回天の野望 其之弐
「お琴ちゃん、あんたどこまで知ってる」
永倉は、掃き出し窓の下で四つん這いになったまま、横目で琴の反応を伺った。
「え?」
「ヤツの本当の目的は、なんなんだ」
「さあ?なぜそんなこと聞くんです」
琴は、永倉の刺すような視線に気づかないふりをして、あいまいな答えを返した。
「たかだか二百やそこらの兵隊で、外国人と小競り合いをやらかしてよお。それが何になるってんだ?」
「どういう意味ですか?」
「まぁた、惚けちゃって。おれには、ヤツがそんな小っちぇえ花火をあげたくらいで満足するタマにゃ見えねえがなあ?」
琴は話しの続きを促すように瞬きした。
「ひょっとして、ヤツはただ、お上に揺さぶりをかけてるだけじゃねえのか?」
二人はしばらく無言で見つめあった。
「そんなこと、わたしに聞かれても答えようがない。要するに、なにが言いたいんですか」
「あれ?分かんないの?要するに、なにが言いたいかっつーと…あ、そうそう!あんな胡散臭い山師野郎とか、お堅い山南先生と寝るんなら、おれの胸に飛び込んでいらっしゃいって話をしたかったのよ!」
気がつくと永倉は、琴の長襦袢(下着)の裾をめくっている。
琴は、その手を思い切りつねりあげた。
「い、い、いいっ…たあいってば!」
永倉は小さい悲鳴を上げた。
「ちょ、ちょっ、ちょっと確かめただけだろ!?おれぁ、さっきまでその中身のために走り回ってたんだぜ!?」
「早く行かないと終わっちゃいますよ」
「そ、そっか、それもそうだな…。その中は後でゆっくり拝見するとして。よおし…そおっと、ね」
永倉は器用に這いながら、入口にまわって木戸の隙間を開けた。
奥から佐々木只三郎の怒鳴り声が聞こえる。
「遅いぞ!」
「あら?す、すんませーん!」
琴は鋭い目で、ペコペコと頭を下げる永倉のうしろ姿を見送った。
「あの男…」
清河八郎は手にした書状を両手で拡げ、声のトーンをひとつ上げた。
「同士たちよ!
わたしはここに、われわれ浪士組が攘夷の尖兵となることを宣言し、
ただちにその矛先を醜い夷敵どもに向け進軍せんと、朝廷へ建白書を奏するものである。
そして、この身体に流れる血の、最後の一滴まで故国に捧げることを、帝に誓おう。
もとより、諸君の大義に殉ずる覚悟を疑うものではないが、
ここに改めてその決意を問う!ご異存あるまいな!」
ほとんどの人間には、遠すぎてその文字は読めなかったが、これも演出の一つなのだろう。
ふたたび本堂は静まり返った。
浪士たちのうち、どれほどがこの演説の真意を見抜いたかは分からない。
だが、中沢良之助は、終始苦々しい顔をしていたし、いわば軍師役である山南、土方、新見なども、いまだ疑心暗鬼の様子だ。
そして、あの芹沢鴨は、なぜか不気味な沈黙を守っていた。
なにせ清河が前面に押し出した「尊皇」と「攘夷」は、いかなる主義思想においても大前提であり、それ自体が議論の対象になることはなかった。
つまり、この点については、反論の余地はない。
「よろしい。では、おのおの建白書に署名されたい」
清河は、満足そうに締めくくった。
結局、その場で近藤・芹沢一派を含めた全員が、否応なく署名することになった。
山岡鉄太郎、松岡万ら「虎尾の会」のメンバーが、ことは成れりとほくそ笑んでいる。
床机に拡げられた建白書に、浪士たちが順番に自分の名前をしたためていく。
その列に並んでいた原田左之助が、永倉新八の顔に鼻先をくっつけた。
「てめえ、どこほっつき歩いてたんだよ?」
「いいから、そこ、つめろ」
永倉は原田を押しのけて、前にいる沖田総司の顎をつかむと無理やりふり向かせた。
