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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
人斬之章
296/404

ムツゴト 其之壱

遡ること4か月前。

文久三年一月廿八(にじゅうはち)日、深夜。

京、下立売千本東入しもだちうりせんぼんひがしいルの、とある屋敷で。


「泣きなや、ぼん。おとうは、お留守るすかえ?」

抜き身をぶら下げた”人斬り”岡田以蔵が、年の頃まだ十二、三の少年の頭に手を置き、猫撫ねこなで声でたずねた。

「父上を殺すなら、まず私を殺せ!」

その少年は涙を浮かべながら、叫んだ。

以蔵は、いたく感心した様子でうなずき、

「まっこと、健気けなげやか。ぼん、ほいたらおにいがええもんやおう」

そう言って、白く柔らかい物体を少年の手に握らせた。

少年は、手のひらに視線を落とすと同時に小さな悲鳴を上げ、手の中のモノを投げ出した。

ベタリと嫌な音を立てて床に落ちたのは、人間の耳だった。

「ホレ、お手伝いの姉やんからいじゃった耳じゃ。おにいの宝物にしようち思たけんど、おまんにあげるき」


この夜、“人斬り”田中新兵衛は、岡田以蔵ら数人の刺客しかくとともにこの屋敷へ押し込み、最初に捕らえた下女げじょに主人の居所いどころかせようとしたが、満足な答えを得られなかった。


この家のあるじ賀川肇かがわはじめは、岩倉具視いわくらともみなどと共に和宮降嫁かずのみやこうかに力を尽くした公卿くぎょう千種有文ちぐさありふみ雑掌ざっしょう(渉外事務)を務めていた。

攘夷派のうらみを買った上司のあおりをこうむって、新兵衛、以蔵らに命を付けねらわれたのである。


少年は恐怖のあまり床にへたりこんだ。

「おにいやまってのう。その姉やんに大事なことを聞くまえに耳をいでもうたが。ほがなワケで姉やんは何をたずねても聞こえんがじゃ。やき、教えとおせ。おとう何処どこに行ったが?」

その眼に宿やどる狂気をのぞき見た少年は、火が付いたように泣きだした。

「しょうがないにゃあ。手ぶらで帰るわけにもいかんし、可哀想かわいそうやけんど、このぼんの首でも持って帰るかえ」


本当にやりかねないとあせった新兵衛は、あわてて以蔵を止めた。

「おいやめ、まだ子供じゃ…」

だが、以蔵は人差し指を口の前に立てて、新兵衛の言葉をさえぎった。

「しー!待ちや。なんぞ聴こえんが?」


その時。


下郎げろうども!はじを知れ!」


この家のあるじ賀川肇が、

背後から新兵衛に斬りかかった。


襲撃者の侵入に勘付かんづいた賀川は、とっさに二階へ隠れたが、折悪おりあしく帰宅した我が子が捕らえられたのを察知さっちして、む無くみずから隠れ場所を出て、単身たんしん暗殺者に立ち向かう危険を選んだのだった。


しかし、最初に斬りかかった相手が悪かった。

“人斬り“新兵衛は、

振り向きざま、反射的に男を斬り下げていた。


「二の太刀たち要らず」と言われる示現流じげんりゅうの達人、新兵衛の一撃は、

肩口から腰にかけて、賀川の身体を骨ごと絶ち割っていた。

鮮やかな返り血が、新兵衛の全身に降り注ぐ。


賀川は虫の息の中で、息子の名を、何度も、何度も呼んだ。


ぼん、よかったのう。ほれ、おとうじゃ」

以蔵は笑いながら少年の後ろえりをつかんで、瀕死ひんしの父の前に引き立てた。


血を流しながらたおれる父を見て、息子は放心状態のまま立ち尽くしている。


新兵衛は、子供の後ろ姿を見て、

今さらながら、自分がやったことに慄然りつぜんとした。

突然、地面がなくなってフワフワと宙に浮いたような感覚にとらわれ、はげしい目眩めまいと吐き気を覚えた。


以蔵の妙に浮かれた声が、くぐもって聴こえる。

「今日はもう遅いき、おとうは寝るそうじゃ。ほれ、ぼんにお休みを言うちゃり」

以蔵は、何か聞き取ろうとするように、倒れた男の口元に耳をよせた。

「ん?なんじゃ?ふん。ほう、ほう」

数度うなずいて、それから、男の顔をマジマジ見つめる。

「おんしゃ、滑舌かつぜつが悪うていかん」

以蔵は立ち上り、無造作に賀川の心臓を突き刺した。

そして、むくろに刀を突き立てたまま息子に向き直ると、満面の笑みを浮かべた。

「まっことえずい寝相ねぞうぜ。こがなとこで、行儀ぎょうぎの悪いおとうじゃのう?」


新兵衛の口から、無意識のうちに叫び声が漏れていた。

「見っな!」

少年の身体からだを引き寄せ、その目をおおう。


暗殺部隊の主犯格、伊舟城いばらき源一郎は、子供など意にも介さず、

「ふん、天誅てんちゅうじゃ」

うそぶく。

「この男は、千種有文ちぐさ ありふみ知恵袋ちえぶくろで、永らく二人で姦計かんけいを巡らせてきたんじゃ。今もまた、宮中に二嬪にひんを復帰させようと画策している。死んで当然じゃ」

