表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
人斬之章
291/404

人斬り新兵衛の憂鬱 其之弐

やがては傾き、暮れの六つ(18:00pm)。


因幡薬師いなばやくし

くだんトラ興行に集まった客を目当てに、参道には数件の煮売にう酒屋ざかやの屋台が並んでいた。

そのうちの一つ、混みあった店先の隅で、背の高い浪人風の男が一人酒をあおっている。

どことなくうらぶれた印象を与えるその細面ほそおもてには、伸び放題の髪がたばねきれずに幾筋いくすじも垂れ、落ちくぼんだ目は眼光だけが鋭かった。


「久しぶりじゃの」

周囲に近寄りがたい雰囲気を発するその男に、一人の客が無造作に肩を寄せ、声をかけた。


「鉄蔵」

男はチラと目を合せ、一言、その客の名を呼んだ。

鉄蔵、すなわち土佐の“人斬り以蔵”の偽名である。


「久しぶりやにゃあ」

以蔵はそう言って左の肩をかばうようにさすった。

新兵衛は以蔵のたもとから胸に巻いたサラシが覗いているのに気づいた。

「怪我でもしたんか?」

「ちっくとしたかすり傷やき。おまんとは千本屋敷の裏で仕丁しちょうの人形をバラシて以来ぜ」

以蔵は笑って、手にした徳利とっくりの酒を直接胃に流し込んだ。

仕丁とは雛人形ひなにんぎょうのひな壇に飾る雑役夫ざつえきふの人形のことで、二人の間のみで通じる隠語いんごのようなものらしい。


「何の用かい」

「また仕事を頼みたい」


男は、薩摩の誠忠組に属する下士(下級武士)で、名を田中新兵衛といった。


京という町では、こうした各藩の過激派分子が、複雑な網の目のようにからみ合っており、二人もまた、幾度いくどとなく町の喧騒けんそうに紛れて連絡を取り合ってきた。

もっとも、末端まったんの実働部隊である彼らは、一つの仕事が終われば、数か月ほとぼりを冷ます期間を置くこともしばしばである。

ここ、因幡薬師は、以蔵が寝泊まりしている方広寺近くの隠れ家(アジト)と、薩摩が藩士たちの為に借り受けた東洞院ひがしのとういん通りと蛸薬師たこやくし通りの辻にある小さな屋敷のほぼ真ん中にあった。


「おいはもう殺しはやいもはん」

「おまんが?てんごう言いな」


以蔵は、自分自身を除けば、新兵衛こそ人斬りの名をかんするのに唯一相応ゆいいつふさわしい男と認めていた。


文久二年、九条家の青侍あおざむらい、島田左近を斬り、

世に「天誅てんちゅう」を知らしめたのは、まさにこの新兵衛だった。


その後、新兵衛は土佐勤王党とさきんのうとうの党首武市半平太と義兄弟のちぎりを交わして、攘夷派の幹部たちに指示されるまま、次々と天誅てんちゅうの名を借りた殺人に手をめてゆく。


越後の志士、本間精一郎。

九条家の諸大夫しょだいぶ宇郷重国うごうしげくに

京都町奉行所与力まちぶぎょうしょよりき、渡辺金三郎・大河原重蔵・森孫六・上田助之丞。etc. etc.

ほんの一年足らずの間に、

新兵衛は、斬って、斬って、斬りまくった。


ヒトキリシンベエ


その名は、もはやの彼の実像を越えて、独り歩きを始めていた。

開国を口にする者には、たたり神がヒトキリシンベエの姿を借りて鉄槌てっついを下す。


そして、今年、文久三年一月二十八日に公卿くぎょう千種ちぐさ家の雑掌ざっしょう賀川肇かがわはじめを以蔵らとともに手に掛けたあと、新兵衛の凶刃きょうじんはしばらく鳴りをひそめていた。

おそらく以蔵の言った「仕丁しちょうの人形」とはこの事件を指す。


「そろそろ持ち金も底をついてきちゅうやお?なんちゃじゃない、おまんにとっちゃ、ちっくとしたお使いみたいなもんやき」

「おいは今、人を斬る気分でんなか」

新兵衛は声をしぼり出すように応えた。

以蔵は口の前に人差し指を立てる。

「しーーーっ!声がふといき!ほいたら、次の仕事しゃんしゃん済ませてから、ゆっくりすりゃええやか。大物おおもんじゃき駄賃だちんも太いぜよ」

「…だいじゃ」

「え?」

「次はだい始末しまつすっと」

「姉小路公知じゃ。たまるかよー、お公家くげさんじゃき」

新兵衛は標的ターゲットの名を聞いて耳を疑い、混乱した。

摂海巡視せっかいじゅんしに将軍の見張り役として張り付いた姉小路は、長州に操られる傀儡くぐつには過ぎないが、尊王攘夷そんのうじょうい旗頭はたがしらである。

「ないごて?」

「そがい難しいことわしに聞きなや。要するに天誅ぜ、天誅」

以蔵は二本目の徳利とっくりに手を付けた。


山南敬介が危惧きぐした通り、姉小路が開国と破約攘夷はやくじょういはざまで揺れていることは、すでに“草莽そうもうの志士“たちの口のにものぼっている。

姉小路がうわさ通り開国派に転ぶのであれば、岡田以蔵の属する土佐勤王党とさきんのうとうという先鋭的せんえいてきな過激派が、攘夷じょうい象徴的しょうちょうてきな存在である姉小路を放っておくわけがなかった。


しかし、その理由はさておいても、新兵衛はこの仕事に乗り気ではなかった。

「じゃっど、おいもそろそろ足を洗いたか」

「おまんがかえ?笑わせんちょき」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=929024445&size=135
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