「帰ったら、だあれもいなくなってっから、八木さんに聞いて来たんだけどよ。『そやけど、沖田はんは全員そろったて言うたはりましたでえ~』なあんて言われちゃってよう?あ~あ、その時のおれの気持ちったら…おまえ、想像できっか?てか、おまえさあ、おれのこと忘れてたろ?」
「そんなワケないじゃないですか。死ぬほど捜したんですから」
図太い沖田は、そらとぼけた。
そして。
本堂の入り口から、浪士たちが吐き出されてくる。
試衛館一門では最後に会場を出た総司の義兄、沖田林太郎が、彼を待っていた仲間たちに、困惑した表情を見せた。
「なんだか、おかしな事になってきたなあ」
それはまさに、彼ら全員の気持ちを代弁した言葉だった。
林太郎に続いて、憮然とした表情で本堂から出てきた中沢良之助に、沖田総司が声をかけた。
「正体を暴くどころか、あの人、早々に自分からバラしちゃいましたね」
良之助は、返事代わりに舌打ちを一つ返した。
沖田のとなりに立っていた山南敬介が尋ねた。
「君も名前を書いたのか?」
良之助は、キッとその顔をにらみ、声を荒げる。
「そりゃ!…帝のためだって言われたら、書くしかないじゃないですか。山南さんだってそうでしょう?」
「まあ、そうだな」
「いいんです。どっちにしても、俺はあの清河って男を地獄の果てまで追いかけるって決めたんだから!」
良之助は、プイと顔をそむけた。
二人の話を聞いていた近藤が、険しい顔で山南の肩を掴んだ。
「アメリカやイギリスと戦うことはやぶさかじゃない。いや、むしろ望むところと言っていい。だが山南さん、清河は何故ここにきて、あんなことを言い出したんだ?わざわざ、今日ここで一席ぶった理由はなんなんだ」
「…考えてみれば、浪士組を我がものにする機会は、今をおいて他にないからです。
おそらく、清河の目論見の一つは、幕府の金と権威を利用して、手駒を集めるということ。
そして、もう一つは…帝に直接上奏することによって、浪士組が清河の実質的な私兵であるという既成事実を作ってしまうことです。
そのために、われわれ全員の署名が必要だったんだ」
その声には、まんまと出し抜かれた悔しさが滲んでいる。
しかし、土方は妙にサバサバした口調で言った。
「考えたもんだな。奴には恩赦ってオマケつきだ。見事すぎて、あの手際には、腹が立つより、感心しちまうよ」
近藤は面白くなさそうに顔をしかめる。
「つまり俺たちは、前に並んでた連中の主導権争いに付き合わされたってことか?」
「ええまあ、そういうことになります」
山南は、まだ何か気がかりなことでもあるように、人差し指であごの先をなでている。
土方がその心中を見透かしたように、ささやいた。
「あの『ただちに進軍うんぬん』ってのが、引っかかってんだろ?」
山南は、土方と目を見合わせて声を落とした。
「…あれが、ただの修辞句ならいいんだが…」
「くそ!小賢しい野郎だ!」
二人の懸念をよそに、ただストレートに怒りを現す近藤を見て、沖田が笑った。
「あは、怒ってるよ」
一方、本堂の中では。
最後の浪士が出て行ったことを確認したとたん、「取締並出役」の佐々木只三郎が掴みかからんばかりの勢いで清河につめ寄った。
「今のは、どういうつもりだ!」
清河は、意味深な笑みを浮かべるばかりで何も応えない。
そそくさと建白書を丸めると、鬼の形相で追いすがる幹部たちを尻目に、大またで本堂を出て行った。
「やってくれたな、清河…」
佐々木は歯噛みしながら、その後ろ姿を見送った。
清河は外に出ると、心地よい春の夜風を満喫するように大きく深呼吸して、空に浮かぶ下弦の月を見上げた。
彼は、石灯籠のかたわらに立つ中沢琴の姿をみつけると、そのそばに歩み寄って、なぜか少しさびしげな微笑を浮かべた。
「おや、来てたのかい。ご拝聴かたじけないね」
琴はにこりともせずに応えた。
「あなた、首を洗っといたほうがいいわ」




