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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
凶刃之章
324/404

バタフライ 後篇

おい船頭せんどうせがれで、()んけ頃から、ないがしろにさるんにゃ慣いちょる。じゃどん、人を斬った数だけ、おいはこん世に足跡あしあとを残したんじゃ。じゃっで、島田左近ぁ死に、大獄たいごくは終わった。おいちゅう人間が居らんかったこちさるっだけぁ、いけんしてん我慢がまんならん」


沖田は、自分には理解できないと軽く首を振った。

「そんなの自分が死んじゃえば、どっちだって同じだと思いますがね」


新兵衛は目の前に置かれた刀にそっと手を置き、二人を見た。

「おこころざし、たしけ受け取いもした。じゃっで、もうよかろ。出て行かんね」


「悪いが、こちらもお役目だ。そうはいかん」

斎藤は、結果を見届けるまで帰らないつもりだった。

逆らうなら、それも良しと考えている。


新兵衛は鬼気迫ききせまる表情で斎藤をにらみつけた。

おいも武士んはしくいじゃ。今更いまさら、こいを持って悪あがきしよなどちゅ了見りょうけんはごわはん」


親兵衛が握りしめた拳に、青い血管がいく筋も浮き出るのを、沖田はじっと見つめていた。


「…斎藤さん、行こう。この人を信じよう」


その言葉には、強い尊敬の念、あるいは賛美、あるいは信義、よく分からないが、何かそのようなものが込められていて、斎藤をハッとさせた。



「分かった」

斎藤は納得した様子で立ち上がり、そして新兵衛と最後の言葉を交わした。

「そういえば、 田中河内介のことだが…」

「…」

新兵衛は、沈黙をもってその続きを促した。

「少なくとも柴山弥助という男には、今でもその姿がはっきりと見えているらしい」


それは、意に反して田中河内介をその手にかけた男の名だった。


新兵衛は苦い顔をして応えず、部屋を出る沖田と斎藤に、ただ

「あいがとごわした」

とだけ告げた。



部屋を出るとすぐ、

沖田は斎藤のそでを引いた。

「なに今の?お化けの話?」

「お化けか…そうだな。かもしれん」

「なに一人で納得してるのさ、気持ち(わる)!」

斎藤は小さなため息をついた。

沖田が場違いにはしゃぐのは、一気に緊張が解けたせいだ。

刀を抜かず済んで、心から安堵あんどしていることに、沖田自身は気づいていない。




調べの間にひとり残された人斬り新兵衛に話を戻す。

新兵衛は刀を両手で持ちあげ、眼の高さでゆっくりと鯉口こいくちを切った。


ところがそこへ、沖田たちと入れ代わるように、下働きの女が入ってきた。

「お茶をお持ちしました」


新兵衛はまた、刀身をさやに納めると、

畳の上に置いて遠ざけた。


「あら、浪士組の方々はもうお帰りですか?」

盆を置きながら、女は部屋を見渡した。

此処には新兵衛と二人きりだというのに、なぜか恐怖を感じている様子はない。


「ああ。そんごたる」

新兵衛は、床几しょうぎの上で根付ねつけもてあそびながら、気のない返事をした。

しかし、いつまで経っても立ち去ろうとしない女中を不審に思い、その顔を改めて見て驚いた。


「ワイ(おまえ)は…あん時ん女郎じょろう、おすてか」

それは、“あの”辻君つじぎみが名乗ったいつわりの名前だった。


「思い出してくれた?」


新兵衛は、急にカッとなって、証拠として突き付けられた薩摩下駄を辻君の足元に放り投げた。

「現場い落ちてたそうじゃ。あいはワイ(おまえ)ん仕業しわざんごちゃ」

「なんだ、聞いちゃったの?ずっと不思議だったんじゃない?覚えのない下駄が現場に落ちてたこと。そう、これを置いたのはあたし」

だいな、おいをハメたんは?」

新兵衛は、彼女の背後には、当然誰かがいると踏んでいる。

薩摩か、あるいは土佐勤皇党の誰か。

「人聞きの悪い。姉小路を殺ったのは、間違いなく貴方でしょ?」

確かにその仕掛けは、結果的に捜査を実行犯へと導いた。

「じゃっどん…」

