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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
凶刃之章
326/404

サキュバスの巣 其之弐

唯一の例外は、故郷にいた頃の半次郎が、ちょっとした意見の食い違いから、決闘けっとうを申し込んできた石見半兵衛という男に対して、道理(どうり)を説いて言い負かしたという思い出話で、

確かに武辺者ぶへんものというパブリックイメージを(くつがえ)逸話いつわではあったが、中村と顔見知りの琴にとっては、さして意外でもなかった。

多分、こんな肩透かたすかしの情報では、あの土方歳三や山南敬介を納得させることなど出来まい。


しかし実のところ、琴の聞かされた半次郎評は、まだ控えめな方だと言っていい。

薩摩のカリスマ西郷隆盛などは、彼のことを一種の天才であると認めており、後年、「学問の造詣ぞうけいあらしめば、到底吾人とうていごじんの及ぶ所にあらず」とまで評価している。

それが正しければ、通説では西郷の片腕とされる中村は、むしろ一個の独立した将と見做みなすべき存在であり、土方たちがもっとも警戒しなければならない相手だった。


「ほんで?その武勇伝の中の半次郎に浮かされて、めうつ移りしてしもたとか?」

「え?」

「気の多いことやし。うわさやと、あんたのええ人て、浪士組のエライさんどすやろ?」

ちょうど山南のことを考えていた琴は、思わずドキッとして、柄にもなく狼狽うろたえた。

「だ、誰がそんな」

「おや、アワ食うて。あんたも可愛かいらしいとこおすなあ」

花香は、琴が照れたのだと都合よく解釈して、

「たしか…新見はん?」

かまをかけた。

「あ、ああ、新見さん。いえ、あの方は違います」

「ということは、(浪士組の)別のお人どすな?」

口を滑らせて、図星を指された琴は、今度は本当に真っ赤になった。

「どっちでもいいでしょ、そんなの!」

「そやなあ。どっちにせえ、あんまり入れ込んだらあかんえ。最後ににがい想いするんは、いつも女やし」

「それはそうかも。けど、私も今さら色恋いろこいに変な期待は抱いてませんから」

琴は天をあおぎ、かぶりを振ると、これ以上の詮索せんさくを逃れるため、死ぬ思いで熱いお茶を一気に飲み干した。

「先に休ませてもらいます。おやすみなさい」

花香太夫は、琴が軽くむせるのを見て、小さくプッとき出した。

「おやすみやす」


「やれやれ」

琴は、芸妓げいぎたちが寝起きする大部屋に戻ろうと、そそくさと廊下ろうかに出たが、通りかかった布団部屋ふとんべやから小さな声が漏れてくるのに気づいて足を止めた。

かすかではあるが、あきらかに誰かがみだらな快楽に甘くあえいでいる。

遊女たちが置屋に客を連れ込むはずもないから、

あるいは、ご法度(はっと)である下男との秘め事かと琴は勘繰かんぐった。

ふすま隙間すきまから、そっと中を覗いてみると、仰向あおむけに横たわる女といきなり目が合って、琴は思わず後ずさった。


しかし、頭をもたげる好奇心にはあらがえず、布団部屋の暗闇に、さらに目をらすと、

着物をはだけた女が二人、脚をからませあっている。

先ほどの女が、もう一度こちらを見て、さそうように微笑みかけてきた。

琴は、それが一之いちの天神であることに気づいて、また息を呑んだ。


その一之の肩に口づけをしているのは、土方のお気に入りの花君太夫だった。

「…ウソでしょ」

琴は、思わず声に出していた。

身体に回っていた酔いが一気に引いていく。


女所帯の置屋おきやでは、こうした恋愛もあるのだろうか。


遊郭ゆうかくの女性たちもまた、志士らに触発ゆうはつされて、得体のしれない不安を共有していたことは否めない。

それが彼女たちを(従来の常識では)インモラルな行為に走らせたのかもしれない。


琴が呆然と二人に見入っていると、

「…ウソやない。明里、あんた、ああいうのに興味あるんか?」

後ろから、花香太夫が肩を抱いて、たもとに指を滑り込ませてきた。

「べ、別に。ああいうこともあるのかと…」

原田左之助ならともかく、琴が普通の女に背後を取られるなど、普段なら絶対に考えられないことだ。

しかし、同性愛(レズビアン)免疫めんえきのなかった彼女が、動揺どうようしたのは無理もなかった。

「ふふ、そう?」

花香は琴の胸を優しく鷲掴わしづかみにして、耳元に唇を寄せた。

「やめて」

琴は自分の声がかすれているのに気づいた。

花香は琴の耳に息を吹きかけるようにささやきながら、彼女の胸を愛撫あいぶした。

「わたしかて、別にそのはあれへんけど、あんたみたいに綺麗なやったら、考えたげてええし。例の浪士組の副長はんも、その可愛い声でたらし込んだんか?」

琴は、我に返って花香の手首をつかみ、引きはがした。

「ち、ちがっ、そんなんじゃ…!」

「はは、冗談や。揶揄からこうただけやし」

花香は悪びれず、先を続けた。

「そおうたら、あんたが最初にお相手した、その新見はんのことやけど」

「新見さん?…新見さんが何か?」

この少し前、隊を離れた新見は、表向き局長から副長に格下げされていた。

「副長」と聞いて山南の顔が頭にあった琴は、また赤くなった。

「そう、その新見はんなあ…馬関に行かはるんやて。あの二人がお座敷で水戸の旦那だんなはんから聞いたらしい」

花香は布団部屋を小さくあごで指して言った。

「知ってます」

「あらそう?お武家はんが負けるゆうのは、つまり死ぬゆうこっちゃ。クロフネ相手にいくさゴッコなんて正気の沙汰さたやおへんなあ?そやけど、うちらの客なんてそんなもんや。入れ上げたところで、すぐどっか遠くへ行ってしまう。それやったら、うちらにもなんぞ楽しみがないと」

琴は首筋に口付けようとする花香から顔を背けた。

「だから!新見さんとはそういうのじゃありません」

そのほおがわずかに上気しているのを見て、花香は妖艶ようえんに笑った。

「うちなら、あんなゴンタどもより、よほどあんたを気持ちおさしたげるえ?」


琴は振り返って、迷惑めいわくそうにまゆを寄せた。

「どうかしてる。お楽しみの相手なら、誰か他をあたって!」

興覚きょうざめした花香は、琴のほお沿わせた指をあごの先端に流し、クイと持ち上げると、唇をとがらせて見せた。

「…つまらんやし。そやけど、いつまで我慢がまんできるやら?あんたなら本気で可愛がったげるさかい、よお考えよし」


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