表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
凶刃之章
306/404

KISS Pt.2

土方は、これ以上中村の相手をするのが(わずら)わしくなったのか、話を打ち切る口実に、めずらしく自分からいちに声を掛けた。

「来られてたんですか」

「はい。大松様の介抱(かいほう)に。傷口の熱も引きましたので、もう安心かと」

「それは、ご苦労様です」

素っ気なく答えて部屋に入ろうとする土方を、いちは呼び止めた。

「あの、ちょっとよろしいでしょうか」

「まだなにか」

すでに用が済んだ土方は、さも迷惑めいわくそうに振り返った。


庭に居残っていた沖田総司と藤堂平助は、二人のただならぬ雰囲気を気取けどって、目を離すことも出来ず、じっと様子をうかがっていた。


庭に面した部屋に居たいちには、先ほど土方が隊士たちを集めて話した事が全て漏れ聴こえていた。

「…私、これから何が起きるのか考えると怖いんです。やはりご公儀こうぎ雄藩ゆうはん衝突しょうとつは避けられないんでしょうか。姉小路さまの一件が、またあの大獄たいごくの時のような騒動の呼び水になるのではと…」

それは、いちだけでなく京に住む大部分の人が抱いている不安だった。

「聞いていたんですか」

土方の返事には(とが)めるような響きがあった。

「すみません。耳に入ってきたもので…」

「…どうでしょう。しかし、向こうがケンカを売ってくるなら、降りかかる火の粉は払わねばなりません」

いちはうつむいて、しばらく土方の言ったことを考えたのち、顔を上げた。

「…刀を抜く前に、せめて皆さんが敵だと思っている相手を知ろうとしていただけませんか。そして、時には許す寛容(かんよう)さを…」

「おいちさん、隊士たちを甲斐甲斐(かいがい)しく世話して頂いていることには感謝している。しかし、一介いっかいの町医者の下女(げじょ)に過ぎない貴方あなた御政道(ごせいどう)に口を差し挟むなど、少々(つつし)みに欠けるのではありませんか」

見兼ねた沖田が割って入った。

「土方さん、その言い方は失礼でしょう」

しかし、いちひるまなかった。

「井伊大老がどうなったか、ご存知でしょう?異なる信条を持つ相手を力にうったえてねじ伏せても…報復の連鎖(れんさ)の行きつく果てに勝者などいません」

「どうやら貴女あなたは分かっていないようだ。私は出過ぎた口を挟むなと言ってる」

「同じてつを踏むのですか?女とバカにするのも結構ですが、私から言わせれば、あの大獄たいごくとその報復で起きた悲劇の(ほとん)どは、彼らの無知蒙昧(むちもうまい)がさせたことです」


沖田はいちの肩をつかんで、自分に向き直らせた。

「おいちさんも言いすぎだ!土方さんだって好きでこんなことやってるわけじゃない!」

思わず、語気(ごき)が荒くなった。


「沖田さん、わたし、わたしは…いえ、土方様、差し出口をして申し訳ございません。私の態度は僭越(せんえつ)でした」

いちは深々と頭を下げると、逃げるように門を出ていった。


沖田はいちの様子を気にしながらも、土方を振り返った。

「…すみません」

「なぜお前が謝る?女のいう事を一々本気にしてたらキリがないぞ。二言目には、愛だの慈悲(じひ)だの、まったくにもつかん戯言ざれごとを…」

「そうですか?」

口を挟んだのは藤堂平助だった。

「…何が言いたい?」

土方が藤堂をにらんだ。

「さっきのおいちさんの様子は、ただ事じゃないですよ。あの若さで後家ごけ(未亡人)ということは、つまり旦那さんはさき大獄絡たいごくがらみで亡くなったんじゃないすか?」


沖田はそれを聞いて、改めて彼女のことを何も知らないことに気づいた。

藤堂は土方の返事を待つことなく続けた。

「平時に軽々しく友愛を語るのは、確かに軽佻浮薄(けいちょうふはく)(やから)かもしれない。でも考えてみてください。今、京には様々な立場の人間がいて、互いに憎み合い、殺し合ってる。同胞(どうほう)や、肉親を殺された人々が報復を叫ぶ中で、愛を口にするのは大変な勇気がいるはずです」

「ふん。京女(きょうおんな)に毒されて腑抜ふぬけたか平助」

土方はせせら笑った。

「敵にも、妻や子供がいて、彼らの住む国許(くにもと)には、なんの罪もない、弱い立場の人間が大勢住んでいる。

頭では解っていても、自分がその当事者になった時、敵愾心(てきがいしん)や憎しみにとらわれず、そこに考えが至って、相手を思いやれますか?

オレは、おいちさんほど、強く、気高い人間を知らない。あの人がどれほどの覚悟で、さっきの言葉を口にしたか、あんたに分かりますか?」

「…分かりたくもないね。下らん」

土方は苦々しい顔で吐き捨て、大股(おおまた)にその場を立ち去った。


藤堂は、一つため息をつき、沖田に向き直った。

「総司、おまえが味方になってやらなきゃいけなかったんじゃないのか」

「…ああ、その通りだ。けど、お前も土方さんのことが分かってないよ」

「じゃあ行って、お秩さんにも、そう言ってやれよ」

沖田はうなずいて、いちを追った。



「おいちさん!」

沖田が坊城ぼうじょう通りで追いつくと、いちは振り返って、(あきら)めの混じった笑みを浮かべた。

「やはりお武家(ぶけ)様に、私たちの気持ちを分かって頂こうなんて虫のいい話でした」

「それは違う。貴女あなたから見れば、土方さんの考えは物騒ぶっそうに思えるかもしれませんが、違うんです」

いちは沖田の目をキッと見返した。

「何が違うんでしょう」

「あの人は元々多摩の百姓ひゃくしょうの末っ子で、本当は、あなた方の(つら)さも、恐れも、くやしさも、すべて身にみて知ってるんだ。心根こころねでは、何よりこの土地を耕す人たちを護りたいと願ってるんです。わたしなんかより、よっぽど。だからこそ、鬼にもなれるんです」

後の世に悪名あくみょうの高い新選組は、ずっと後、幕府側の戦況が不利になってからも、長州や薩摩の様に町に火を放って逃げるような戦術を採ることだけは、ついになかった。

それは、彼らの中に農民出身の者が多くいた事と無関係ではないだろう。


しかし、いちは激しく首を横に振った。

「そうかもしれません!けど、敵味方は関係ないんです!私が言ってるのは、ここに住んでいる人たちのことだけじゃな…」

沖田は唇で、その続きをさえぎった。


いちの眼は大きく見開かれ、

沖田がそっと身体を引いた後も、

(いち)は、ただ茫然(ぼうぜん)と立ち尽くした。


「…沖田さん?」


「ちょっと黙って。言い訳する時間くらい下さい」 


夕焼けが、二人の全身を鮮やかな赤に染めていた。




沖田が初めて自分の気持ちを示したこの日、

それは同時に、壬生浪士組が暗く長い動乱のただなかへと脚を踏み入れた日でもあった。


そして数日後、事態は思わぬ急展開を見せる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=929024445&size=135
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