人斬り新兵衛の憂鬱 其之弐
やがて陽は傾き、暮れの六つ(18:00pm)。
因幡薬師。
件の虎興行に集まった客を目当てに、参道には数件の煮売り酒屋の屋台が並んでいた。
そのうちの一つ、混みあった店先の隅で、背の高い浪人風の男が一人酒を煽っている。
どことなくうらぶれた印象を与えるその細面には、伸び放題の髪が束ねきれずに幾筋も垂れ、落ちくぼんだ目は眼光だけが鋭かった。
「久しぶりじゃの」
周囲に近寄りがたい雰囲気を発するその男に、一人の客が無造作に肩を寄せ、声をかけた。
「鉄蔵」
男はチラと目を合せ、一言、その客の名を呼んだ。
鉄蔵、すなわち土佐の“人斬り以蔵”の偽名である。
「久しぶりやにゃあ」
以蔵はそう言って左の肩をかばうように擦った。
新兵衛は以蔵の袂から胸に巻いたサラシが覗いているのに気づいた。
「怪我でもしたんか?」
「ちっくとしたかすり傷やき。おまんとは千本屋敷の裏で仕丁の人形をバラシて以来ぜ」
以蔵は笑って、手にした徳利の酒を直接胃に流し込んだ。
仕丁とは雛人形のひな壇に飾る雑役夫の人形のことで、二人の間のみで通じる隠語のようなものらしい。
「何の用かい」
「また仕事を頼みたい」
男は、薩摩の誠忠組に属する下士(下級武士)で、名を田中新兵衛といった。
京という町では、こうした各藩の過激派分子が、複雑な網の目のように絡み合っており、二人もまた、幾度となく町の喧騒に紛れて連絡を取り合ってきた。
もっとも、末端の実働部隊である彼らは、一つの仕事が終われば、数か月ほとぼりを冷ます期間を置くこともしばしばである。
ここ、因幡薬師は、以蔵が寝泊まりしている方広寺近くの隠れ家と、薩摩が藩士たちの為に借り受けた東洞院通りと蛸薬師通りの辻にある小さな屋敷のほぼ真ん中にあった。
「おいはもう殺しはやいもはん」
「おまんが?てんごう言いな」
以蔵は、自分自身を除けば、新兵衛こそ人斬りの名を冠するのに唯一相応しい男と認めていた。
文久二年、九条家の青侍、島田左近を斬り、
世に「天誅」を知らしめたのは、まさにこの新兵衛だった。
その後、新兵衛は土佐勤王党の党首武市半平太と義兄弟の契りを交わして、攘夷派の幹部たちに指示されるまま、次々と天誅の名を借りた殺人に手を染めてゆく。
越後の志士、本間精一郎。
九条家の諸大夫、宇郷重国。
京都町奉行所与力、渡辺金三郎・大河原重蔵・森孫六・上田助之丞。etc. etc.
ほんの一年足らずの間に、
新兵衛は、斬って、斬って、斬りまくった。
ヒトキリシンベエ
その名は、もはやの彼の実像を越えて、独り歩きを始めていた。
開国を口にする者には、祟り神がヒトキリシンベエの姿を借りて鉄槌を下す。
そして、今年、文久三年一月二十八日に公卿千種家の雑掌、賀川肇を以蔵らとともに手に掛けたあと、新兵衛の凶刃はしばらく鳴りを潜めていた。
おそらく以蔵の言った「仕丁の人形」とはこの事件を指す。
「そろそろ持ち金も底をついてきちゅうやお?なんちゃじゃない、おまんにとっちゃ、ちっくとしたお使いみたいなもんやき」
「おいは今、人を斬る気分でんなか」
新兵衛は声を絞り出すように応えた。
以蔵は口の前に人差し指を立てる。
「しーーーっ!声が太いき!ほいたら、次の仕事しゃんしゃん済ませてから、ゆっくりすりゃええやか。大物じゃき駄賃も太いぜよ」
「…誰じゃ」
「え?」
「次は誰を始末すっと」
「姉小路公知じゃ。たまるかよー、お公家さんじゃき」
新兵衛は標的の名を聞いて耳を疑い、混乱した。
摂海巡視に将軍の見張り役として張り付いた姉小路は、長州に操られる傀儡には過ぎないが、尊王攘夷の旗頭である。
「ないごて?」
「そがい難しいことわしに聞きなや。要するに天誅ぜ、天誅」
以蔵は二本目の徳利に手を付けた。
山南敬介が危惧した通り、姉小路が開国と破約攘夷の間で揺れていることは、すでに“草莽の志士“たちの口の端にも上っている。
姉小路が噂通り開国派に転ぶのであれば、岡田以蔵の属する土佐勤王党という先鋭的な過激派が、攘夷の象徴的な存在である姉小路を放っておくわけがなかった。
しかし、その理由はさておいても、新兵衛はこの仕事に乗り気ではなかった。
「じゃっど、おいもそろそろ足を洗いたか」
「おまんがかえ?笑わせんちょき」




