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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
角力之章
330/404

流転の浪士 其之壱

さて、ここに至って、小笠原長行おがさわら ながみちの動向が世間の耳目じもくを集めることとなり、自然、舞台の中心は大坂へと移る。


そうなると、行きがかり上、大坂にいる阿部何某(なにがし)の方に、目を向けないわけにいかないだろう。


なので、気は進まないが、出羽国でわのくに亀田藩かめだはん脱藩だっぱん浪士、阿部慎蔵が、これまでにくぐり抜けてきた冒険の最後の方だけを簡単におさらいしておきたい。


宝蔵院槍術ほうぞういんそうじゅつ谷万太郎道場の借金返済に奔走ほんそうしていた阿部は、“親友”中沢琴に協力をあおぎ、たちの悪い借金取りを道場から遠ざける(追い払う)算段をしていた。

しかし、計画はどんどん脱線して、その過程で、なぜか浪士組隊士家里次郎(いえさとつぐお)脱走騒だっそうさわぎに巻き込まれてしまう。

おかげで、心配していた借金の取り立ては一旦ウヤムヤになったものの、阿部は相棒の中沢琴ともそのままはぐれてしまったのだった。

以上


そして、

家里次郎の逃避行とうひこうが悲劇的な結末を迎え、ひと月余りが経った。



しばらくは借金取りから身を隠していた阿部も、そろそろ余熱ほとぼりが冷めた頃かと暗い穴蔵あなぐらからい出る決心をした。

穴蔵あなぐらというのはもちろん、モノの例えで、日本橋の南、長町にある木賃宿きちんやどの一室である。

ところが、 阿部を追いかけ回していた借金取り、石塚岩雄の方でも、やはり同じように頃合ころあいを見計らっていたらしく、滑稽こっけいにも同じようなタイミングで接触を図ってきた。


「クソ!どうやって此処ここぎつけやがった!」

阿部は、年老いた宿の女主人が届けた石塚からの手紙にチラリと目を通すと、すぐビリビリに破いて窓からまき散らした。


この借金取りというのが、当節とうせつ流行はやりの不逞浪士ふていろうしを絵に描いたような男で、

荒っぽい取り立てはもちろん、用心棒の真似事マネごとや、人買ひとかいといったキワどい仕事ばかりを好んで生業なりわいにしている。

ときには一線を越えて、非合法な仕事に手を染めることもいとわず、目下もっかは、「天下浪士」を名乗るニセ治安部隊を結成、押し借りを組織化して、効率的に荒稼あらかせぎしていた。

これは、皮肉にも例の家里次郎いえさとつぐおが発案した隊士募集計画に着想ちゃくそうを得た手口だった。


「おう、なんさらしとんじゃ、コラ!」

突然、窓の外から粗野そやな怒鳴り声が聞こえた。


なにごとかと階下したのぞいてみると、宿の玄関先で、細切こまぎれに破いた紙クズを頭からかぶった浪士が二人、こちらをにらみつけている。

「あ、俺?俺に怒ってんの?」

阿部には、二人の顔に見覚えがあった。

昨晩、隣の部屋に泊まって、夜遅くまで酒を飲んで騒いでいた連中だ。

「おう、おまえか?他人ひとのドタマにゴミクズぶちけくさって!ボケが!」

阿部は、ひたい青筋あおすじを立てて口汚くののしる浪士が、なにやら滑稽こっけいに見えて、

「失礼!だが、あんたら『三人吉三さんにんきちさ本郷火の見櫓の場ほんごうひのみやぐらのば』てな風情ふぜいで、なかなか悪くない感じだぜ?」

人気役者の市川小團次いちかわこだんじ岩井粂三郎いわいくめさぶろう(岩井紫若)が紙吹雪を浴びる場面になぞらえて、揶揄からかった。

「なんやと!クソが!今日は先を急ぐさけ、見逃したるが、今度()うたら目んタマエグったるど!覚えとれよ~!」

人相の悪い二人組は、見た目通り品のない捨て台詞ぜりふを吐くと、肩をそびやかして立ち去って行った。


「けっ、一昨日おとといきやがれ!高島屋!」

ヤケクソ気味ぎみの阿部は、歌舞伎かぶき大向おおむこうを気取り、その後ろ姿に罵声ばせいを浴びせた。


「さてと」

阿部は、捨ててしまった手紙の内容を思い返した。

たしか、石蔵屋というぜんざいの店が待ち合わせ場所に指定されていたはずだ。

阿部のいる安宿街やすやどがいから、道頓堀川に沿って10町(1.1Km)ほど北に行ったところである。


「やれやれ、こいつぁ春から 縁起えんぎがいいわい」

皮肉を込めてくだんの演目の名台詞めいぜりふを口にしながら支度したくを済ませると、重い足を引きずって宿を出た。


大坂の地理には明るいので、近道を選んだのはいいが、そうすると途中で高津新地という岡場所おかばしょ私娼街ししょうがい)を抜ける必要がある。

ムシャクシャしていた阿部は、後ろ髪を引かれる思いだったが、ふところには、とても女遊びができる余裕はない。

「あーあ。お琴の奴はどっか行っちまったし」

思わずため息が出た。

前回の呼び出しでは、借金をたてに、阿部のことも裏稼業うらかぎょうに引き込もうとしたくらいだから、どうせロクな話にならないのは目に見えている。

仕方なく、岡場所の門を出たところにある干菓子ひがしの店で岩粔籹いわおこしを買って、バリバリかみくだきながら気を紛らせた。


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