「言いたいことは分かるわ。けど今さら、貴方が何を言ったって、誰も信じない。てか、いいじゃない、もうそんなことは。もっと楽しい話をしましょ」

そう言って女中姿のお捨は、斎藤の残した刀を手に取った。

「ワイとは行きずり(ゆきずい)のはず」


「傷つくわねえ。あたし、例の生糸問屋の離れで、薬を作ってるあんたと会ってるわ」


「ワイは一体(いって)ないがしよごたっ」

辻君はサヤからゆっくりと刀身を引き抜き、それが放つ光にうっとりした表情を浮かべた。

「でも、ほんとはね、その前にも一度会ってる。もう一度、よおく思い出してみて。この顔に見覚えないかしら?」


新兵衛は、眼をらし記憶を辿たどるように辻君を見つめた。

しかし、何も思い出せない。


「そっか…残念」

辻君はひょうのように親兵衛へい寄り、胸を反らして顔を近づけた。

「木屋町で、あんたが島田左近を斬った時、あたしもあそこにいたの」

そして、手にした刀でゆっくりと新兵衛の腹を突き刺した。


親兵衛の目が見開かれた。

「…ワイが?」


残り少ない血液が身体中から抜けていくのを感じながら、それでも新兵衛は、あの時のことを必死で思い出そうとした。

辻君のほおは、興奮で上気じょうきしている。


「だから、そうね、自決なんて名誉を、貴方あなたにくれてやるつもりはないの」


そして、朦朧(もうろう)とする男の耳元に、自分の本当の名をささやいた。

薄れていく意識の中で、新兵衛は眼の前の女と、「その人」を重ね合わせた。


「ふふ、でもこれを復讐だなんて思わないで。私はあの島田左近のためになんか、指一本動かさない」

辻君はあやしくわらい、親兵衛の顔を優しくでながら、挑発的に自分の唇をめてみせた。


「…ひとつだけ教えてくいやい。そいなあ、ないごて」


「あの件に関わった者は、一人残らずこの世から消し去る。そう、あなたや、私も含めて」


「ないごてじゃ」

新兵衛は譫言(うわごと)のように繰り返した。


「分かってるでしょ?貴方あなたの出番はもう終わり。さっさと死になさい」


辻君は、思い切り横なぎにのどを切り裂いた。


部屋の壁に鮮血が飛び散った。


新兵衛は大きく目を見開き、女の顔をまじまじと見つめながら、

事切れた。



辻君はゆっくり立ち上がり、満足そうにそのムクロを見下ろした。

「…そうそう、これはもらっていくわね」

細い指でユニコーンの根付ねつけ(つま)み上げ、(ふところ)に仕舞う。


そして、復讐者から女中の顔に戻ると、何事もなかったように部屋を出ていった。



しばらくのち。


東町奉行、永井尚志は、頃合ころあいを見計らって、調べの間に戻った。


静かに(ふすま)を開けると、その隙間から白い蝶々が舞い出てきて、ヒラヒラと廊下へ飛んで行った。


「どこから入ったのだろう…」

その行方ゆくえを眼で追いながら、永井はひとりごちで、

視線を部屋の中に戻した。



そこでは、計画通りに、全てが終わっていた。




一方。

奉行所から脱出した沖田総司は、同伴する斎藤一がしきりに背後を気にする様子を見咎みとがめた。

「なに?」

「…見られている」

斎藤はボソリと答えた。


沖田は角を曲がるときに後ろを盗み見た。

確かに粗末そまつな木綿の単衣ひとえに手拭いで頰被ほおかむりした男が、こちらをじっと見ている。

「誰?」


「会津本陣で見た顔だ。俺たちが無事仕事をやり遂げたか、確かめに来ただけかもしれんが…」

「だったら、なぜ直接聞きに来ないんだよ」

「さあな」

不味マズい…かな」


男の名は平石林之助。

かつて、芹沢鴨や新見錦とも顔を合わせている、自称「会津黒谷本陣の厩番うまやばん」であるが、

その実、攘夷強硬派の水戸とも接触するなど正体の知れないところがある。


斎藤の眼には、暗い炎が揺らめいていた。

「問題ない。この件は俺に任せてもらおう」



また、蒸せかえるような京の夏が始まろうとしていた。

長い、夏が。


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