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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
角力之章
342/404

梅の麩の焼き、秘密を添えて 其之弐

「そのこころは?」

藤堂平助と一緒に帰ってきた副長助勤の松原忠治が、最後の麩の焼き(ふのやき)に手を伸ばしながら尋ねた。

藤堂が、指をめながら土方に代わって答えた。

家茂公いえもちこうに帰られては困るのは、なにも我々だけじゃないからっスよ。朝廷、攘夷派の雄藩ゆうはん、京都守護職、思惑おもわくはそれぞれだが、みな、いま将軍に居なくなられちゃ都合が悪いと思ってる」

土方がニヤリとうなずく。

「…そういうこった。在京勢力の意見が珍しく一致している以上、老中と言えども押し切るのはむずかしかろう。それに、今となっては、例の姉小路卿との密会もご破算わさんになったわけだしな」

姉小路の名前を聞いて、その場にいた全員がイヤでも田中新兵衛の一件を思い出さずにいられなかった。


「…どうにも後味の悪い幕引きだったな」

そう言って腕を組む近藤を見ながら、藤堂は草履わらじを脱いで、ポイと沓脱石くつぬぎいしに放り投げた。

「こう言っちゃなんスけど、オレには、田中みたいな攘夷論者が、いきり立つ気持ちも分からなくはない」

松原もそれに呼応こおうするように叫んだ。

「ワシかて納得出来んど!なんでお上はいつまで経っても攘夷じょういをカマさんのじゃ!」


これまで、庭先にわさきで黙って話を聞いていた新入りの副長助勤、尾形俊太郎がボソリと意見を述べた。

「おそらく、その気がないからでしょう」


「ちょっと待て、尾形君、大樹公たいじゅこうは…!」

近藤がムキになってとなえるのを、尾形はさえぎるように先をつづけた。

「大樹公がどのようにお考えかは知りません。ただ、現状ではそれが幕府の総意そういだということです。だからこそ、これ以上余計な言質げんちを取られる前に老中御自ろうじゅうおんみずから連れ帰りに来た。違いますか?」

尾形の理屈は、それなりに辻褄つじつまが合っている。

近藤はくちびるを引き結び、もはや彼に言い返せる者もなかった。


場の空気を読めない誰かが、みなの感情を逆撫さかなでするようにパチパチと手を叩いた。

「尾形君のご慧眼(けいがん)には、実に感服かんぷくしたぜ」

近藤が音のした方を振り返ってにらみつけると、どこから聞いていたのか、筆頭局長ひっとうきょくちょう芹沢鴨が入り口の柱に身体を預けて立っている。

顔に薄っすらと赤みがさしているところを見ると、また飲んでいるらしい。

「…芹沢さん、こっちに顔を出すなんて珍しいじゃないですか」

「舟遊びのお誘いに来た。そしたら面白い話をしてたんで、聞き入っちまってな」

「舟遊び?」

「堂島川に小舟を浮かべて夕涼ゆうすずみ、なんてどうだ?」

堂島川といえば、大坂の市中を流れる川である。

「どういうつもりです?」

近藤はしかめっ面でたずねた。

「さっきの続きだが。何もかも思うに任せないご老中は、おかに上がるなり、今度は、かんの長州が先に手を出しちまった事実ことを聞かされるワケだ。こりゃもう、さぞかし頭に血がのぼってることだろうな。てことはだ、そのゆでダコみてえなツラをおがみに、大坂へいかない手はあるまい?」

近藤の眉間みけんに刻まれたしわがさらに深くなった。

「この状況下で、会津に断りもなく、勝手なことはできん。それはあなたも分かってるでしょう?」

芹沢は笑みを浮かべながら、お気に入りの大鉄扇だいてっせんの先で近藤を指した。

「ところがそうでもない。間のいいことに、ちょうど会津から大坂の不逞浪士ふていろうし捕縛ほばくしろってお達しがあってな」


「そいつはいい。それに乗っかろう」

真っ先に芹沢のさそいに乗ったのは、土方歳三だった。

「おい、おまえは黙ってろ!」

近藤は、無責任に同調する土方をたしなめたが、

土方は、気にする風もなく、また下を向いて爪を切り始めた。

「なんで?この一件で大坂はきっと荒れてる。となりゃ、俺たちをないがしろにしてる会津の連中に、眼にモノ見せてやるいい機会じゃねえか。いつまでもいい子にしてるばかりじゃ、表舞台に立つ機会なんざめぐってこねえぜ?」


すると芹沢は、ますます調子に乗って、みなをあおった。

「そうとも、小笠原は、イギリスの恫喝どうかつにビビッて金を出した腰抜こしぬけ野郎だ。このうえ、大樹公たいじゅこうを連れ帰るなんて抜かしやがったら、奴を首だけで江戸に送り返してやる」

慎重派の山南敬介は、その大言壮語たいげんそうごまゆをひそめた。

「相手は、仮にも京の尊攘派掃討そんじょうはそうとう標榜ひょうぼうする老中ですよ。冗談でもやめてください」

芹沢はつまらなさそうに、山南の肩を叩いた。

「ちぇ、まったく頭の固い奴だな、おまえさんは」


「で、その不逞浪士ふていろうしとやらは、どこの誰です?」

近藤が芹沢を振り返る。

「そりゃあ、おまえ…」

芹沢は人差し指を立て、口を開きかけたが、しばらく考えた末、途中で思い出すのをあきらめてしまった。

「…どっかの、ナントカとカントカって二人組だって話だが…細かいことは忘れちまったな。ま、あれだ。そういうのは、平間重助にでも聞いてくれ」

「…なるほど…いずれにせよ、会津からのお達しとあらば、誰かを送り込まない訳にはいかんでしょうな…」

もとより、まともな答えなど期待していなかった近藤は、それ以上深く追及はせず、ただ自分の思案しあんに没入していった。


すると、年長の安藤早太郎が、例のヘラヘラした調子でアゴをさすった。

「ねえ、近藤さん。大坂に入ってしまえば、幕府の軍勢を物見ものみする口実なんて、後付けでどうとでもなるでしょう?向こうで何が起きてるのか、自分の眼で見ていらっしゃいな。それは無駄なことじゃないはずだ」

その言葉が背中を押し、近藤に決断させた。

「…わかりました」


「だが、近藤さん…」

山南敬介は、まだ心配な様子で、近藤の顔をうかがった。

「仕方ない。芹沢さんに任せておいたら何をするか分からん。ついて行くしかないでしょう?」

「おい、聞こえてるぞ。失敬な奴だな」

芹沢は、相変わらず不敵な笑みを浮かべている。


「きまりだな」

土方歳三がひざを打つと、松原忠治と藤堂平助も、目を輝かせて気合いを入れた。

「よっしゃ、やったるで!」「そうこなくちゃよ!」


が、近藤は、三人を冷ややかに流し見て、言い渡した。

「喜ぶのは早い。大坂へは俺が行く。お前たちは、ここで留守番るすばんだ」


「じゃあ、とっとと支度したくしてくれ」

芹沢はそう言いおくと、自身も準備のために千鳥足ちどりあしで自室に向かった。

その背中に、近藤が声を掛けた。

「芹沢さん、お梅さんに、この菓子のお礼を。美味おいしく頂きましたと」


芹沢は、振り返りもせず、ただ大鉄扇だいてっせんを振ってみせた。


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