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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
角力之章
341/404

梅の麩の焼き、秘密を添えて 其之壱

文久三年六月二日、

昼の八ツ(2:00PM)。


壬生村、前川邸、近藤勇の居室。


「うん、美味いな」

近藤は、麩の焼き(ふのやき)(お茶菓子の一種)をつまみながら、しきりに感心していた。

まさか、南船場の貧乏道場で、「試衛館と浪士組の両方を乗っ取ってやろう」という恐ろしい企みが進行しているなど、夢にも思っていない。

しかし、まあそれはどうでもいいだろう。


余談だが、江戸時代も元禄の頃(近藤たちの時代から160年くらい前)までは、1日2回の食事が普通だったため、昼の八つ時(やつどき)に小腹を満たすための軽食を採る慣習があって、それを「お八つ(おやつ)」と呼ぶようになったらしい。


土方歳三は、ふたつ目の麩の焼き(ふのやき)に手をつける近藤を横目で見ながら、縁側で足の爪を切っている。

「風が生暖なまあったけえな。台風でもくんのかね?」

土方は、和ばさみ(この時代の爪切り)をパチンとやりながら、空を見上げた。


他人ひとがモノを食ってる横で足の爪なんか切るなよ」

近藤が嫌な顔をして不平を言った。

「うるせえな。一回気になりだしたら、すぐ切らねえと収まんねえんだよ」

「んじゃ、自分の部屋で切れ」

「いいだろ!だから縁側で切ってんじゃねえか」

「まったく…」


そんなくだらない話をしているところへ、目の前の庭先に山南敬介が通りかかった。

山南は、合わせの黒羽二重くろはぶたえ袖口そでぐちがまた擦り切れているのを気にして、こちらに気づいていない。


土方は、意地悪そうな笑みを浮かべて山南を呼び止めた。

「よう、山南さん。昨日の逢引あいびきは首尾しゅびよくいったかい?」

その時初めて二人が目に入った山南は、向きを変えてゆっくり近づいて来ながら、肩をすくめた。


「やれやれ、これで山南さんも羽根はねを休める場所ところが出来たわけか」

今や事情を知る近藤も、一緒になって冷やかしたが、

「山南さんは見かけによらず押しが強いからな。何処どこぞで一度会ったきりのおんなが未だに忘れられない純情な誰かさんとは違うんだよ」

と土方に横槍よこやりを入れられて、渋い顔をした。


山南は苦笑いしながら、

「どうやらヤブヘビのようですね、近藤さん。しかし、揚屋あげやで飲む金なんか持たないのは、二人が一番よく知ってるでしょう?門のところで立ち話しただけです」

と土方の予想をやんわり訂正した。

「今回のは仕事なんだから、言ってくれりゃ隊費を出してやったぜ?」

土方はなおも揶揄からかったが、もう山南は乗ってこなかった。

「どうかな。ほとんど使えそうな情報はなかったから、仕事と呼べるかどうか」

「なんだ、そうなのか?」

山南は小さく首を振ってなげいて見せると、近藤の前にある小洒落こじゃれた清水焼の皿に目をめた。

「珍しいものを食べてますね。甘いのは苦手かと」

「お梅さんが作った茶菓子ちゃがしのお裾分すそわけでね、なかなかイケますよ。おひとつ、どうです?」

山南は近藤に勧められるまま、ひと切れ摘まみ上げると、その茶菓子ちゃがしをしげしげ眺めた。

薄い生地きじで何かを巻いた筒状つつじょうの形をしている。

「お梅さんは、何の気まぐれでこんなものを差し入れてくれたんです?」


「菓子はオマケだよ。皿にこんなものが添えられてた」

土方が折りたたまれた紙を山南に差し出した。

「手紙?」

山南は、琴から手渡された書付かきつけの裏を思い出して、少し表情をくもらせたが、

開いてみると、そこには女の文字で、近く浪士組に長州のスパイが送り込まれてくるらしいという情報がしたためられていた

「…これは…ここに書いてあることは、本当ですか?」

顔をあげて、うたがわしに土方を見やる。

「さあな。だとしたら、芹沢派あっちは優秀な間者かんじゃやとっているらしい」

土方が琴に当てこすると、山南はムッとして言い返した。

「結構な話じゃないか。だいたい、彼女をこんなきわどい話に関わらせたくない」

「あの女は、そんなタマじゃないよ。分かってないねえ、山南先生」

「ふん、だが、こちらもひとつ。小笠原様がついに大坂入りしたという話を仕入れてきましたよ」

土方の目つきが急に鋭くなった。

「おいでなすったか。このまま京にのぼってくると思うか?」

「どうだろう。無論むろん、小笠原様はそのつもりでしょうが、おかみが許すとは…」

声をひそめて話し込む二人を眺めながら、近藤は小首をかしげた。

この二人は、いったい仲がいいのか悪いのか、どうもよく分からない。


「やっぱ、大樹公たいじゅこう(将軍)を取り返しに来たんスかねえ?」

隊士たちをぞろぞろ引き連れて巡察じゅんさつから帰ってきた藤堂平助が口を挟んできた。

その後ろには、新しい幹部の松原忠治、尾形俊太郎、安藤早太郎らの顔も見える。

「おう、平助、お疲れさん。盗み聴きはよくないぞ」

近藤が大きな口を吊り上げてニッと笑い、手をあげてみなを出迎えた。

「なんスか、それ?」

藤堂は、縁側えんがわ膝這ひざばいで上がり込むと、麩の焼き(ふのやき)の載っている皿をのぞき込んだ。

近藤は皆のいる縁側の方へ、菓子の皿を押しやった。

「食えよ。大樹公の件は、こないだ連名で出した板倉様宛の上申書じょうしんしょに、我らの考えをすべて書いた。お前も読んだはずだ」

「言いたいことは分かりますがね。つまり、やれることは、やった?」

「そうだ。人事じんじくして天命てんめいを待つ、さ」

近藤はそう言って麩の焼き(ふのやき)をひとつ、藤堂のてのひらに置いた。


藤堂は、一瞬躊躇(ちゅうちょ)して、近くにいた土方に助けを求めた。

「コレ、美味うまいんスか?」

土方は渋い顔をして、手を払った。

「ちぇ、お梅の作ったもんなんか、食えるかよ。毒が入ってても知らねえからな」


藤堂はあきらめて、それを恐る恐る口に運んだが、すぐに感激して目を輝かせた。

「ウメえ!こんな美味いもん食ったことねえ!」

麩の焼き(ふのやき)は、千利休せんのりきゅうが愛したと言われる茶菓子で、西京味噌さいきょうみそあん胡桃クルミを砕いたものを混ぜて小麦粉の生地で巻いた、云わば江戸時代のクレープである。


土方は、冷ややかな目で藤堂をながめながら、またパチンと爪を切った。

「あの女が、そんな気のいたもん作れるとはねえ…ま、それはさておき、老中も今回ばかりは手ぶらで帰るほかないだろうさ」


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