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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
凶刃之章
315/404

極秘任務 其之壱

世の中は事件に満ちている。

幕末という動乱どうらんの時代においては、なおのことだ。

しかし、事件には大きく分けて三種類あって、

すなわち、

解決できる事件と

解決出来ない事件。


そして、三つめが

解決しては、いけない事件である。


京都守護職公用方きょうとしゅごしょくこうようがた、広沢富次郎が近藤勇に持ち込んできたのは、一番厄介(やっかい)な三つ目の事件(ケース)だった。



未明(みめい)に田中を捕らえたその日の朝、会津黒谷本陣からの使いが屯所(とんしょ)にいる局長近藤勇宛の手紙を届けた。


「チッ」

自室で手紙を開いた途端(とたん)、近藤は読んでいた手紙を乱暴に丸めると、

背を向けて縁側に座っていた土方歳三の後頭部に投げつけた。


「イッテッ!なんだよ?」

土方が顔をしかめて振り返り、たった今出来たゴミをひろう。

「読んでみろ」

不機嫌な局長を横目でにらみながら、土方は丸められた紙片(しへん)のしわを伸ばした。

「なんだこれ手紙か?クシャクシャにしやがって」


近藤は廊下まで出て、ちょうど庭を掃除していた新入隊士の林信太郎に向かって叫んだ。

「林くん、山南さんを呼んでくれないか!」

「承知しました」

林信太郎がホウキを壁に立てかけて八木家の門の方へ歩いていく。


土方は、手紙を広げて一渡ひとわたりななめ読みした。

「…猿が辻の一件、咎人とがにんの一命につき仔細しさい談じたく……これは広沢様から?」


「さっき帰ったばかりだというのに、ムカつく呼び出しだ。どうせろくな仕事じゃねえ」

近藤は羽織を着ながら毒づいた。

土方は、口元に小さく笑みを浮かべ、目線だけをあげた。

「ふふん、かもな。だが、何か含みのある書き方じゃないか。恩を売るにはいい機会だ」



山南は、シワだらけの手紙に一瞬怪訝(けげん)な顔をしたものの、それには触れず、文面に目を通した。

「…奉行所に引き渡したというのに、彼の処断について、今更いまさら私たちに何の相談があるっていうんです?」

読み終わるなり、近藤の顔を見て尋ねる。

近藤は肩をすくめた。

「さあね。だが、物騒ぶっそうな匂いがプンプンしやがる。ま、話だけは聞くさ」

「芹沢さんには声かけなくていいのですか?」

「いや、さすがにまだ寝てるでしょう。それに手紙は俺宛てだ」

祇園ぎおん煮売茶屋にうりぢゃやにて待つとありますね」

奇妙な待ち合わせ場所に不穏ふおんな匂いをぎ取った山南は、もの問いたげに土方の方を見やる。

土方は面白そうに口の端を吊り上げてそれに応えた。

「何やら思わせぶりだろ?よほど他人ひとに聞かせたくない話らしい」


近藤が立ち上がり、話を切り上げる。

「出かける。支度したくしろ」



祇園ぎおんという花街はなまちは、八坂神社の門前町もんぜんまち発祥はっしょうの由来である。

今では夜の方がずっとにぎやかで、こんな時間に先を急ぐ近藤たちの様子は、まだ人通りも少なく、どこか気の抜けた町の雰囲気にそぐわなかった。

道端みちばたに落ちた残飯をついばむカラスが、道をゆずるように次々と飛び立ってゆく。

「お役目とはいえ、せめてひとっ風呂ぷろ浴びる時間くらい欲しかったな」

朝帰りの男たちをうらめしげに眺めながら、土方がボヤいた。


指定された煮売茶屋にうりちゃやに着くと、待っていた会津藩公用方(こうようがた)広沢富次郎が手招てまねきした。

「こっちだ」


「浪士組、参上いたしました」

近藤が告げると、背を向けて広沢の差し向かいに座っていた男が振り返った。

その顔を見て近藤はギクリとした。

同席していたのは、薩摩の中村半次郎である。


「…なるほど。『のちほど』とは、このことらしい」

山南がつぶやいた。


ますます嫌な予感がする。


近藤は気を取り直したようにふところから手紙を出して、ヒラヒラと振った。

「広沢様、説明していただけるんでしょうな?これだけでは何の事やら」

「まあ、そっだ所でおっかねえ顔をして突っ立ってねえで、こっつぁ来て座ったらよがんべ?今日はお忍びだ。しだから、たいらにしてくなんしょ。おめらもなんか頼ませ」

「芹沢さんも呼んだ方がよかったですか?」


中村が少し座布団ざぶとんをずらして席を作ると、

近藤は中村の横に、山南と土方は隣の卓に腰を下ろした。


「いや。この仕事は近藤、お主に頼みで」

中村が例の人好きのする笑顔で、近藤の前に置かれたさかずきに酒を注いだ。

