極秘任務 其之壱
世の中は事件に満ちている。
幕末という動乱の時代においては、なおのことだ。
しかし、事件には大きく分けて三種類あって、
すなわち、
解決できる事件と
解決出来ない事件。
そして、三つめが
解決しては、いけない事件である。
京都守護職公用方、広沢富次郎が近藤勇に持ち込んできたのは、一番厄介な三つ目の事件だった。
未明に田中を捕らえたその日の朝、会津黒谷本陣からの使いが屯所にいる局長近藤勇宛の手紙を届けた。
「チッ」
自室で手紙を開いた途端、近藤は読んでいた手紙を乱暴に丸めると、
背を向けて縁側に座っていた土方歳三の後頭部に投げつけた。
「イッテッ!なんだよ?」
土方が顔を顰めて振り返り、たった今出来たゴミを拾う。
「読んでみろ」
不機嫌な局長を横目で睨みながら、土方は丸められた紙片のしわを伸ばした。
「なんだこれ手紙か?クシャクシャにしやがって」
近藤は廊下まで出て、ちょうど庭を掃除していた新入隊士の林信太郎に向かって叫んだ。
「林くん、山南さんを呼んでくれないか!」
「承知しました」
林信太郎がホウキを壁に立てかけて八木家の門の方へ歩いていく。
土方は、手紙を広げて一渡りななめ読みした。
「…猿が辻の一件、咎人の一命につき仔細談じたく……これは広沢様から?」
「さっき帰ったばかりだというのに、ムカつく呼び出しだ。どうせろくな仕事じゃねえ」
近藤は羽織を着ながら毒づいた。
土方は、口元に小さく笑みを浮かべ、目線だけをあげた。
「ふふん、かもな。だが、何か含みのある書き方じゃないか。恩を売るにはいい機会だ」
山南は、シワだらけの手紙に一瞬怪訝な顔をしたものの、それには触れず、文面に目を通した。
「…奉行所に引き渡したというのに、彼の処断について、今更私たちに何の相談があるっていうんです?」
読み終わるなり、近藤の顔を見て尋ねる。
近藤は肩をすくめた。
「さあね。だが、物騒な匂いがプンプンしやがる。ま、話だけは聞くさ」
「芹沢さんには声かけなくていいのですか?」
「いや、さすがにまだ寝てるでしょう。それに手紙は俺宛てだ」
「祇園の煮売茶屋にて待つとありますね」
奇妙な待ち合わせ場所に不穏な匂いを嗅ぎ取った山南は、もの問いたげに土方の方を見やる。
土方は面白そうに口の端を吊り上げてそれに応えた。
「何やら思わせぶりだろ?よほど他人に聞かせたくない話らしい」
近藤が立ち上がり、話を切り上げる。
「出かける。支度しろ」
祇園という花街は、八坂神社の門前町が発祥の由来である。
今では夜の方がずっと賑やかで、こんな時間に先を急ぐ近藤たちの様子は、まだ人通りも少なく、どこか気の抜けた町の雰囲気にそぐわなかった。
道端に落ちた残飯をついばむカラスが、道を譲るように次々と飛び立ってゆく。
「お役目とはいえ、せめてひとっ風呂浴びる時間くらい欲しかったな」
朝帰りの男たちを恨めしげに眺めながら、土方がボヤいた。
指定された煮売茶屋に着くと、待っていた会津藩公用方広沢富次郎が手招きした。
「こっちだ」
「浪士組、参上いたしました」
近藤が告げると、背を向けて広沢の差し向かいに座っていた男が振り返った。
その顔を見て近藤はギクリとした。
同席していたのは、薩摩の中村半次郎である。
「…なるほど。『のちほど』とは、このことらしい」
山南が呟いた。
ますます嫌な予感がする。
近藤は気を取り直したように懐から手紙を出して、ヒラヒラと振った。
「広沢様、説明していただけるんでしょうな?これだけでは何の事やら」
「まあ、そっだ所でおっかねえ顔をして突っ立ってねえで、こっつぁ来て座ったらよがんべ?今日はお忍びだ。しだから、たいらにしてくなんしょ。おめらもなんか頼ませ」
「芹沢さんも呼んだ方がよかったですか?」
中村が少し座布団をずらして席を作ると、
近藤は中村の横に、山南と土方は隣の卓に腰を下ろした。
「いや。この仕事は近藤、お主に頼みで」
中村が例の人好きのする笑顔で、近藤の前に置かれた盃に酒を注いだ。
「私がこの店を選んだんですよ。何分外聞を憚られる話ではあるし、皆さんは八木さんのお宅に間借りされていると聞いていましたので」
