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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
人斬之章
283/404

デカダンスの夢想 其之参

安藤早太郎は、あっという間にその場を掌握したいちの手際に感嘆かんたんして、沖田の脇腹をひじでつついた。

「ハ!アレもきもわった玉だねえ。あんたがれちゃうわけだな」

沖田は、柱に突き刺さった矢を引き抜いて、話を反らした。

「すごいや、さすが日本一ですね」

「よしてくれ。弓なんて、もはや戦国時代の遺物いぶつさ。今となっちゃあ、時代遅れの曲芸だよ」


鼻先に刀を突きつけられた以蔵が、肩の傷を押さえながら、厚かましくも二人の会話に割り込んできた。

「なるほどにゃあ、おまんはこん中じゃ、ちっくと使えそうじゃ」


「お相手をしてやりたいとこだが、あいにく拙僧せっそうの専門は飛び道具でね」

安藤は、軽く受け流したが、

以蔵の放った殺気に反応して、沖田が思わず見構えた。

「あ、あ、あ。早合点はやがてんせんちょき。わし自身、浪士組に含むとこはないですき。けんどホレ、島田左近が斬られてからちゅうもの、不思議なことに御公儀ごこうぎ走狗そうくがこじゃんと死んじゅうろう?」

安藤はニヤニヤしながら腕を組んだ。

「あんた、何故なぜだと思うね?」

「わしゃ無学ですき、ほがなこと聞かれても答えれん。けんど、攘夷じょういは天意です。それを邪魔しゆう奴には、不思議なことに天誅てんちゅうが下りますきねや」

安藤は、笑いながら肩をすくめた。

「そりゃまた、便利な天意てんいもあったもんだ」

(ぼん)さん、わしゃ、こがな格好かっこうしちゅうき、疑うのも無理はないですろうが、これでも信心深いがです」

「そりゃ福音ふくいんですなあ。しかし、あいにく肝心かんじん拙僧せっそうが、御仏みほとけの救済にゃあまり乗り気じゃなくてね」

以蔵はしてやられたという風に、ひたいに手を当てた。

「たまるか。やさぐれ坊主じゃいか」

「世の中、こう世知辛せちがらくちゃあ、坊主もやさぐれようってもんだよ」

「はあ、世も末じゃあ。わしゃ、ちっくと前にも三条河原で若いぼんさんからなげかわしい不信心ふしんじんを聞かされちゅうがよ」

安藤の眉がピクリと反応した。


たしか二月ふたつきほど前に、妙宝寺の寺役じやくが何者かに殺されたのも三条河原だったはずだ。


煩悩ぼんのう断ち切りがたしってね。気持ちは分かるよ。俗世ぞくせじゃ、放っといても女が寄って来ちゃうからさあ。そのボーズも、拙僧せっそうとご同類で、さぞ男前おとこまえだったろ?」

用心深く、以蔵の自白を誘導する。

「顔はよう覚えとらんがです。最後にうた時は、首から下ばあしかうなっとったき」


「もうたくさん!」

しかししびれを切らした琴が、以蔵の喉元のどもと切先きっさきを突きつけた。

「さあ、ここからは大事な質問だから、そのムカつく笑い方をやめて、心して答えなさい。こんなことをやらかした目的はなに?」

琴は、介抱かいほうされている山野にチラと目をやって尋ねた。

以蔵は、薄ら笑いをやめない。

「わし自身は、おまんが鼻を突っ込んじゅう件なんぞ、別に興味もないけんど、おまんがこれ以上深入りする気なら、放っちょくわけにもいかんき」


沖田がまゆひそめる。

「いったい、なんの話です?」

琴はその問いを黙殺もくさつした。


「つまり、あなたは、まだ何か知ってるってことね?それは、誰の差し金なの」

「わしの独断ぜ。どういても、あの金の行方ゆくえを追い続けゆうなら、おまんは遠からず新兵衛と会うことになるろう」

「新兵衛って、どこの新兵衛?」

「おまんは死神しにがみを呼び寄せちゅうがよ。おまん相手じゃ、新兵衛も手加減てかげんらあ出来んき、わしゃ、ヤツに先を越されんか、それを心配したがじゃ」


薩摩の田中新兵衛、通称”人斬り新兵衛”は、この物語冒頭(ぼうとう)でも触れた島田左近謀殺(ぼうさつ)の実行犯であり、以蔵とともに数々の「天誅てんちゅう」に手を染めた幕末期を代表する暗殺者の一人である。


