一に目をやって、顔を顰めた。
「な~んだよ?ちったぁ楽しそうな顔をしろよ、愛想のねえ野郎だな」
「…腹が痛い。すまんが、岸につけてくれ」
斎藤は船縁に肘をついて、岸に目を向けたまま、ムッツリと応えた。
「ハライタ?な〜んだよ興醒めだなあ!」
ほろ酔いの永倉が、不平を垂れると、
船頭がその声に振り返った。
「どないしはったんです?」
「いや、ちょっと…おまえ、なんか変なもんでも食ったんじゃねえの?」
永倉は言葉を濁して、とりあえず斎藤の顔色をたしかめた。
沖田もふざけながら様子をうかがう。
「あ、アレだ、アレじゃないの?さっき一人だけ食ってた、高いアワビ」
斎藤は、渋い顔で岸の方に目配せして、
「…つけられている」
と小声で伝えた。
腹痛は船を岸につけさせる口実らしい。




