鬼の副長 其之弐
「あ…いえ…」
すっかり委縮して何もしゃべれない柳太郎に代わって、藤堂平助が弁明した。
「因幡薬師界隈には人通りも多かったし、あの局面で人を斬るというのは、口で言うほど容易くありません」
近藤が藤堂を睨んだ。
「お前には発言を許してない。馬詰君に何故その男を斬らなかったかと訊いてる」
沖田総司が、すました顔で遅れて入ってきて、幹部たちの末席に腰を下ろした。
「…よっこらせと。こないだはご公儀に忖度して生け捕りにしろなんて言ってたくせに」
遅刻した上、余計な口を挟む沖田に、近藤は苛立ちをぶつけた。
「うるせえ!今は気構えの話しをしてるんだ!」
土方がいささか言葉足らずな近藤の査問を意訳した。
「近藤先生が聞きたいのは、つまり、現場での臨機応変な判断は尊重するにせよ、それが国に報いる気概に基づいた選択だったのか、否かだ」
水戸派の平山五郎が鼻で嗤った。
「ビビッて逃げたんだ、最低野郎に気概もクソもあるかよ」
ムッとした藤堂が、それに噛みつく。
「アンタは黙ってろ。しかし、尽忠報国の志が人を斬る免罪符になるなんて理屈は、つまるところ攘夷派の天誅と何ら変わらないじゃないスか」
土方は間髪入れずその反論をねじ伏せた。
「いいや、違うね。俺たちの後ろには京都守護職の会津中将がいて、その後ろには徳川家が、そして、その後ろには帝のおわす朝廷が控えてるんだ。俺たちには、奴らを斬る『大義』ってもんがあるのさ」
なぜか、肩に子猫のクロを載せた永倉新八が鼻を鳴らした。
「タイギ?は、くだらねえ」
近藤が大きな口をへの字に曲げる。
「言いたいことがあるなら、ハッキリ言ったらどうだ」
「別に。ただ、相手はあの人斬り以蔵だぜ?奴とサシでやり合える人間がこの中に一体どれだけいる?大義のため命を賭けるのも結構だが、犬死にさせちまっちゃ元も子もないんじゃないかと思ってね」
「我々の職務は京の治安を守ることじゃないのか?それの何処が犬死になんだ」
安藤が努めて穏やかに二人をなだめた。
「まあまあ皆さん、そう熱くなりなさんな。こんなご時勢だ。そのうち、嫌でも死を賭して戦わなきゃならん時が来る。その時まで命は大切に取っときましょ」
それでも近藤は納得しない。
「口先ではなんとでも言えます。今、弁を弄してこの場を逃がれようとする者は、その時が来れば、また逃げるに決まっている」
しかし安藤がどれほどの覚悟を以て、その言葉を口にしたか、この時はまだ近藤にも分かっていなかった。
ともかく、永倉も近藤の頑なな態度には嫌気がさして、つい投げ遣りな言い方になって来る。
「分かってるはずだ!あんたやおれならともかく、その他有象無象じゃ、やる前から勝負は見えてるだろうが!これが犬死にじゃなくてなんだ」
この放言が数名の幹部の癇に障った。
「なんだと?テメエ!」
「そのウゾームゾーてな、俺のことか!」
「ほんなら白黒つけたろうやないかい!」
「ニャー!」
言葉尻を捕らえた平山五郎、原田左之助、松原忠司、おまけにクロまでが割って入り、評定はもはや当事者の柳太郎や河合など置き去りにして、どんどん脇道へ逸れてゆく。
「なんだなんだ?朝っぱらからうるせえなあ」
その時、筆頭局長、芹澤鴨が、巨体を屈めながらのっそり入ってきて、
「よお平間、大坂で拾った、あの馬の根付知らねえか?」
と、これ以上ないくらい場違いな話題を持ち出した。
平間重助は苦り切った様子で腰を上げた。
「場を弁えてくれ。その話は今じゃなきゃダメか?」
「あれ?なに?不味かったか?」
平間は芹沢を部屋の隅に引っ張って行くと、肩を抱くようにして耳打ちした。
「昨日、夜鷹を買ってたろ?あんた、女に代金代わりだと渡してたぞ」
「ウソ?酔ってたからかなあ、全然覚えてねえよ。買い戻せねえかな?」
平間は深々とため息をついた。
「ああいう女は毎晩同じ辻に立っているとは限らんからな。まあ、皆へは見廻りのとき気に掛けるよう言っておこう」
「かたじけねえ。あ、あと、この事はお梅に言うなよ?」
「あーハイハイ。分かったからあんたも座ってくれ」
土方歳三は、この中断に乗じて何事もなかったように話を元に戻した。
「で?どうなんだ馬詰くん」
「あの…私は!私は…」
言いよどむ柳太郎を見兼ねて、父信十郎がおずおずと膝這いで前に出た。
「局長、後生です。息子は生来気性の優しい質で、そもそも荒事には向いていないのです。引き込んだわたしにも…」
「あんたには聞いてねえ!」
土方が声を荒げた。
柳太郎は観念したように、ぽつぽつと陳述を始めた。
「あの時、刀の柄に手を掛けようとしたとき、あの浪士が何か言ったんです…」
「何と?」
「あの時の事は…よく思い出せないのですが、あの、もう人を斬りたくないとか…何か、そのようなことを」
平山が畳に後ろ手を付いて笑った。
「もう少しマシな言い訳をしたらどうだ?」
「ほ、本当です。本当なんです」
本音を言えば、何某か柳太郎を許す口実が欲しい近藤勇も、残念そうに眼を閉じた。
「…仮にそれが本当だとしても、みすみす敵を見逃した理由にはならん」
と、その時、副長土方歳三が珍しく温情らしきものを見せ、助け船を出した。
「まあまあ、今回は芹沢筆頭局長がついていながらの失態だ。隊士達ばかりを責めるのも酷ってもんだろ」
「おっと、流れ弾が飛んできやがったぞ?」
芹沢鴨がお気に入りの鉄扇を扇ぎながら、へらへらと不遜な笑みを浮かべる。
しかし、これには普段温和な平間重助も黙っていなかった。
「元はと言えばお前達が招いた事態だ。今さら芹沢さんに責任をなすりつけるなど恥を知れ」
野口健司も前のめりになって反論した。
「その通りです。私たちはむしろ捕縛を手伝ったんですよ」
「まあ、そんなわけでな」
平山が、柳太郎を指さした。
「何れにせよ、この件はケジメをつけなきゃならん。少なくとも、その青瓢箪には腹を切ってもらう」
藤堂平助は気色ばんだ。
「いったい、そりゃ何を根拠にした裁定なんだ!」
平山は残された片目で近藤の方を見ながら口元をにやりと歪めた。
「家里の前例もある。この小僧のやったことは武士道に悖るんだ。理由なら、それだけで十分じゃなかったかね?ねえ、近藤局長?」
「く…」
近藤は、返す言葉もなく押し黙った。
河合と柳太郎は、ともに顔面を蒼白にしてガタガタ震えている。
これまで一言も発しなかった斎藤一が、ダラダラと続く話し合いにうんざりしたように、立ち上がった。
「話はついたようだな。ではさっさと済ませてしまおう。前に出ろ。すぐ楽にしてやる」
介錯を買って出て、刀の鯉口を切った。




