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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
角力之章
340/404

花街の諜報戦 其之陸

桂は、琴の演技に安心したのか、もう少し踏み込んだ話を始めた。

しかし、その声はささやくように小さい。

なぐさめになるか分からないが、中山忠光様のお骨折りでごくかれた真木和泉まきいずみ殿がまもなく京に入られる」

言うまでもなく、真木は伏見義挙ふしみぎきょ首謀者しゅぼうしゃの一人で、寺田屋事件を起こした薩摩の過激派とも通じている。

寺島は嬉しそうにうなずいた。

「つまり、これで役者がそろいましたな」


「本当は、ここで、(まつりごと)の話などするつもりはなかったが、彼らと連携(れんけい)して攘夷の具体策を練りたいと考えている。すでに西本願寺から合議の場として翠紅館(すいこうかん)(東山にある西本願寺の別邸)を借りる約束を取りつけてあるから、寺島、手分けして、主だった連中に声を掛けておいてくれ」

「承知しました」


桂は物憂(ものう)げな顔でこめかみを抑えた。

「それにつけても、気になるのは、あの浪士組の動きだ」

「本気ですか?あんなものは烏合うごうしゅうに過ぎんでしょう」

寺島忠三郎は笑い飛ばした。

「お前は彼らが何者か知っているのか」

「何者でもないということは、知ってます」

楠が鼻で笑い、同意を示した。

上手うまいことを言うじゃないか」

桂は二人の顔を交互に見て、さとした。

「わかっていないな。本当に恐ろしいのは、飼いならされ、きばを抜かれた旗本はたもと連中ではなく、彼らのような存在だ。『思想を維持する精神は、狂気でなければならない』これは敵にも当てはまるのではないのか」

桂は、寺島の師である吉田松陰(よしだしょういん)の言葉を引いた。

「みだりに先生の金言きんげんを用いないでください。つまり、奴らもまた、草莽(そうもう)の士であると言いたい(わけ)ですか?」

寺島は嫌な顔をしたが、同時に松下村塾しょうかそんじゅくで、ともに学んだ高杉ら、破天荒はてんこうな仲間たちを思い浮かべてもいた。

「それは分からんが、分からない以上見縊(みくび)ってはいけないということさ。知る限り、少なくとも近藤勇は一流の武人だ」

桂小五郎という男は、ほとんど小心と言っていいほど慎重しんちょうだった。

「で、なにか手を打ちますか?」

「すぐ近くの壬生にあんな連中がいては、安心して島原で酔えんからな。とは言え、彼らはまだ、お上に物申ものもうすだけの力はないだろう…。楠、今日来てもらったのはその浪士組の件だが」

「ええ」

「この件は、お前に任せたいと思うが、どうだ?」

「浪士組とやらに(もぐ)れと?ずいぶん、やり方が回りくどいな」

「やるのか、やらないのか」

いざという時の桂の言葉には、威圧感(いあつかん)があった。

「情報は、あんたに流せばいいのか」

それを肯定の意思表示と受け取った桂は満足そうな笑みを浮かべた。

「あまり、直接的な接触は持たない方がよかろう。それについては、追って連絡する」


間近(まぢか)に迫る危険を山南たちに知らせねばならない。

琴は、歌声に()き消されそうな会話に聴き耳を立てていた。

しかし、本来諜報活動(こうしたこと)には向いていないせいか、幾許(いくばく)かの罪悪感はぬぐいきれない。


ふと視線を感じて顔を上げると、桂がじっとこちらを見詰めている。

「せっかくだ。地歌じうたをやってくれないか」

桂は唐突とうとつに希望を伝えた。

「えっ?わたし、ですか?」

考えていたことが顔に出て、怪しまれたのだろうか。

琴はあせりをさとられないよう警戒した。

「なにか、得意はないのかい?」

仮にも島原の天神を名乗る以上、ここで断るのは不自然だ。


答えに詰まる琴を見兼ねて、桜木が助け舟を出そうと口を開きかけたとき、

「『出口の柳』なんかどないどす?」

一歩早く、高砂太夫が提案した。

「いいね」

桂は微笑ほほえんだ。

だが、感情の読めないその眼は、依然いぜん琴に据えられたままだ。

それが(かん)さわったのか、高砂は少しムッとして、

「一度、舞いをお見せしたい(おも)てましたんえ」

と、さらに桂の気を引いた。


「いらんこと…」

桜木が歯噛(はが)みして、小さく毒づいた。

「ほな、うちが唄わせてもらいます」

負けじと、桜木が前に出る。


「ごめんなさい、(ねえ)さん。わたしまだ上方(かみがた)の唄は…」

琴は桜木の耳元で()びた。

「しっかりしいや明里。あんたかて、早よ馴染(なじ)みを作ってもらわなあかんのやし」

桜木は小声で琴をしかった。

勤王芸者きんのうげいしゃの間でも、やはりライバル意識があって、

二律背反(にりつはいはん)とでも言おうか、イデオロギーと独占欲は相容あいいれないものらしい。

道場育ちの琴は、自分の性別を棚に上げて、つくづく女という生き物の複雑さに閉口へいこうした。

「ほんなら、うちが三味線しゃみせんを。明里、手拍子(てびょうし)と合いの手をお願い」

嬉野うれしのがさりげなく琴を(かば)い、桜木と並んで三味線しゃみせんを構えた。


♪たてまつる、

奈良の都の八重桜やえざくら 

けふ九重(きょうここのえ)に浮かれ来て 

二度の勤めは島原の

出口の柳にふりわけて 

恋と義理との二重帯にじゅうおび 

結ぶちぎりは仇し野(あだしの)の 

夜霧よぎりき身の誰ゆえに 

世渡る舟の、かひもなや 

寄辺定よるべさだめぬあま小舟

岸にはなれて頼りなや 

島かくれ行く磯千鳥いそちどり


桜木のふうわりとした唄声が、揺蕩たゆたうように、空気へ溶けてゆく。


皆がその調べと高砂太夫の舞いにひたる中、それでも桂は、しばらくの間、琴を見つめていたが、寺島にそでを引かれて、意識を引き戻された。

「…いいんですか?」

「なにが?」

問い返すと、寺島は楠小十郎をあごで指して、顔を(しか)めた。

「あいつ、イカレてますよ?」

「ふふ、それもまた、一興いっきょうだと思わないか?」

無表情に舞いを眺める桂の横顔からは、その真意がどこにあるのか、寺島にも読み取ることができなかった。


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