バラガキ 其之壱
翌、文久三年五月廿一日。朝。
壬生浪士組屯所、八木家の離れ。
隊士たちはバタバタと朝の支度に忙しい。
副長助勤藤堂平助が険しい顔で、朝食の後片付けをする女中の祐の袖を引いた。
「お祐ちゃん、ちょっと話があるんだけど」
「なんやあらたまって…気持ち悪いな」
「今朝の漬けものらしきアレなんだけど…」
「ああ、あれ?不味かった?」
「いや、そもそも、色といい、匂いといい、歯触りといい、なんて言うか、江戸では見たこともないブツだったから…」
藤堂は鬢付油をつけて髪を梳かしながら、またその味を思い出したのか顔をしかめた。
「桂瓜の奈良漬けや。南部はんとこからの頂きもんらしいで。うちは好きやけど…」
途端に部屋にひしめく隊士たちが、ザワつき始めた。
「そうなの!?よかった~。俺はまた、なんかヤバいアレかと…」
「え?俺は美味かったがな。ちょっとクセになるっていうか」
「マジかおまえ!俺なんか、口に入れる勇気なかったぜ」
「てかあれ、どうやって作ってんの。てか、なんなのアレ」
「そやから、ただの瓜や!米糠やのうて、酒カスに漬けてるねん」
「え?俺、下戸なんだけど平気?腹壊したりしねえ?」
「別に死なへん!あんたら、アレにそんなビビッてたんか?どんだけ繊細やねん」
南部家の漬物が思わぬ物議を醸しているところへ、
副長助勤井上源三郎が入って来た。
「あー、ちょっといいかい?」
井上は筒状に巻いた紙を頭の上で振り回して皆の注意を引いた。
「実はねえ、会津公と江戸留守居役の板倉様宛てに、連名で上申書を出すことになったんだ。お前さんたちも、これに目を通して署名してくれないか」
藤堂が胡散臭そうに首を傾げた。
「なんです?」
同じく副長助勤の永倉新八が、井上の手からひょいと上申書を取り上げる。
「あ、こら」
紙を拡げる永倉の脇から、藤堂と祐も覗き込んだ。
「なんて書いてあんの?」
永倉は書類に目を通しながら、彼なりに論旨をまとめてみせた。
「要は、江戸の大名、旗本どもが、現場の状況も知らねえくせに上様を返せ返せとうるせえもんだから、今大樹公に居なくなられちゃ困るって言ってる」
藤堂が井上を振り返る。
「例の小笠原様が都に乗り込んでくるってアレですか?」
「ああ。強引に連れ帰られちゃ何もかもブチ壊しだって、近藤さんと芹沢さんの意見がめずらしく合ってな」
確かに、自身が破約攘夷の期限を切った五月十日から、もう十日余りが経つというのに、幕府は諸外国に戦端を開くどころか、生麦事件の賠償金を払う始末である。
これでは孝明天皇以下、在京の主戦派が納得するはずもなく、鼻息の荒い政界のタカ派は怒りに沸き立っていた。
山南敬介が懸念していた攘夷激派の暴発は、現実的な脅威となりつつある。
永倉は顎を摩った。
「水戸の慶篤公や一橋公は江戸に帰ったきり、なんの音沙汰もねえし、この上、大樹公まで江戸に引っ返して攘夷の話がまとまんなきゃ、都は収集がつかなくなって、下手すりゃ日本が東西真っ二つに割れての大合戦なんて事態にもなりかねん」
目釘を改めていた新参隊士の林信太郎が顔を上げた。
「ずいぶん脅かすじゃないですか」
「おれが言ったんじゃねえ。そう書いてあんの!」
藤堂はやれやれといった態で腕を組む。
「あながち、あり得ない筋書きじゃないけどな」
井上は、筆と硯を用意して、床几をポンと叩いた。
「てな訳で、納得いただけたら、ここに名前を!もっとも、その件ではえらく神経質になってる山南さんも、こんなことやったって無駄だと言ってるがねえ」
そこへ余所行きの羽織を着た二人の副長、山南敬介と土方歳三が入ってきた。
「井上さん、そこまでは言ってないでしょう」
山南がやんわりと否定するも、土方がまた混ぜ返した。
「いやいや、遠回しに言ってたよな?ま、俺としちゃモメた方が面白いが」
さらに遅れて局長近藤勇が姿を現し、腰に大小を差しながら話に加わった。
「いくら筋の通った意見でも、出処が壬生浪士組じゃ、まともに取り合ってもらえるか甚だ疑問だが。ま、芹沢さん曰く、一種の示威活動ってやつだ。俺たちも此処にいますから忘れないでくださいってな」
井上は嘆息した。
「やれやれ、涙ぐましいねえ」
近藤は祐に手伝ってもらいながら羽織に袖を通し、紐を結んでいる。
イソイソと準備をする姿を見て、永倉が訝った。
「なんだよ。誰に会うんだい?」
「(会津藩)公用局の外島機兵衛様から呼び出しでな。なにか、大変な事件が起きたらしい」
藤堂が膝を揃えて座り直した。
「なにごとです?」
「わからん。とにかく芹沢さんと行ってくる。山南さんと歳も連れていくから、永倉、留守を頼んだぞ」
「わかった」
永倉がうなずいた。




