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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
凶刃之章
325/404

サキュバスの巣 其之壱

同日夜、島原遊廓(しまばらゆうかく)

中沢琴、もとい明里天神は、その日も花香太夫とお座敷を務め、輪違屋わちがいやに戻ったのは九つ(0:00AM)を回った頃だった。


「ホンマあの人らときたら、えげつないウワバミやし。もうかるのは結構どすけど、こっちの身がたへん」

高下駄たかげたを脱ぎながら愚痴グチを漏らす花香に琴は苦笑いした。

今日の客は、錦小路の薩摩屋敷に詰めている若い藩士たちである。

実のところ、伏見義挙ひしみぎきょの闇資金に関する情報を聴きだすには千載一遇せんざいいちぐうのチャンスがめぐってきたと期待したが、藩士たちのどんちゃんさわぎはいつ果てるとも知れず、とても政治向きの話をする雰囲気ではなかった。

三味線しゃみせんげんを押さえていた指がヒリヒリするし、彼女たち自身かなり酒を過ごしていて、足元もフラついている。

「ええ。ウワバミは見たことないけど、真夏の野良仕事(のらしごと)に駆り出された牛が、田んぼの水を飲むときってあんな感じ」

「あんた、うちよりクチ悪おすえ。気いつけよし」

アルコールのせいで琴の口調がやや辛辣しんらつになっているのを花香がたしなめた。


確かに、今夜の客はそろいも揃って酒豪(しゅごう)だったが、志士と呼ばれる若者たちが正体をなくすまで飲むのは、別にめずらしい事ではない。

それは、この時代の空気とも無関係ではなかった。

日本は、諸外国との交渉で、和親条約わしんじょうやくから修好通商条約しゅうこうつうしょうじょうやく締結ていけつへとジリジリ後退し、譲歩じょうほを続けている。

その詳細を知る者は多くなかったが、漠然ばくぜんとした危機感だけが(ちまた)蔓延まんえんしていた。

若い志士たちの多くを蛮勇ばんゆうに駆り立てたのは、「何かよく分からないが、取り返しのつかないことが起きてしまったのではないか」という、恐怖とも焦燥しょうそうともつかない衝動しょうどうで、それが酒の飲み方にもはっきり現れていた。


今夜、彼らの刹那的せつなてきな人生観に突き合わされた二人は、狂宴サバトの毒気にあてられて、精魂(せいこん)を使い果たしていた。


「だって、もうクタクタ。みんなもう寝ちゃってるようだし、お茶でも()れましょうか?」

琴は火鉢ひばちにかけられた薬缶ヤカンを軽く持ち上げ、お湯が残っているのを確かめると、水屋箪笥みずやだんすの前にかがんでお茶っぱを探し始めた。

「おおきに。そお言うたら、明里、あんた、中村半次郎やらいうお侍のうわさ随分ずいぶんと熱心どすなあ?」

花香はキセルを吹かしながら、琴をジロリと(にら)んだ。

「え?」

「あんた、仕事の話に(かこつ)けて、お客にいらんこと聴いてましたやろ?」

聞かれていたのか。

確かに、客を酔わせて“人斬り”中村半次郎に関する情報を引き出そうとした。

本当は、そんな話などどうでもよかったのだが、いきなり寺田屋のことを聴くわけにもいかないではないか。

ちょうど浪士組副長から中村に関する情報収集の依頼があった矢先やさきでもあったし、同世代の薩摩人たちと親しくなるためには手頃な話題だったのだ。

もっとも、打ち解けた頃には客のほとんどが泥酔して、まともに口のける状態ではなかったが。


琴はバツの悪い顔をしながら、言い訳がましく答えた。

「いえ、あれは…ほら、彼ってちょっとした有名人だから」

「あんたときたら、見かけによらず俗っぽいお題にも通じたはるなあ」

「そうかしら。それほどでも…」「めてない!」

琴のほおが少しゆるむのを見て、花香はキセルを煙草盆たばこぼんにコンと打ち付けた。

「ええか?おぼこ娘がああいうゴンタにあこがれんのは、くるわじゃありがちな話や。そやけど、あんなんは皆、(ろく)なもんやおへん」

急須きゅうすからお茶を(そそ)ぐ琴の手が一瞬止まった。

「彼をご存じなんですか?」

「ご存じかて?ハ、お座敷では、よお耳にする名前や!男なんちゅうのは、酒が進むと大概たいがい『この京で一番腕が立つのは何処どこぞの誰それや』とか、そないしょーもない話になるんやさかい。会うまでもない」

花香は、まるで大きなミミズでも踏んだように顔をしかめた。

「アレは、別にそういうつもりじゃ…」

「幕臣やったら男谷精一郎と山岡鉄太郎。会津の佐川官兵衛に、庄内の清河八郎、それから、土佐の岡田以蔵や。薩摩やと大山格之助に田中新兵衛、あと、あんたがご執心しゅうしんの中村半次郎。名前の挙がるんはたいてい同じ(おんなし)顔ぶれどすけど、そのうち半分はもう墓の下や。そないなもんどす。まして、お仲間に聞いたかて、身内贔屓みうちびいきのええ話しか言わへんし」

それは琴にとっても、耳なじみのある名前ばかりだった。

みな、以前清河八郎から聞かされた在京の豪傑ごうけつたちだ。

「けど、さほど面白い話でもなかったわ」

琴は湯呑ゆのみにお茶をそそぎながら、ため息をついた。

「面白い?あんた、いったい何を期待してたんや?」

「だって、太夫こったい。お仲間の言う“半次郎どん”って、まったく薄気味(うすきみ)悪いほど完璧な男なの。貧しい下士かし出身の苦労人で、学歴はない代わり、その深謀遠慮(しんぼうえんりょ)識者しきしゃ(しの)ぐほどの俊才しゅんさい。それなのに、上下・貴賤(きせん)の区別なく人に接して、謙虚(けんきょ)で、情に厚く、おまけに義理固い。性格を例えるなら、えっと…ほら、言うじゃない?なにか割ったみたいな…」

琴は酔いに任せてガラにもなくまくし立てたものの、いささか呂律ろれつが怪しい。

「は?割ったって誰が?」

「違う!誰が割ったとか、そうじゃなくて!」

「ああ。…竹?」

「そう、それ。竹を割ったみたいだって。それからね、まだあるわ。示現流じげんりゅう奥義おうぎを極めた剣の天才で、居合いあいでは、軒先のきさきからしたたり落ちる雨だれが地面に着くまでに、刀を三度抜いて三度収めるんですって。そんなの、信じられる?しかも、いい?彼の見た目ときたら、まるで(市川)團十郎だんじゅうろう並みで、その証拠に、故郷おくにの若い女はもちろん、年増としま女も、いえ、若い男だってみんな、彼と目が合っただけで体を許したそうよ。ねえ?それが全部本当なら、そんな男が独身ひとりみのままなんて、京の女は鏡に映る自分しか興味ないってことになる」

花香は湯気を立てる湯呑ゆのみをふっと吹いて、冷たい目で琴をにらんだ。

「あー、やかまし!ちょっとお黙り」

琴は口を閉じると小さく両手を上げ、おどけた笑みを浮かべてみせた。

「…ごめん。ちょっと大袈裟おおげさだったかも。若い男っていうのはウソ」

「あんた、酔っ払ってるな?」

しかし、近しい者たちが並べ立てた美辞麗句びじれいくはどれも具体性に欠いており、琴にとっては依然、彼の周辺が謎めいているのも事実だった。


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