源三郎の災難 其之肆
井上は、慌てて鯉口を切りながら、もう一方の手で二人を制した。
「ちょ!ま、まちなさい。話せばわかる」
「うるせえ!」
賊は、ほぼ同時に叫んだ。
キーンと甲高い金属音が響く。
井上は、出会い頭に一人目の刀を叩き折ると、
そのまま、踊りかかる賊の額を、刀の峰で打った。
高沢は、弟分が一撃で仕留められたのを見て、
一瞬躊躇したものの、
井上の胴を目掛けて、横薙ぎに刀を振り抜く。
井上は鍔元でそれを受け止め、
相手の勢いを利用して受け流すと、
返す刀で肩口を強かに打ちつけた。
気がつけば、賊二人は井上の足元に転がっていた。
ひとりは額から大量の血を流し、
もう一人は鎖骨を折って、唸っている。
井上は、倒れた男たちに手を合わせた。
「いやあ、すまんねえ。けど、二人して向かって来られちゃあ、手加減もあれが精いっぱいだよ」
蔵之介は、井上源三郎の余りの強さに目を丸くして立ち尽くした。
近藤がニヤニヤ笑いながら近づいてきて、這いつくばる男たちを見下ろした。
「源さんは、ハッタリが足りないから舐められるんだよ」
井上は嫌な顔をして近藤を睨んだ。
「貧相な見た目で悪かったねえ。蔵之介、ナワ!縄を持ってきとくれ」
「は、はい!」
蔵之介は我に帰って、賊に駆け寄ると、二人を縛り上げた。
「わが天然理心の免許を皆伝した井上源三郎に勝負を挑むなんて、身の程知らずな奴らだな」
近藤が冷やかすと、
「よしてくれ。あたしゃ、この真剣ってやつがどうにも苦手でねえ」
井上は眉間に皺を寄せて刀身を見つめながら、鞘に納めた。
「にしちゃあ稽古熱心だ。ま、八王子千人同心の家に生まれついた者としちゃ、徳川のご恩に報いるためってとこかい?」
「よしてくれ。下手の横好きってやつさ。別に人を斬るために剣を習ってる訳じゃないよ」
井上はヒラヒラと手を払ってから、木賃宿の二階を見上げた。
「あと一人は?」
近藤が小さく首を振る。
「上階にもいなかった」
近藤たちはその足で盗賊を奉行所に引き立てることにした。
「しかしまあ、蔵屋敷に忍び込むなんざ、無茶をやりやがったなあ」
近藤が呆れた調子で高沢と柴田の顔を覗き込むと、
井上も柴田が腰に巻き付けていた絹織物を手に取って、首を捻った。
「こんなもの、どこで捌く気だい?お前さんから買い取ってくれるやつがいるとも思えんが」
「お前らなんぞにしゃべる義理あるかい!さっさと奉行所でも何処でも連れて行かんかい!ボケ!」
開き直る柴田の頭を近藤が拳骨で殴りつけた。
「イテッ!」
「失礼。手が滑った」
「このガキャア!」
近藤は、柴田の襟首をつかんで振り回した。
「ああ?餓鬼って言ったか?てめえ、立場ってもんを弁えろよ。コソ泥の分際で、口の利き方ってもんがあんだろうが!」
「近藤さん、近藤さん、地が出てるよ」
井上が慌ててたしなめる。
「おっと、重ね重ね失礼した…。な、どうだ?そろそろ名前を白状しろ」
二人が「天下浪士」を名乗ったことで、高沢民部と柴田玄蕃であることはほぼ分かっている。
近藤勇と井上源三郎は、不逞浪士二名に縄を打って、一旦船宿に戻ると、
局長の芹沢鴨と、副長助勤の平山五郎を伴い、西町奉行所を訪ねた。
「高沢民部と柴田玄蕃の二名を押し借りと盗みの廉で引っ立てました」
玄関で取次ぎを申し入れると、公事方与力、内山彦次郎が直々に応対に出た。
もう還暦もとうに過ぎた年頃の老人である。
「これはこれは、祝着にござる」
内山はニコニコと笑いながら、挨拶を済ませると、扇子の先で咎人を押しやる仕草をして、
「この者たちを牢屋へ」
と中間に命じて、囚人置き場に連れて行かせた。
近藤たちは広間に通され、内山に座るように促された。
「どうぞ、膝を崩してくだされ。朝早くから一仕事終えられて、さぞや御疲れでしょう」
いかにもエリート官僚風の物腰だが、なにか、ヌメリとした不快な印象を受ける。
近藤は、明石家万吉の言葉を思い返した。
「西町奉行の内山ゆう与力があんたらに目えつけとるちゅう話やで。不逞浪士退治もええが、足元掬われんようにしいや」
内山は、近藤から捕り物の経緯を一通り聴く間も、終始張り付いたような笑顔を絶やさず、
「誠にご苦労様です。確かに、不逞浪士二名の身柄を預かり申した。あとは、責任をもってこちらで取り調べ致しましょう」
と慇懃に礼を述べた。
「よろしくお願い申し上げます」
これが、大坂を牛耳っている男か。
近藤は、伏しながら上目遣いで内山をしげしげ眺めてみたが、歳のわりに皺の少ないその相貌は、いかにも狡猾そうで、裏では何を考えているか分からないという感じだった。
「ときに、壬生浪士組の皆さんは、不逞浪士捕縛のためにわざわざ大坂まで下ってまいられたのか」
「ヒマなんでね。物見遊山を兼ねて」
芹沢が不遜に応えると、内山は歯の抜けた口で愉快そうに笑った。
「オフォフォ、我々も、小笠原様の一件で手を取られておるので、助かり申した」
本心ではあるまい。
多分、この男は、手柄を横取りされたことに腹を立てているのだ。
近藤は、内山の眼の奥に潜む憎悪に気づくと、胸が悪くなり、一刻も早くこの空々しい世間話から逃れたいと思った。
「お役に立てて何よりです」
「今日のところは、うちの同心が捕り物の顛末に関する簡単な調書をとらせて頂く。日をあらためて、御白州の場で詳しいお話をお聞きするため、公事人として御呼びたて申し上げるかもしれん。大坂はどちらにお泊りかな」
「八軒家の京屋に宿をとっております」
「なるほど、なるほど」
内山は、近藤らを残して部屋を出ると、廊下に控えていた筆頭同心を呼びつけ、なにやら小声で耳打ちした。
「…承知いたしました」
同心は応え、姿を消した。




