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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
人斬之章
298/404

鬼の副長 其之壱

文久三年五月二十日。

壬生浪士組屯所みぶろうしぐみとんしょ、八木家。


その日、筆頭局長芹沢鴨は、結局、朝帰りした。


「お早いお帰りで」

愛人、梅は布団の中で振り返りもせず出迎えた。

その声には不機嫌の色がにじんでいる。


この頃の梅は、菱屋の妾宅めかけたくを引き払ったも同然だった。

しかし、昨夜ばかりは、帰りたがる所を平間重助の説得で無理やり八木家へ連れ戻され、挙句、当の芹沢が朝帰りする始末だったので、怒り心頭に発するのも無理はなかった


芹沢は渋い顔をしながら羽織を脱ぐと、衣紋掛けに投げた。

「見え透いた皮肉はよせ。仕事だよ」


見え透いているのは、むしろ芹沢の言い訳だったが、本人にも後ろめたい気持ちはあるらしく、

「なあ機嫌きげん直せよ、あ、そうだそうだ、土産みやげを忘れてた」

と、ご機嫌取りを始めた。

鼈甲べっこうくしなら、もう頂きました!どこぞの女とお間違えやおへんか」

「バ、バカ、違うよ!あれ?」

芹沢は(ふところ)や腰に手をやってから顔をしかめ、身体中(からだじゅう)を改めだした。

梅は芹沢の方へ寝返りを打って、うるさそうに顔をしかめた。

「なんえ!?」

「おまえに珍しい根付をやろうと思ったんだが、失くしちまったようだ」

「ふん、ほんならまあ、お気持ちだけ!」

梅は不愛想(ぶあいそう)に言い捨て、また布団(ふとん)をかぶった。



巡察(じゅんさつ)から戻って来た沖田総司は、井上源三郎から何やら隊士の処分について緊急の会合があると聞かされて、足を洗うのもそこそこに母屋おもやへ向かっていた。

すると、玄関のところで医師の浜崎新三郎とその助手石井秩(いしいいち)にバッタリ出くわした。

「あれ?浜崎先生、おいちさん、いらっしゃい。いやあ、暑くなってきましたねえ。今日はなんです?」

浜崎も毎日のように青痣あおあざを作ってやってくる隊士たちをる内に、近ごろはすっかり気安くなっている。

沖田の顔を見るなり頬を緩めた。

「やあ、こんにちは。往診のついでに、大松さんの包帯を換えに寄ったんだよ」

「そうですか、ご苦労様です。実はわたしも後で診療所の方へ寄ろうと思ってたんです」

浜崎といちは顔を見合わせた。

「ほお。それはまた、どうして?」

「お怪我けがでもされましたか?」

同時に聞かれて、沖田は笑いながら手を振って否定した。

「いやいや、そうじゃなくて…あ、これ」


沖田から、後ろ手に隠し持っていた花を差し出され、

いちは一瞬目を丸くした。


「いい香りですね。芍薬しゃくやくですか?」

「ええ。巡察の途中で咲いてるのを見つけたので、よろしければ、どうぞ。持っていくつもりだったんですが」

「嬉しい。ありがとうございます」

いちは薄桃色の花を受け取ると、香りを確かめるように軽く息を吸い込んだ。


「ご主人のお墓に供えてあげてください」

沖田の邪気のない笑顔を見て、いちは我に返ったように口元を引き結ぶと、悲し気にうなずいた

「え?は、はい。そうですね、そうします」

沖田は、尚も無神経に、いちの手にした花に顔を寄せて匂いを嗅いでいたが、

「あれ?これ、何の臭いです?」

とふいに眉を寄せた。

確かに芍薬しゃくやくの香りに混じって、酒糟さけかすのような匂いがする。


「ああ、これ」

いちは突然思い出したように、持っていたつぼを差し出した。

「そこの門前に女の子が立っていたので、おはようございますとご挨拶あいさつしたら、これを押し付けられて『皆さんで食べてください』って。最初はこの家の女中さんかと思ったんですが、私の方も間違われたみたいです」

