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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
花見之章
33/404

花見 其之壱

試衛館しえいかん門徒もんとたちを総動員した捜索そうさくもむなしく、中沢琴の行方はようとして知れなかった。

その日おそく。

浪士たちは、ふたたび新徳寺の本堂に集められた。


「諸君、よろこんでくれ。

みかどはわれわれの希望をれられた。

これよりわが浪士組は、ただちに前線へこまを進める」


清河八郎は、高らかに宣言した。


浪士たちは、その言葉の意味するところよりも、自分たちの名をつらねた建白書けんぱくしょが孝明天皇の玉眼ぎょくがんにふれ、あまつさえ認可を下されたという事実に感動してどよめいている。

実際のところ、それに天皇が直接目を通したとは、とても思えなかったが。


ともあれ、清河の企みも、これで朝廷のお墨付すみつきを得たわけだ。

浪士組の幹部たちは苦虫にがむしをかみつぶしたような顔をしている。


「前線ねえ。清河先生、前線てないったいどこです。もう少しくわしく教えてもらえねえか」

いならぶ浪士たちの中ほどから声があがった。

清河はそこに、不敵ふてきな笑みを浮かべて立つ芹沢鴨を見た。

その瞳には挑発的な光が宿っている。


清河は片方のまゆをあげると、酷薄こくはくな眼差しを返した。

「つまり、これから東へとって返し、横浜に艦隊を停泊ていはくさせ、生麦なまむぎの件で脅迫きょうはくまがいの談判だんぱんを行っているイギリス人どもに、ひとあわ吹かせてやるということです」


謀略ぼうりゃくの天才、清河八郎は、ついにその真意を明かした。


聴衆ちょうしゅうの前列に陣取じんどってこの話を聞いていた山南敬介は、唇をかんで、

「くそ!」と小さく毒づいた。

となりに座っていた近藤勇は、それをちらと見たが、すぐに視線を正面にもどし、無言でことのなりゆきを見守っている。


清河のいう生麦の件とは、前年、横浜の生麦村なまむぎむらで起こった、ある事件を指している。

文久二年八月廿一(にじゅういち)日、薩摩藩の実質的指導者、島津久光ひきいる400の軍勢が、江戸から京へ向かってこの村を通りかかったときのことだ。

観光目的で村の近辺に居合わせたイギリスの生糸商きいとしょうマーシャルとその一行が、馬上ばじょうのまま隊列にまぎれ込んでしまった。

だがこれは、藩主の父、久光を押し立てた事実上の大名行列だいみょうぎょうれつである。

イギリス人の非礼ないに腹をたてた薩摩藩士たちは、無礼討ぶれいうちと称して彼らに斬りかかり、一人を斬殺ざんさつ、マーシャルを含めた二人に重傷を負わせた。


事件を受け、イギリスは10万ポンドという莫大な賠償ばいしょう金を幕府に請求した。

これが文久三年二月十九日、浪士組が京に向かう途上とじょうにあった、まさにその頃のことである。


「そりゃあ、豪気ごうきなはなしだ!たいしたもんだ!」

芹沢鴨はおおげさに手を打ってみせた。

そして、のっそり立ち上がると、例の大鉄扇(てっせん)の先で清河を指した。

「だが言っとくがなあ、清河さんよ。俺たちゃわざわざこんなとこまで花見にきたわけじゃねえんだ。このまま何もせずに引き返すってのは、どんなもんかねえ」

「もはや目的は果たした。我らは攘夷じょういの実行という大事だいじの許可をとりつけたんだからな」


それまで二人のやり取りを黙って聞いていた近藤勇が、おもむろに腰を上げた。

「我らは幕府の呼びかけに応じて、今ここにいる。そもそもの目的は、大樹公たいじゅこう(徳川家茂)をお守りすることだったはずです。攘夷も結構だが、まずは大樹公のご指示をあおぐのがすじというものでしょう」

清河は、近藤の方を見向きもせずに言った。

「事態は一刻の猶予ゆうよもない。交渉のなりゆきによっては、横浜でいつ戦端せんたんがひらかれるのか、予断よだんをゆるさんのだからな」

「始まるか始まらないかわからん戦争のために、また横浜まで戻るというのですか。家茂いえもち公は、まちがいなく、もうすぐ上洛じょうらくされるというのに」

清河は、ゆっくりと近藤に向き直り、静かに、しかし、断固だんこたる意志を込めていた。

「近藤先生、これはみかどおぼしだ。せっかく家茂公が帝に攘夷を約束されても、戦場にわれら兵士がいなければ話になるまい」


確かに、今こうしている間にも、横浜では幕府とイギリスの交渉が、続いているはずだった。

ここにきて事態が緊迫きんぱくの度を増しているというのは、あながち方便ほうべんとばかりも言えない。


だがこの状況は、清河にとってまさに好都合だったのだ。

彼の思惑おもわくは、交渉の行方ゆくえなどとは関係ない。

このじょうじてこちらから仕掛しかければ、ろうせずして「攘夷」の導火線どうかせんに火をつけることが出来るだろう。

やがて、その小さな火は、より大きな戦火を呼ぶ。

手持ちのこまを二百ばかりしか持たない浪士組にとっては、考えうる最大の効果をあげられるはずだ。


おそらく、幕府は負けるだろう。

清河八郎ほどの男が、それをわからないはずがなかった。


そして、それこそが清河の狙いだったのだ。


彼のかかげる「打倒欧米列強だとうおうべいれっきょう」にウソはない。

しかし目的をげるためには、既存きぞんの政治体制(徳川幕府)をうちこわし、それに代わる法秩序ほうちつじょをつくることが絶対条件であるというのが、彼の持論じろんだったのである。


天地を引っくり返す。

彼が、「回天かいてん志士しし」と呼ばれる由縁ゆえんだ。


「それは、詭弁きべんだ。江戸には幕府軍だっている」

近藤は、清河の考えを見透みすかすようにこたえた。

「ハ!」

清河は嘲笑ちょうしょうをうかべ、幕臣である鵜殿鳩翁うどのきゅうおうや佐々木只三郎をかえりみた。

口にこそ出さなかったが、その笑みには、幕府の老中ろうじゅうどもに何ができるというふくみがある。

たしかに彼らは、これまで再三さいさんにわたって譲歩じょうほをくり返してきた。

「こう言っちゃなんだが、私には、幕府はいまだりをつけられないでいるように見える。鵜殿様、実際のところ、どうなんです」

思わぬに、浪士組の長、鵜殿鳩翁は一瞬返答につまったが、

大樹公たいじゅこう御心みこころはかるなど、僭越せんえつなまねはできん」

と応えたきり、押しだまった。

「上手く逃げましたな。さすが、場数ばかずんでるだけのことはある」


佐々木只三郎が、こめかみに青筋あおすじを浮べて清河をにらんだ。

「きさま、無礼ぶれいであろう!」


しかし、彼ら幹部にとっても、浪士組の実権を清河に奪われたいま、彼らをこのまま京に置いておくことは好ましくなかった。

奇妙なことに、江戸に引き返すというその一点において、清河と鵜殿、佐々木らの意見は、一致していた。


ところが、

芹沢鴨ほど思うにまかせない男もいない。


「まあ、いいさ。行きたきゃ横浜でもどこでも、勝手に行きゃあいい」

彼は、終わりの見えない議論をち切った。

清河と近藤は、いや、その場にいる全員がいっせいに芹沢へ視線を注いだ。


「だがな。俺は残るぜ」


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