後始末の方法 其之壱
翌、五月廿七日。
朝の五つ、京都市中二条木屋町に、
旅装束に身を包んだ浪士組局長、新見錦の姿があった。
新見は水戸時代の恩師吉成勇太郎宅の門前で先ほどから誰かを待っている風である。
「遅い…」
二条河原の中洲に架かる橋の方を眺めながらつぶやいた時、
「水臭いじゃないですか。新見さん」
背後から聞き覚えのある声がした。
振り返ると、猪首のずんぐりした男が立っている。
「平間さん。どうして…?」
新見を見送りに来た、浪士組の同志、平間重助だった。
「今日馬関へ立つと芹沢さんから聞きました。出発を早めたとか」
「なんとか馬関行きの資金に目処もついたんでね」
そう言った新見の眼が、芹沢の姿を探して彷徨うのに平間は気づいた。
「あの人は、見送りなんて照れくさい真似は苦手だから、“新家粂太郎”によろしく言っといてくれと」
「ふ、芹沢さんらしいな」
この頃の新見は、再び旧名の新家粂太郎を名乗り、吉成勇太郎の口利きで、長州藩に攘夷実行嘉賞の勅諚を届ける(つまり長州が諸外国と開戦したことを帝がお褒めになっていると伝える勅使)正親町公董の親兵として、馬関海峡(現在の関門海峡)に向かうことになっていた。
この月には、水戸の吉成、今泉与一太郎らとともに三条通河原町東入ルの旅籠「万屋」で8両の借用書を残すなど、着々と準備を進めていた形跡が伺える。
もっとも正式な辞令は、まだ半月先の話なのだが、これらはすべて長州のシナリオに沿った既定路線で、
新見自身、思わぬ天恵によって馬関海峡の現実を見届ける好機に恵まれたものの、内心では長州の自作自演に苦々しい想いを抱いていた。
しかし、時の日本は国民総人種主義者の時代である。
ましてや水戸に生まれ皇国史観の洗礼を受けて育った新見には、やはり敵の敵は味方という理屈の方が勝るのだった。
「誰かと待ち合わせですか?」
平間は新見が眺めていた橋の方を見遣った。
「ああ、まあな」
新見は尖兵として長州に先乗りする会津の平石林之助に掛け合い、同行を願い出ていた。
この日、この場所で落ち合うことになっている。
馬関に着いてしまえば、一兵卒として志願し、戦闘に参加するつもりでいた。
「しかし…遅いな」
約束の時間を少し過ぎた、そのころ。
平石林之助は、橋を渡り切ったほんの一丁足らず先の頂妙寺の辻で、目深に笠を被った浪士に足止めを食っていた。
浪士はいきなり現れたかと思うと行く手を阻み、
「…何か御用ですかな」
平石が尋ねると、ゆっくり刀を抜いた。
「…知る必要はあるまい」
低く応じた声は、浪士組副長助勤、斎藤一のそれだった。
「あんた、浪士組だな?」
「…」
刺客は答えなかった。
「その沈黙は肯定と受け取ればいいのか?」
「問題は俺ではなく、あんたの素性だ。俺に言えるのは、それがはっきりない以上、面倒な事にならない内に、始末した方が賢明って事だ」
平石はこの謎かけのような答えに思い当たる事があるらしく、歯並びの悪い口元をニヤリと歪め、自らも刀に手をかけた。
どうやら腕にもそれなりの自信があるらしい。
「話をするだけ無駄というわけ…」
平石林之助の不運は、対峙した相手が、浪士組の中でも屈指の使い手、斎藤一だったことである。
斎藤の剣には、余計な駆け引きというものがない。
平石が言い終わらないうちに、鋭い左突きが空気を切り裂いた。
しかし、その切先は、
平石の眉間を捉えたかに見えた刹那、
わずかに逸れて、頬を掠めた。
手元が狂ったせいではない。
向こうから橋を渡ってくる新見と平間の姿を視界に捉えた斎藤は、
寸前で軌道を変えたのだった。
「貴様!何をやってる!」
新見は息を切らしながら怒声を上げた。
「ち!」
斎藤は舌打ちして、刀を納めると、その場を離れた。
二人は平石に駆け寄った。
「平石さん!ご無事ですか!」
「…助かりました」
「何があったんです?今のは?」
刺客は素早く辻に入り、その姿はもう見当たらない。
「おそらく、今の賊は貴方の昔のお仲間だ」
新見は眉間に皺を寄せた。
「…なんだと?」
「まあいい。それより、その旅装束は、馬関行きを決心されたようですな。よろしいのですか?」
平石は何事もなかったかのように尋ねた。
「何がです?こちらから依願したというのに、おかしなことを聴くじゃないですか」
「だって、急がずとも、半月後には親兵として長州に赴くはずでしょう?」
「半月ですよ?紅毛人(外国人)どもが、このままやられっぱなしで黙っているはずがない。横浜のクロフネが下関に向かってくるのは時間の問題です。グズグズしていれば、戦闘は終わってしまう。それとも、迷惑ですか?」
「そうではないが、どこまで信用していいのか、正直不安が残ってはいます。あなたは水戸を脱藩して、今は会津お預かり浪士組局長の身分だ。それが長州にくっついて馬関に向かうなど」
平石は疑わしげに平間重助をジロリと睨む。
「私はただの見送りだ」
平間は身分を隠したつもりだったが、平石は黒谷の会津本陣で何度も彼の顔を見ている。
新見は、平間を庇うように前へ出た。
「私は出来れば前線を見たいのです。お公家様のお供では、それは願うべくもありませんからな。だから、浪士組とは縁を切ってきた。しかし、あなたこそ、聴くところに依れば、黒谷本陣では立石と名乗っておられる。平石、立石、いったいどちらが本当の名です?」
「会津の厩番、立石が私の家名です。平石は攘夷のため草莽の志を立てた時に自身で名乗った姓だが、今ではこちらが本当の名前だと思っております」
「それを信じろと?」
平石は含み笑いを漏らしながら小首を傾げた。