「私がこの店を選んだんですよ。何分なにぶん外聞をはばかられる話ではあるし、皆さんは八木さんのお宅に間借りされていると聞いていましたので」

「そういえば、中村さんは八木さんとは職場が同じでしたね」

「ええ。青蓮院しょうれんいんでは、たまに顔を合わせます。私も京では新参者しんざんものですから、色々と教えていただきました」

近藤は中村の派手ないでたちを見て、口をへの字に曲げた。

「ご謙遜けんそんを」

「いえ。田舎いなか育ちですから、上京したおりは都の華やかさにずいぶん当てられたもんです」

土方が皮肉たっぷりに笑った。

「ふふ、すっかり馴染なじんだご様子ですな」

「とんでもない。王都おうとのご婦人方にはいまだに目移りして困りますよ」

中村半次郎は悪びれる風もなく、そう返した。


「お聞きしていいですか?なぜ中村様が此処ここに?」

近藤が尋ねると、広沢は急に改まって居住まいを正した。

「実は薩摩からの内々の依頼があり、中村殿はその使いとして参られた」

「煮売り茶屋にですか?」

意地悪な質問に、広沢が渋面しぶづらを作る。

「…頼まれてくれるか?」

わざわざこうして意思を確認するという事は、非公式の仕事に違いない。

どうやら予感は的中したようだ。


「まずは内容をお聞かせ願えますか」


広沢は自ら呼びつけたにも関わらず、仕事の話になると、突然歯切れが悪くなった。

「うむ…つまりだ…薩摩は新兵衛との接見せっけんを望んでおられるが、今、彼の身柄は奉行所が預かっていて、手出しできない…」

近藤にはこの話の要点が見えなかった。

「ええ。朝廷へ突き出したはいいが、(武家伝奏ぶけでんそう坊城ぼうじょう様から突っ返されまして。やむなく」

広沢は意味ありげにういなずいた。

「もちろん、その辺の事情は聴いている。だが、まさにそこが問題の核心でな」

「つまりどういうことです?島津公は奉行所の職務怠慢しょくむたいまん懸念けねんしておられる?それとも彼らの手腕しゅわんでは、新兵衛の凶行きょうこうを立証できないとお考えなのでしょうか?」

「むしろその逆だ。田中新兵衛は、以前じつに四人もの京都町奉行与力きょうとまちぶぎょうよりきをその手にかけたと見られている。町奉行としては面子めんつにかけても自分たちの手で彼を処断しようと復讐心に燃えているだろう」


その話は、近藤たちも以前、藤堂平助から聞かされた事があった。

人斬り新兵衛は、京都西町奉行にしまちぶぎょう与力よりき渡辺金三郎、上田助之丞、そして東町奉行与力ひがしまちぶぎょうよりきの大河原重蔵、森孫六を、いずれも安政の大獄たいごくにかかわったという理由で暗殺している。


「悪いことじゃないでしょう?」

近藤は、胡乱うろんげに小さくうなずき、先をうながした。

「いや、そうなのだが…」

言い淀む広沢に、何となく言わんとするところを察した山南が、助け舟を出した。

「…となれば、奉行所としても徹底的に命令の出処でどころを吐かせようとするでしょうな。そして万が一、薩摩内部の、それも名のある人物からの指示が明るみに出れば…無論、処断しなければならん」


そういうことか。

近藤は途端とたん(けわ)しい顔になった。


広沢は山南の解説を話の糸口に、後を引き取った。

「お館様(やかたさま)(松平容保)もそれを憂慮ゆうりょされている。寺田屋で騒動そうどうが起きたとき、島津殿は藩内の攘夷派を厳しく処断された。公武合体こうぶがったい策を推し進めるうえで薩摩との協力関係を考えれば、あの時、容易たやすく新兵衛を引き渡すべきではなかったが…」

「分かりませんな。島津公があくまで公武合体こうぶがったいを支持されるというなら同じことでは?」

近藤は、わざと議論を吹っかけるような質問をした。


そのとき、

「あ、あ。近藤さん」

山南が人差し指を立てて近藤をたしなめた。


「何か?」

近藤は余計な口をはさむなと山南をにらんだが、

「皿の中で辛子からし煮汁にじるに解くのは…」

と予想もしない答えが返ってきて、怪訝けげんな顔をした。

「カラシ?」

すると、土方が近藤の手から荒っぽく皿を取り上げ、大根の上に辛子からしかたまりをなすりつけた。

「わかってねえな!こういうのは大根に直接辛子からしを乗っけるんだよ。田舎いなかもんが」

近藤はようやく食事の作法について指摘されたことに気づいて、

「っせーな!俺はこうして食うのが好きなんだよ!」

と土方から皿を引っ手繰(ひったく)った。

「いや、それでは他の具に味が…」

山南はまだあきらめきれない様子で、その皿に手を伸ばしかけたが、

広沢の咳払せきばらいで、引っ込めた。

「仲がいいのは結構だけんじょ、話を戻しても?」

近藤がひざに手を置いて座りなおす。

「あ、失礼。どうぞ続けてください」


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