デカダンスの夢想 其之参
安藤早太郎は、あっという間にその場を掌握した秩の手際に感嘆して、沖田の脇腹を肘でつついた。
「ハ!アレも肝の据わった玉だねえ。あんたが惚れちゃうわけだな」
沖田は、柱に突き刺さった矢を引き抜いて、話を反らした。
「すごいや、さすが日本一ですね」
「よしてくれ。弓なんて、もはや戦国時代の遺物さ。今となっちゃあ、時代遅れの曲芸だよ」
鼻先に刀を突きつけられた以蔵が、肩の傷を押さえながら、厚かましくも二人の会話に割り込んできた。
「なるほどにゃあ、おまんはこん中じゃ、ちっくと使えそうじゃ」
「お相手をしてやりたいとこだが、あいにく拙僧の専門は飛び道具でね」
安藤は、軽く受け流したが、
以蔵の放った殺気に反応して、沖田が思わず見構えた。
「あ、あ、あ。早合点せんちょき。わし自身、浪士組に含むとこはないですき。けんどホレ、島田左近が斬られてからちゅうもの、不思議なことに御公儀の走狗がこじゃんと死んじゅうろう?」
安藤はニヤニヤしながら腕を組んだ。
「あんた、何故だと思うね?」
「わしゃ無学ですき、ほがなこと聞かれても答えれん。けんど、攘夷は天意です。それを邪魔しゆう奴には、不思議なことに天誅が下りますきねや」
安藤は、笑いながら肩をすくめた。
「そりゃまた、便利な天意もあったもんだ」
「坊さん、わしゃ、こがな格好しちゅうき、疑うのも無理はないですろうが、これでも信心深いがです」
「そりゃ福音ですなあ。しかし、あいにく肝心の拙僧が、御仏の救済にゃあまり乗り気じゃなくてね」
以蔵はしてやられたという風に、額に手を当てた。
「たまるか。やさぐれ坊主じゃいか」
「世の中、こう世知辛くちゃあ、坊主もやさぐれようってもんだよ」
「はあ、世も末じゃあ。わしゃ、ちっくと前にも三条河原で若い坊さんから嘆かわしい不信心を聞かされちゅうがよ」
安藤の眉がピクリと反応した。
たしか二月ほど前に、妙宝寺の寺役が何者かに殺されたのも三条河原だったはずだ。
「煩悩断ち切り難しってね。気持ちは分かるよ。俗世じゃ、放っといても女が寄って来ちゃうからさあ。そのボーズも、拙僧とご同類で、さぞ男前だったろ?」
用心深く、以蔵の自白を誘導する。
「顔はよう覚えとらんがです。最後に会うた時は、首から下ばあしか無うなっとったき」
「もうたくさん!」
しかし痺れを切らした琴が、以蔵の喉元に切先を突きつけた。
「さあ、ここからは大事な質問だから、そのムカつく笑い方をやめて、心して答えなさい。こんなことをやらかした目的はなに?」
琴は、介抱されている山野にチラと目をやって尋ねた。
以蔵は、薄ら笑いをやめない。
「わし自身は、おまんが鼻を突っ込んじゅう件なんぞ、別に興味もないけんど、おまんがこれ以上深入りする気なら、放っちょくわけにもいかんき」
沖田が眉を顰める。
「いったい、なんの話です?」
琴はその問いを黙殺した。
「つまり、あなたは、まだ何か知ってるってことね?それは、誰の差し金なの」
「わしの独断ぜ。どういても、あの金の行方を追い続けゆうなら、おまんは遠からず新兵衛と会うことになるろう」
「新兵衛って、どこの新兵衛?」
「おまんは死神を呼び寄せちゅうがよ。おまん相手じゃ、新兵衛も手加減らあ出来んき、わしゃ、奴に先を越されんか、それを心配したがじゃ」
薩摩の田中新兵衛、通称”人斬り新兵衛”は、この物語冒頭でも触れた島田左近謀殺の実行犯であり、以蔵とともに数々の「天誅」に手を染めた幕末期を代表する暗殺者の一人である。
「つまるところ、人斬りの手柄争いってわけ?田舎道場の娘相手に、ご苦労なことね?」
「やめや。そがい不純な動機やないき!わしゃ、おまんみたいに綺麗な女が、わしの刀で真っ赤な血に染まりゆうとこを見たいちや」
「…」