「女の子?誰です」

「さあ?そのまま逃げるように行ってしまったので」


沖田はつぼふたを開けて中をのぞき込んだ。

「……漬物つけもの?」


浜崎も沖田に額を突き合わせるようにつぼの中を覗いた。

「こりゃあ、きみ、桂瓜かつらうり奈良漬ならづけだよ」

沖田が顔を上げて、いちに向き直った。

「…あの、ひょっとして、こう、小っちゃくて髪がチリチリの、色の黒い娘じゃないですか?」

「え?あ、ええ。そうだったかも」

浜崎は漬物を一切れつまんで口の中に入れた。

「…ありゃきっと、南部さんとこの子守りの子だろう」

「やっぱり。漬物は口実で、馬詰の息子を心配してきたらしい」

「馬詰様もご病気ですか?」

いちが尋ねると、沖田は苦笑いしてごまかした。

「い、いえ、こっちの話です。しっかし、女心おんなごころってのは分からないなあ」

浜崎は、なんとも残念そうな顔で沖田の顔をじっと見つめた。

「…だろうね。君は少し、いやかなり勉強が足りてないよ」

沖田は目をすがめて、顔を突き出した。

「なんなんです?」

「いや、こっちの話だ」

浜崎はいちの方を見て悪戯いたずらっぽく笑った。



さて、母屋の六畳間では。

馬詰柳太郎と河合耆三郎が、神妙な面持ちで正座していた。

その正面には、隊の幹部たちが、ずらりと居並んでいる。

しかしまだ、二人の局長は姿を見せない。

馬詰と河合には針のむしろだった。


やがて、局長近藤勇が憮然(ぶぜん)とした表情でドスドスと廊下(ろうか)を歩いてきた。

近藤が部屋の前まで来ると、中年の新入隊士、馬詰信十郎が恐る恐る近づいてきた。

柳太郎と一緒に入隊した、彼の父親である。

なにか言いたげだが、近藤の近寄り難い雰囲気にたじろいでいる。

近藤は、邪魔だとでも言いたげにジロリと信十郎をにらんだ。

「なんです?」

「あ、いえ、ちょっとばかりよろしいでしょうか?実は隊士たちの古着をまとめ買いしようかと考えているのですが…」

近藤はとりとめのない話を断ち切った。

「見え透いた口実は結構。息子の事が気がかりなんでしょう。貴方(あなた)も入ってください」

「は、はあ」

近藤は荒々しく(ふすま)を開けると、すぐに土方歳三を見て尋ねた。

「芹沢局長と総司はどこだ」

「遅れてる」

「まあいい。報告を聞こう」


ここでついでに、おさらいも兼ねて、この時点での組織幹部の名前を列挙しておこう。


壬生浪士組立上げメンバーの、

筆頭局長ひっとうきょくちょう芹沢鴨、

局長近藤勇に加えて、

局長代理として谷右京が再入隊。

副長が山南敬介、土方歳三の二人で据え置き。

以下、副長助勤ふくちょうじょきんが、

試衛館しえいかん派閥から、沖田総司、永倉新八、原田左之助、藤堂平助、井上源三郎。

水戸派から、平山五郎、平間重助、野口健司。

そして、浪士組入京以降の新しい幹部として、佐伯又三郎、斎藤一、安藤早太郎、松原忠司の四人が加わっている。


局長の新見錦が抜け、斎藤一が実質的に試衛館派閥の一人であることを考え合わせれば、土方の目論見みくろみ通り、パワーバランスがかなり試衛館派に偏ってきているのが分かる。

それだけ、隊内における近藤勇の発言にも重みが増していた。



「また取り逃しただと!貴様らいったい何をやってる!」

その近藤勇の怒鳴(どな)り声が響いた。



土方歳三は腕組みをして馬詰柳太郎を見下ろした。

「馬詰くん。単刀直入(たんとうちょくにゅう)()くが、君はあの男を斬れなかったのか、それとも斬らなかったのか。どちらだ」


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