二嬪にひんとは、すなわち孝明天皇の後宮こうきゅうに仕えた二人の女官にょかん

少将内侍しょうしょうのないし今城重子(千種有文の義妹)と

右衛門内侍えもんのないし堀河紀子(岩倉具視の妹)のことで、

伊舟城いばらきら尊王攘夷派からは、

内大臣ないだいじん久我建通こが たけみち

左近衛權中将さこんえごんのちゅうじょう・岩倉具視、

左近衛權少将さこんえごんしょうしょう・千種有文、

中務大輔なかつかさのたいふ富小路敬直とみのこうじ たかなおとともに

四奸両嬪しかんりょうびん」と呼ばれ、宮中における公武合体派の枢軸すうじくと見なされている。


彼女たちは岩倉らに協力して、皇女こうじょ和宮の降嫁こうかを推し進めたため、朝廷内の反対勢力から排斥はいせきされ、前年(文久2年)の七月に宮中を追われていた。


仲間のひとり萩原虎六はぎわらころくが、皆の顔を見回した。

「さて、これからどうする?」

伊舟城は無表情のまま、抜けがらになった賀川を見下ろした。

「知れたこと。奴らの目を引くように、このむくろさらす」

以蔵が刀の血をぬぐいながら、肩のりをほぐすように首をぐるぐる回した。

「このままかたいで行くわけにもいかんき、ここでバラしてのう」


「あっちせえ行ってなせ」

新兵衛は、少年の手を引き、部屋の外に連れだすと廊下へ座らせた。

一時(いっとっ)此処ここすわっちょきなせ」

少年はまるで魂が抜けたように、ペタンと床にひざをついた。


新兵衛が部屋に戻ると、そこには更におぞましい光景が展開されていた。


以蔵が何か心配事でもあるように血まみれの顔をしかめている。

一橋ひとつばし公ともあろうお方に送るがじゃき、尾頭おかしらつきやのうて失礼にあたらんろうか?」

伊舟城が賀川のまげを切りながら笑い飛ばした。

「ははは、岩倉と千種にも送ってやらにゃならんから、我慢がまんしてもらう他ないな」


あたり一面、血の海の中、伊舟城、以蔵、萩原らは、賀川の遺体をバラバラに解体していた。


「ほうじゃの。祝事いわいごとでもないき、固いことは言わんか」

以蔵が新兵衛の顔を見てニタリと笑う。


新兵衛は深いやみに落ちていった。



「うわぁああああぁぁああああ!!!」




そして、自分の叫び声で長い悪夢から覚めた。


「また、あん時の夢か」


まだ手にべっとりと付いた血の感触が生々しく残っている。

息が苦しい。

新兵衛は、少しずつ息を整え、ようやく現実を認識した。

ここは、追手を振り切り、辻君の手引きで逃げ込んだ出合茶屋であいぢゃやの一室だ。


隣で眠っていた辻君が、新兵衛のひたいに浮かぶ汗をそっといた。

「どうしたの?うなされてた」

「い、いや、なんでんなか」


ここ最近、新兵衛は、ずっと「あの時」の悪夢にさいなまれていた。



文久三年二月一日。


分解された賀川肇の身体は、右腕が千種ちぐさ邸に、左腕が岩倉邸に投げ込まれた。

伊舟城いばらき源一郎らが「贈り物」に添えた書状には、

「これは国賊こくぞく、賀川肇の腕である。二嬪にひんが復帰するといううわさが本当なら千種も必ず同じ目に合わせると伝えよ」

と言ったことが書かれていた。


更に、当時一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)が宿泊していた東本願寺の門前には、賀川の首がさらされた。

こちらにも、封書が添えられており、近藤勇らの話題にも上った老中格ろうじゅうかく小笠原長行おがさわらながみちと、大目付おおめつけ岡部長常おかべ ながつね沢勘七郎さわかんしちろう宛てとなっている。

脅迫文にいわく、

すみやかに攘夷じょういの期日を決め、『幕府の口にする攘夷など口先だけではないか』という世間の疑惑を払拭ふっしょくしろ。些少さしょうながらこの首を攘夷の生贄いけにえとして献ずるので、一橋殿にもご披露ひろう願いたい」


この後、千種有文は、血なまぐさい政治から手を引き、隠遁いんとん生活を選んだ。

脅迫テロリズムは、少なくともある程度の効力を発揮はっきしたと言える。


しかし新兵衛は、京での苛烈かれつな日々、狂気に満ちた生活に疲れ切り、もう耐えられなくなっていた。



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