浅き夏 其之弐
永倉は胡坐をかいていた足を引き寄せ、井上、藤堂、原田らを責めるように見渡した。
「ほ~ら見ろ!ほ~ら見ろ!な?な?お前らがモタモタしてっから!クソ~、あいつら、抜け駆けしやがって!で、なに?お雅さん、みんな行っちゃったの?」
雅はメンバーを思い出しながら、指を折った。
「あと、安藤はんどっしゃろ?…それから、松っちゃんとその子分」
「松ちゃん?」
秀二郎が母の説明を補足した。
「ほら、あの愛想のええ、坊主頭の松原さんですよ。それから柳田さんと菅野さん」
余談だが、松ちゃんこと新入隊士の松原忠司は、あっという間に壬生に馴染んでしまった。
無知で、粗野で、ガサツながら、妙に愛嬌があり、要らぬお節介が得意な彼は、不思議と村人に人気があった。
「えー!オレ、そっちの組の方が良かったなあ」
藤堂が残念そうに身をよじると、
原田がお話にならないといった風に手を振った。
「あーダメダメ。あんなぬるま湯に浸かってる連中とツルんでちゃ、金輪際不逞浪士の首なんざ獲れねえぞ。子を択ぶ事父に如くは莫し、てな。父の如くキミタチを知るこの俺さまが、手柄に導いてやっから!」
藤堂が柳太郎に軽く肘鉄を入れた。
「原田さんの言うことはともかくさ、親父に一生を支配されるなんて下らねえぞ?なにを畏れてんのか知らないが、なんなら、さっさと縁を切っちまえよ」
柳太郎は木太刀を地面について、弱り果てた様子で小尻に身体を預けた。
「でも…無理です。出来ないですよ」
藤堂は腕を組んで、そんな柳太郎を憐れむように眺めた。
そして、何か助言しようとしたが、
「平助さんはどうなん?お父上と会うてんの?」
祐の言葉に遮られて、眉をしかめた。
「なにそれ、どういうこと?」
「今、京に来たはるんやろ?」
「なんだよ、お祐ちゃんまで、あんな噂本気にしてんの?」
「ウソがヘタやな。言いたないならええけど、さっきのアレ、自分の話やろ?」
藤堂は首の後ろをボリボリと掻いた。
彼には、伊勢津藩主藤堂高猷の落胤だという出生の噂が絶えずつき纏った。
今回、徳川家茂が上洛して二条城を仮の住まいと定めるにあたり、その二条城守衛の役目を任されたのが、件の大名、高猷である。
「よせよ。聞いた話じゃ、俺は湯島辺りの旗本の妾腹だってことだ。だいたい、伊勢の殿様が何処で何してようが知るかよ。いったい、そりゃ誰から仕入れたネタさ」
「ま、町の噂や。ご先祖の藤堂高虎公が作ったお城に、その末裔の高猷公が入られるんやさかい…」
すると、ついに永倉新八がすっくと立ち上がった。
「だあ!!テメーらナニのんびり世間話カマしてんだ!立ちませい!!あいつらに先越されてもいいのか!」
膝に乗っていた子猫は驚いて、庭に飛び出していった。
「立ってないのは、あんたと原田さんだけッスよ」
いつまで経っても上達しない馬詰に手を焼いていた藤堂は、見回りに乗り気だった。
永倉が皆を追い立てると、原田が気乗りしない顔でようやく立ち上がった。
「や~れやれと…」
「で?手始めにどっから捜します?」
藤堂が腰に刀を差しながら尋ねると、原田がその襟首を引き寄せた。
「…バカおまえ、そりゃ、日陰伝いに行けるとこまで行くんだよ」
「…そりゃあんた、テキトー過ぎんだろ」
「犬も歩けば棒に当たるってなあ。こないだの吉村って土佐野郎も取り逃がしちまったから、差し当たりガサ入れの目星もつかねえしよ。こういう時は運を天に任せた方が上手くいくんだよ」
「ほんま、手抜きの言い訳だけは、弁が立つんやなあ…」
秀二郎は半ば感心しながら原田たちの後姿を見送り、
彼らが出て行って静かになると、井上に向き直った。
「そういえば、どうなんです?」
「いや、なかなか筋がいいよ。柳太郎に教えてやってほしいくらいだ」
井上は留守番らしく、相変わらず素振りを続けている。
「そやのうて、お仕事の方です」
「何が?」
井上は怪訝な顔をした。
「将軍様はこないだ、摂海の沿岸警備を視察されはったんでしょ?噂では、うるさ型のお公家さんも同船されはったとか。皆さんが大坂から帰って、もうしばらく経ちますし、そろそろ何ぞお沙汰があってもええんとちゃいますか」
「モタついとったら、そろそろ姉小路あたりがキーキー言うてきそうやもんな」
祐が簾戸を鴨居の溝に嵌めながら意地悪な口を挟んだ。
「これ、あんたら!御公務に口出しはあきまへん」
雅が二人を咎めた。
「これまでの経緯を考えたら、さもありなんだが、今んとこ、なんも言ってこないねえ。もっとも、沙汰のあったとしても、あたしの口から言えないよ」
井上は庭の片隅に咲くカスミソウを眺めながら、いつものようにニコニコ笑って受け流した。
「ふうん」
祐は興味なさそうに相槌をうつと、最後の一枚を嵌めて、埃を払うように手をパンパンと打った。
「奥さん、ほんならうち、上がらせてもらいますね」
「おおきに。おつかれさん。いっつも悪いなあ」
雅は祐にうなずいてみせた。
「そんな。好きでやってるんやから。こちらこそ勝手言うてすみません」
言うが早いか、勝手の方に歩き出している。
「おや、今日は早いね」
井上はチラと祐に視線をやって、雅に尋ねた。
「ええ。なんや、家の用事とかで」
秀二郎もクロを抱き上げながら雅に向き直った。
「そういえば、お祐ちゃん、どっから通ってるんでしたっけ?」
「聞いたことおへんなあ」
ところが。
「さあて、ぼちぼち狩りをはじめるとすっか」
離れにいた数名の隊士に声をかけて、
今まさに八木家の門を出ようとしていた永倉新八が、その会話を耳に挟んで戻ってきた。
「え~?なになに?お祐ちゃん、どこ行くの?」
「総司と逢引きか?」
「いいな~、うらやましいなあ」
原田と藤堂も調子に乗って冷やかした。
「あんたら、まだ居ったんかー!そんなんちゃうわボケー!!早よ出てけえええええ!!!」
祐はあっという間に永倉たちを叩き出し、
めずらしく晴れた空を見上げて、眩しそうに眼を細めた。
「はぁ、また暑うなってきたなあ…」