琴は応える代わりに、うんざりした表情で沖田と目を合せた。
沖田の方は、この歪んだ愛情とも言うべき奇妙な動機に息を飲み、圧倒されている。
「この気持ち、わかってくれるろうか」
「…言いたいことはそれだけ?」
「ちょっ、まって!」
切先をさらに首筋へ押しつけた琴を、沖田が制止した。
「どうもよく分からないんだけど、土井さん、あなたにこんな事やらせたのは、ひょっとして吉村寅太郎という男では?」
「やき、わしが勝手にやった言うつろう」
「では、その名に覚えは?」
沖田の口調も、幾分厳しさを帯びる。
以蔵は、悲しそうに項垂れた。
「おお、同郷じゃ。けんど、あいつは最近龍馬と折り合いが悪いき、わしも仲良う出来んぜ」
その名を聞いて、琴がいぶかるように目を細めた。
龍馬。土佐の坂本龍馬のことに違いない。
「あなた、坂本様とどういう関係?」
「なんちゃ。おまん、龍馬を知っちゅーが?わしゃ旧友ぞね」
琴は返答に詰まった。
沖田と安藤が、もの問いた気に琴の顔を覗き込む。
そして。
「…行きなさい」
「え?」
琴の下した結論に、沖田と以蔵が同時に顔を上げた。
「今日のところは、坂本様の顔を立ててあげる」
「いや、ちょっと!勝手に…」
沖田が慌てて止めたが、琴はそれを遮り、すっと刀を引いた。
「いいから」
「許してくれるなが?」
以蔵が目を輝かせて尋ねると、琴は再び刀を突きつけた。
「ただし。これ以上、私の気に障ることを、一言でも喋れば、今、この場で楽にしてあげる」
以蔵は、跳ねるように立ち上がった。
「助かったにゃあ。ほいたら皆さん、ごきげんよう」
膝の埃を払うと、まるで何も起きなかったように上機嫌で手を振った。
追おうとする沖田の腕を、琴が掴む。
沖田は振り返って琴をにらんだ。
「さっきの話、何のことやらさっぱりだけど、近藤さんは承知なんでしょうね!」
「いい?これは私の問題なの。山南さんや土方さんが戻って来たら話がややこしくなる」
勿論、力任せに振り払うことも出来たが、沖田はその手の感触に琴の強い意志のようなものを感じて、渋々納得した。
以蔵は、坊城通りの角を曲がるまえに、再び陽気に手を振ってみせた。
しかし、左の肩口から袖の先まで、滴る血で真っ赤に染まっている。
「忘れんちょきや、滝夜叉姫。あんたを斬り刻むがは、わしじゃき」
「あんなおっかない男は、見たことないねえ」
安藤が、芝居がかった仕草で震えて見せた。
だが、それは偽らざる気持ちだろう。
やがて、考試を終えた浪士組副長山南敬介と土方歳三が、屯所に帰ってきた。
土方は、土塀に背を預けてぐったりと座る山野八十八や、道場の惨状を見て、途端に不機嫌になった。
「それで?これをやった奴は?」
「取り逃しました」
沖田が短く答える。
「こりゃ見事な醜態だな、総司。たった一人の浪人に本拠地へ乗り込まれた挙句、これだけやりたい放題されるとは。外聞が悪すぎて、公に出来んぞ」
そう言って土方は、琴をジロリと横目でにらんだ。
その皮肉は、実のところ彼女に向けられているのだ。
しかし、琴の方はまるで気にする風もない。
厳しい叱責に責任を感じたのは、むしろそれを横で聞いていた怪我人だった。
「すみません。それは、私、山野八十八が不甲斐なかったせいです」
山野はフラフラと立ち上がり、土方の前に名乗り出た。
見兼ねたやまと屋の加禰が、秀二郎の腕をスルリと抜けて、二人の間に割って入った。
「いいえ、土方様!この山野様は私の命の恩人です」
沖田も加禰の訴えにうなずく。
「ええ、あなたの振る舞いは立派だった。早く怪我を治して戻って来てください。あなたになら戦場で背中を預けられます」
山野は、端正な顔に少々情けない笑顔を浮かべて誓った。
「かならず」
後、彼は沖田総司の一番隊に所属して、その約束を果たすことになった。