「そういえば、中村さんは八木さんとは職場が同じでしたね」
「ええ。青蓮院では、たまに顔を合わせます。私も京では新参者ですから、色々と教えていただきました」
近藤は中村の派手ないでたちを見て、口をへの字に曲げた。
「ご謙遜を」
「いえ。田舎育ちですから、上京した折は都の華やかさにずいぶん当てられたもんです」
土方が皮肉たっぷりに笑った。
「ふふ、すっかり馴染んだご様子ですな」
「とんでもない。王都のご婦人方には未だに目移りして困りますよ」
中村半次郎は悪びれる風もなく、そう返した。
「お聞きしていいですか?なぜ中村様が此処に?」
近藤が尋ねると、広沢は急に改まって居住まいを正した。
「実は薩摩からの内々の依頼があり、中村殿はその使いとして参られた」
「煮売り茶屋にですか?」
意地悪な質問に、広沢が渋面を作る。
「…頼まれてくれるか?」
わざわざこうして意思を確認するという事は、非公式の仕事に違いない。
どうやら予感は的中したようだ。
「まずは内容をお聞かせ願えますか」
広沢は自ら呼びつけたにも関わらず、仕事の話になると、突然歯切れが悪くなった。
「うむ…つまりだ…薩摩は新兵衛との接見を望んでおられるが、今、彼の身柄は奉行所が預かっていて、手出しできない…」
近藤にはこの話の要点が見えなかった。
「ええ。朝廷へ突き出したはいいが、(武家伝奏)坊城様から突っ返されまして。やむなく」
広沢は意味ありげに頷いた。
「もちろん、その辺の事情は聴いている。だが、まさにそこが問題の核心でな」
「つまりどういうことです?島津公は奉行所の職務怠慢を懸念しておられる?それとも彼らの手腕では、新兵衛の凶行を立証できないとお考えなのでしょうか?」
「むしろその逆だ。田中新兵衛は、以前じつに四人もの京都町奉行与力をその手にかけたと見られている。町奉行としては面子にかけても自分たちの手で彼を処断しようと復讐心に燃えているだろう」
その話は、近藤たちも以前、藤堂平助から聞かされた事があった。
人斬り新兵衛は、京都西町奉行の与力渡辺金三郎、上田助之丞、そして東町奉行与力の大河原重蔵、森孫六を、いずれも安政の大獄にかかわったという理由で暗殺している。
「悪いことじゃないでしょう?」
近藤は、胡乱げに小さくうなずき、先を促した。
「いや、そうなのだが…」
言い淀む広沢に、何となく言わんとするところを察した山南が、助け舟を出した。
「…となれば、奉行所としても徹底的に命令の出処を吐かせようとするでしょうな。そして万が一、薩摩内部の、それも名のある人物からの指示が明るみに出れば…無論、処断しなければならん」
そういうことか。
近藤は途端に険しい顔になった。
広沢は山南の解説を話の糸口に、後を引き取った。
「お館様(松平容保)もそれを憂慮されている。寺田屋で騒動が起きたとき、島津殿は藩内の攘夷派を厳しく処断された。公武合体策を推し進めるうえで薩摩との協力関係を考えれば、あの時、容易く新兵衛を引き渡すべきではなかったが…」
「分かりませんな。島津公があくまで公武合体を支持されるというなら同じことでは?」
近藤は、わざと議論を吹っかけるような質問をした。
そのとき、
「あ、あ。近藤さん」
山南が人差し指を立てて近藤を嗜めた。
「何か?」
近藤は余計な口を挟むなと山南を睨んだが、
「皿の中で辛子を煮汁に解くのは…」
と予想もしない答えが返ってきて、怪訝な顔をした。
「カラシ?」
すると、土方が近藤の手から荒っぽく皿を取り上げ、大根の上に辛子の塊をなすりつけた。
「わかってねえな!こういうのは大根に直接辛子を乗っけるんだよ。田舎もんが」
近藤はようやく食事の作法について指摘されたことに気づいて、
「っせーな!俺はこうして食うのが好きなんだよ!」
と土方から皿を引っ手繰った。
「いや、それでは他の具に味が…」
山南はまだ諦めきれない様子で、その皿に手を伸ばしかけたが、
広沢の咳払いで、引っ込めた。
「仲がいいのは結構だけんじょ、話を戻しても?」
近藤が膝に手を置いて座りなおす。
「あ、失礼。どうぞ続けてください」




