回天の野望 其之壱
入京して最初の夜。
浪士たちが、続々と新徳寺に集ってくる。
「いやあ、壮観だねえ。こうして一堂に会するのは伝通院以来じゃないか?」
井上源三郎が、本堂の入口に殺到する人の群れを見て、感慨に浸るように顎を撫でた。
試衛館の面々が、そのあとに続いてようやく中に入ると、さほど広くもない本堂には、二百以上もの人間がひしめきあい、ギュウギュウ詰めの状態だった。
正面には、すでに幹部たちがズラリと居並んでいる。
みな、それぞれの思惑もあってか、緊張した面持ちだ。
ここで一応、その主な顔ぶれを紹介しておくと、
まず、組織のトップ、「浪士取扱」の鵜殿鳩翁。
過去には徳川幕府の目付という重職にあり、嘉永七年(1854年)には、あのM.ペリーと実際に顔を合わせたこともある人物である。
続いて、次席の「取締役」、山岡鉄太郎と松岡万。
実質的に浪士組を取り仕切る、若き幕臣たちである。
しかし実のところ、彼らは清河が主催する「虎尾の会」創設メンバーに名を連ねており、
つまり、浪士組首脳陣の中に紛れ込んだ、清河の同調者だった。
ちなみに山岡鉄太郎とは、後年、無刀流の創始者となる剣豪、山岡鉄舟のことである。
そして「取締並出役」佐々木只三郎。
彼は、この翌年「京都見廻組」が結成された際に与頭に就き、以降、新選組とともに京の治安を守ることになる。
彼らを含め、10人ほどの幹部は全て幕臣で占められている。
「せっかく無事京に着いたってえのに、幹部連中のご機嫌は心なしか麗しくなさげじゃねえか」
勘の鋭い原田左之助が、勢揃いした重鎮たちの表情を見渡して意地悪く笑った。
近藤勇が、フンと鼻を鳴らす。
「旗本なんてなあ、大概不機嫌な面をしてるもんさ」
もちろん、彼らの顔色が冴えないのには理由がある。
この召集は、清河八郎の発案によるものなのだ。
「なあに、ちょっとハッパをかけてやろうと思いましてね」
清河が言い出したとき、それを鵜呑みにする幹部もいなかったが、
なにぶん彼の腹心、山岡と松岡が取締役についているので、安易に異を唱えることもできない。
喰わせ者の清河が、これから何を言いだすのか、彼らは戦々恐々としていた。
対して、すし詰めにされた二百数十名の浪士たちも多士済々である。
こちらも目立った人物を見渡しておこう。
浪士組のなかで一大派閥を誇る庄内の豪農、根岸友山は、
威勢を張るように、自らの私塾「三餘堂」と道場「振武所」の門徒をはべらせ、その中央に鎮座している。
甲州勝沼の侠客、つまりヤクザの祐天仙之助も、四十人ばかりの子分を従え、牢名主よろしくふんぞり返っていた。
さらには清河の「虎尾の会」のメンバーから参加した、池田徳太郎、村上俊五郎、石坂周造、桜山五郎らの顔も見える。
そしてもちろん、芹沢鴨率いる水戸一派、そして中沢良之助などが、浪士の群れの中にいた。
みな長旅を終えて、やっと一息ついたところを呼び出されたため、なにごとかと囁きあっている。
清河八郎は、そのざわめく本堂へ、最後に悠然と姿を現した。
彼なりの演出を狙ったものか、必要以上にゆっくり中央に進み出ると、わざとらしく咳払いを一つ入れる。
「ええ、よろしいか、みなさん。少しお静かに願おう」
その一言で、本堂は嘘のように静まり返った。
「こうして集まって頂いたのは他でもない。
このたび、われわれ浪士組がはるばる上洛した目的について、
あらためて、その意義をお伝えし、結束を固めんがためである」
土方歳三が、近藤に耳打ちした。
「は、結束だってよ。そんなもんあったっけ?」
近藤はジロリとその顔を横目で睨んだきり、応えない。
土方にはそれが不満だったらしく、近藤を隔てて座っていた山南敬介の顔をのぞきこみ、お道化てみせた。
「黙って聴けとさ」
清河の声は、さほど大きくないが、不思議とよく通った。
「われわれは、不逞の輩が跋扈する都を安んじ、
つつがなく大樹公(徳川家茂)をお迎えせんがために、こうして上洛を果たした。
ここにいる者はみな、ご交誼の呼びかけに応じ、その為に万難を排して集った義士である!」
彼は手振りを交えて、滔々と語り続ける。
「しかし、思い起こして頂きたい。
このお役目の真に意味するところは何か。
そもそも大樹公が、遠路この京洛へ入られるのは、
孝明帝に『攘夷』の実行を約束するためである!
言うまでもなく『攘夷』は帝の悲願であり、
今や、わが日本の国体を護るための唯一の手段である」
「よく舌の回る野郎だな」
原田左之助は、妙なところに感心していた。
そのとなりで藤堂平助が舌打ちした。
「ちぇ、へ理屈コネやがって」
一通りの学問をかじっている彼にとって、清河の言葉は小賢しく聴こえるらしい。
しかし、幹部たちの怒りはそれどころではなかった。
自分たちの目の前で、一介の浪士が、幕府肝煎りの組織の目的を、都合よくすり替えようとしているのだ。
この茶番じみた大演説が行われている本堂の外で、
掃き出し窓の下に腰かけた中沢琴が聞き耳を立てていた。
「大津で言ってたのは、このこと…」
「まあったく、食えねえ野郎だな?」
「!!」
突然耳元で声がして、思わず大声が漏れそうになるのを、琴はギリギリで堪えた。
振り向けば、四つん這いになった永倉新八の顔が目の前にあった。
「いやあ、ちっとばかし遅刻しちゃってさあ」
口元に人差し指を立て、小声で言い訳する永倉に、琴も声をひそめて詰め寄った。
「永倉さん、どうして…?」
「どうしてって、あんたの貞操が危機に晒されてるってえから、八方捜し周ってたんじゃねえかよう」
「なにそれ?」
「どうやら無事そうで、ひと安心だぜ」
永倉はわざとらしく額の汗を拭うふりをした。
本堂の中では、ついに清河八郎が野望の一端を垣間見せた。
「そして、思い出していただきたい。
われわれ浪士一同は、元来、幕府の禄を食むものではない。
つまり、浪士組結成の第一義は、単に大樹公の露払いにあらず!
すなわち!
われらの果たすべき最終的な責務は、
あくまで卑劣な西洋列強を打ち払うため、
身命を投げ打つことにある!
加えて言うならば、
帝の悲願を、われわれの手で成就することこそが、
ひいては大樹公の恩義に報いることにもなるだろう。
もし、この天意を阻む者があらば、
それが何人であれ、
われわれは、容赦なくその罪を糾弾し、
かの者を誅さねばならない!」
それを聞いた幹部たち、鵜殿鳩翁、佐々木只三郎などは思わず腰を浮かした。
彼ら旗本は、ここにいる浪士たちとは違い、多少なりとも国際情勢に通じている。
すでに通商条約が締結された今、朝廷の希望に沿ってその条約を違えることは、圧倒的な戦力差のある列強諸国と一斉に戦火を交えることを意味した。
それがもはや現実的でないことは自明である。
穿った見方をすれば、このまま外交の膠着を引き延ばそうとすれば、徳川将軍家も「攘夷を阻む者」の謗りを免れない、と暗に名指ししたも同然であり、
他ならぬ清河ならば、そこまで先を見越しているに違いなかった。




