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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
角力之章
336/404

花街の諜報戦 其之弐

「明里」

琴が輪違屋わちがいやに戻ると、鏡台きょうだいの前で化粧けしょうをしていた桜木大夫さくらぎだゆうが、鏡越かがみごしに声をかけてきた。

「はい」

「ちょっと話があるんやけど、よろしか?」


この桜木太夫こそ、琴がこの置屋おきやを選んだ理由だった。

彼女は長州の祐筆(ゆうひつ)、桂小五郎の馴染(なじ)みで、攘夷派(そのすじ)の情報に通じているとうわさされている。

その名の通り、優美で気品のある美しさをまとった女性で、輪違屋わちがいやでは花香太夫と好対照をす、もう一方の大輪たいりんの華である。


今日の琴は、山南との逢引(あいび)きも消化不良に終わって、気分が(ふさ)いでいたから、少し救われた気分になった。


花君太夫(はなぎみだゆう)一之天神(いちのてんじん)の禁断の関係を目撃したあの日、琴自身も花香(はなか)誘惑ゆうわくされて、

それ以来、まともに彼女たちの目を見て話すことが出来なくなったので、

輪違屋わちがいやでは、なんとなく居場所がなかった。


桜木太夫は以前から琴を気にかけていたから、そんな異変に気づいたのかもしれない。

ここのところ、よく話しかけてくるようになった。

穿(うが)った見方をすれば、琴が花香太夫、花君太夫ら「公武合体こうぶがったい派」と距離を置いているのに目敏(めざと)く気づいて、近づいてきたのかもしれなかった。


「今日のお座敷なんやけど、あんた、身体が空いてるんやったら、ちょっと手伝(てっと)うてくれへんか」

「わたし?」

「あんたも売れっ子になってしもたさかい、いそがしかったら無理にとは言わへんけど、長州屋敷の方が仰山(ぎょうさん)みえはるし、あんたみたいな綺麗(きれい)どころが()ったら助かる」

角屋すみやのような揚屋あげやには、天神以上の芸妓げいぎしか上がれないことになっているから、おのずと声をかける相手も限られてくる。

このオファーには、明里天神の「集客力」を見込んで、攘夷じょうい派に取り込こもうという意図いとも見え隠れしていた。

しかし、このチャンスをのがす手はない。

「無理なんて、そんな。ぜひご一緒させてください」

「そうか。ほな、お願いしようかしら」

「長州というと、太夫こったい馴染なじみの旦那様ですね」

桜木は琴に向き直ってニッコリ笑った。

しかし、その眼の奥には、普段見せないような警戒心がひそんでいるようにも見える。

桂の名前を引き出そうとしたのは、少し踏み込みすぎたかもしれない。

「そや。長州の祐筆ゆうひつ、桂小五郎先生(せんせ)どす。先生せんせは、お話も面白おもしろおすえ?あんたにとっても、ええ勉強になる思うわ」

桜木最大の誤算は、一度取り込んでしまえば、琴の信条をいわゆる勤王芸者きんのうげいしゃに塗り替えることなど容易たやすいと見くびっていたことかも知れない。

しかし彼女は、あの清河八郎ですら、中沢琴をらせなかった事実を知らなかった。

「ぜひ」

琴は、気がはやるのを抑えて、それだけ答えた。


「ほな、早よ支度(したく)しい」

「あの、太夫こったい。ありがとうございます」

「ええんよ。その代わり、酒席しゅせきで見聞きしたことは他言無用たごんむようえ?」 

桜木はおどして釘を刺すのも忘れなかった。

「もちろん、くるわの習いは心得こころえています」


以前、北新地の紀伊国屋きのくにやで女中の小寅から聞いた話によれば、

桂小五郎は、薩摩に伝言を残したという。


「連絡を待ってるて。島原の輪違屋わちがいやにいる桜木太夫さくらぎだゆうに手紙くれたらええからて」

小寅はそう言っていた。


琴の知る限り、彼らが接触した形跡けいせきはまだなかったが、少なくとも桜木と桂がつながっていることは間違いなさそうだ。


「ついせんに、三条河原で可寿江かずえゆうひとが裸でさらされたんは知っといやすか?」

「ええ、聴いたことは。ひところは祇園(ぎおん)で人気の芸妓げいぎだったとか」

「ほんなら、彼女が何をしたんかも、聞いたはるなあ?」


村山可寿江むらやまかずえこと村山たかは、安政あんせい大獄たいごく時代に幕府の間諜スパイとして暗躍あんやくした女性で、元芸妓(げいぎ)という経歴から花柳界(かりゅうかい)の人脈を生かし、様々な工作活動に関わったとされている。

一説にはさき大老井伊直弼たいろういいなおすけ情婦じょうふといい、彼の政敵せいてきを次々と刑場送りにしたという。

「え、ええ」

琴は、不自然でない程度に(おび)えた振りをして見せた。

「ほんなら、よろしおす」


琴は一人になると、思わずこぶしを握りしめ、

「ついにきた」

口に出してから、さきほど山南が同じセリフを吐いたのを思い出して、ひとり苦笑した。


「今日は他のお座敷からのお誘いがあっても断って」

琴は禿かむろを呼んで言いつけた。

しかし、その様子を見咎(みとが)めた輪違屋わちがいや主人、善助が琴の肩を叩いた。


「明里、来なはれ」


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