「つまるところ、人斬りの手柄てがら争いってわけ?田舎道場の娘相手に、ご苦労なことね?」

「やめや。そがい不純な動機やないき!わしゃ、おまんみたいに綺麗キレイな女が、わしの刀で真っ赤な血に染まりゆうとこを見たいちや」

「…」

琴は応える代わりに、うんざりした表情で沖田と目を合せた。

沖田の方は、このゆがんだ愛情とも言うべき奇妙な動機に息を飲み、圧倒されている。

「この気持ち、わかってくれるろうか」

「…言いたいことはそれだけ?」


「ちょっ、まって!」

切先きっさきをさらに首筋くびすじへ押しつけた琴を、沖田が制止した。

「どうもよく分からないんだけど、土井さん、あなたにこんな事やらせたのは、ひょっとして吉村寅太郎という男では?」

「やき、わしが勝手にやった言うつろう」

「では、その名に覚えは?」

沖田の口調も、幾分いくぶん厳しさを帯びる。

以蔵は、悲しそうに項垂うなだれた。

「おお、同郷じゃ。けんど、あいつは最近龍馬と折り合いが悪いき、わしも仲良う出来んぜ」


その名を聞いて、琴がいぶかるように目を細めた。

龍馬。土佐の坂本龍馬のことに違いない。


「あなた、坂本様とどういう関係?」

「なんちゃ。おまん、龍馬を知っちゅーが?わしゃ旧友ぞね」

琴は返答に詰まった。

沖田と安藤が、もの問いたに琴の顔をのぞき込む。

そして。


「…行きなさい」


「え?」

琴の下した結論に、沖田と以蔵が同時に顔を上げた。


「今日のところは、坂本様の顔を立ててあげる」

「いや、ちょっと!勝手に…」

沖田が慌てて止めたが、琴はそれをさえぎり、すっと刀を引いた。

「いいから」


「許してくれるなが?」

以蔵が目を輝かせてたずねると、琴は再び刀を突きつけた。

「ただし。これ以上、私の気にさわることを、一言でもしゃべれば、今、この場で楽にしてあげる」

以蔵は、跳ねるように立ち上がった。

「助かったにゃあ。ほいたら皆さん、ごきげんよう」

ひざほこりを払うと、まるで何も起きなかったように上機嫌で手を振った。


追おうとする沖田の腕を、琴が掴む。

沖田は振り返って琴をにらんだ。

「さっきの話、何のことやらさっぱりだけど、近藤さんは承知なんでしょうね!」

「いい?これは私の問題なの。山南さんや土方さんが戻って来たら話がややこしくなる」

勿論もちろん、力任せに振り払うことも出来たが、沖田はその手の感触に琴の強い意志のようなものを感じて、渋々(しぶしぶ)納得した。


以蔵は、坊城通りの角を曲がるまえに、再び陽気に手を振ってみせた。

しかし、左の肩口から袖の先まで、したたる血で真っ赤に染まっている。

「忘れんちょきや、滝夜叉姫。あんたを斬り刻むがは、わしじゃき」


「あんなおっかない男は、見たことないねえ」

安藤が、芝居がかった仕草で震えて見せた。

だが、それは偽らざる気持ちだろう。



やがて、考試こうしを終えた浪士組副長ろうしぐみふくちょう山南敬介と土方歳三が、屯所とんしょに帰ってきた。

土方は、土塀どべいに背をあずけてぐったりと座る山野八十八や、道場の惨状さんじょうを見て、途端とたんに不機嫌になった。


「それで?これをやった奴は?」

「取り逃しました」

沖田が短く答える。

「こりゃ見事な醜態しゅうたいだな、総司。たった一人の浪人に本拠地へ乗り込まれた挙句あげく、これだけやりたい放題されるとは。外聞がいぶんが悪すぎて、おおやけに出来んぞ」

そう言って土方は、琴をジロリと横目でにらんだ。

その皮肉は、実のところ彼女に向けられているのだ。


しかし、琴の方はまるで気にする風もない。

厳しい叱責しっせきに責任を感じたのは、むしろそれを横で聞いていた怪我人だった。

「すみません。それは、私、山野八十八が不甲斐ふがいなかったせいです」

山野はフラフラと立ち上がり、土方の前に名乗り出た。


見兼ねたやまと屋の加禰カネが、秀二郎の腕をスルリと抜けて、二人の間に割って入った。

「いいえ、土方様!この山野様は私の命の恩人です」

沖田も加禰カネの訴えにうなずく。

「ええ、あなたの振る舞いは立派だった。早く怪我けがを治して戻って来てください。あなたになら戦場(いくさば)で背中をあずけられます」


山野は、端正たんせいな顔に少々情けない笑顔を浮かべて誓った。

「かならず」

のち、彼は沖田総司の一番隊に所属して、その約束を果たすことになった。


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