デカダンスの夢想 其之壱
壬生村、八木家。
母屋の玄関脇の部屋に寝かされていた山野八十八の耳に、甲高い金属音が届いた。
「今のは、何の音です?」
山野が、反射的に半身を起こす。
それは、まるで剣戟の響きだった。
「さあ?」
仏頂面をした菱屋の梅が、不機嫌に答え、山野の頭を乱暴に枕へ押しつけた。
部屋には二人きりである。
男所帯の浪士組に、なぜこんな美人がいるんだろう。
山野は拳の傷みに朦朧としながら、そんなことをぼんやり考えていた。
しかし。
「ほらまた!女の悲鳴が…」
それはやまと屋の加禰の声だった。
再び起き上がろうとする山野を、梅が怒鳴りつけた。
「じっとしとき!ほんま!あんたらおサムライときたら、血の気が多おすなあ!そんな体たらくで出てったかて、せいぜい一合で斬られるのがオチどす」
山野の腕に、包帯の要領で木綿の端切れをグルグル巻きにしながら、梅は恨み言をつづけた。
「手当を押し付けられたうちの身ぃにもなっとくれやす!このうえ死体の始末までは、堪忍え」
この少し前。
岡田以蔵に拳の骨を砕かれた山野は、境内で考試を行っていた浪士組の元へ運ばれた。
「誰か、屯所へ連れて行って介抱してやれ」
副長土方歳三が指示すると、たまたま居合わせた芹沢鴨が愉快そうに笑って、
「ホレ、おまえさんのお気に入りがヤラレちゃったってよ?行って面倒見てやんな」
と梅の背中を押したのだった。
契約外の業務を押し付けられて、憤懣やる方ない梅の気持ちを知ってか知らずか、
「…やっぱり気になりますよ。行かなきゃ」
山野はフラつきながら立ち上がった。
「お待ちやす!あんたは見も知らん女のために、命を賭けはるんか?あんたらの命は会津さんに預けたんやおへんの?」
本来、部外者であるはずの梅にしては、真っ当な問いかけだった。
彼女は値踏みするような目で山野を見つめながら、その答えを待った。
「…命だなんて、そんな大袈裟な…ええ、でも行きます」
申し訳なさそうに頭をかく山野に、梅は降参する様にちいさく頭を振った。
「はぁ…ほんなら、お好きにしやす。毒を食らわば皿まで。これも縁どすさかい、骨くらいは拾うたげます」
「ハハ、かたじけない。なるべく死なずに帰ってきますよ」
出ていく山野の背を見ながら、梅は床に手をついて膝をくずした。
「…アホくさ、やっとれんわ」
人斬り以蔵が抜刀した刹那、
彼を取り巻いていた尾形俊太郎、奥沢栄助、大松系斎、中沢琴の四人は、四方に飛び退いた。
しかし、以蔵は迷うことなく、まっすぐ琴に襲い掛かった。
「丸腰の相手に斬りかかるわけ?」
琴は刀を持っていない。
「女同士やき、堅いこと言いなや!」
まるで出来損ないの女郎のような扮装をした以蔵は、多くの要人の血を吸った剣を、容赦なく振るった。
もっとも、琴も、他愛のない会話で時間を稼ぎ、
後退しながら、離れと母屋の間にある道場へと敵を誘い込むつもりだ。
「うわあ!なんやなんや!」
仕事をしていた大工たちが、一目散に逃げだした。
あろうことか、女装した男が、殺気立った目で刀を振り回しながら近づいてくるのだ。
琴は道場に駆け込み、置いてあった大工道具を見つけると、
ヤットコを掴んで、以蔵が袈裟懸けに振り下ろした刀をはじいた。
山野が聴いたのは、この音だった。
「たま~るか!わしの剣をここまでワヤにしたがは、おまんが初めてじゃ!!」
建設中の道場は、入口の土間も含めれば、およそ五十畳に近い広さがあったが、まだ柱が剥き出しで壁も床もない。
琴は、間仕切りの柱を上手く利用して、以蔵の動きを封じた。
「あ~もう!イライラするちや」
焦れた以蔵は、道場の前で、やまと屋の加禰をかばうように覆いかぶさっている八木秀二郎に目を留めた。
そして、秀二郎の背中に刀を突き立てようと身構えた。
秀二郎の肩越しに、以蔵の形相を見た加禰が、鋭い悲鳴を上げる。
「ちっ!」
琴を道場からおびき出す、見え透いた手ではあったが、
彼女には二人をかばう他、選択肢はない。
「策に溺れたねや、滝夜叉姫!」
満面の笑みで刀を振りかぶった以蔵が、そのまま琴に向き直った瞬間、
カカッ!
安藤早太郎の放った弓矢が二本、
以蔵の顔面をかすめるように、道場の柱に突き立った。
「ち。外しちまった 」
10間(18M)も先にいた安藤がうそぶいた言葉は、どこまでが本気だったのか。
だが、安藤の妙技を間近に見た沖田は、思わず感嘆のため息を漏らした。
そして以蔵の動きが封じられた瞬間、
今度は奥沢栄助が突進して、突きを放った。
「死ね!」
「ひゃあ!」
以蔵は飛び退いて、片膝をつく。
さらに追う奥沢を、尾形俊太郎が止めた。
「深追いするな!今のうちに二人を!」
奥沢と尾形は、それぞれ加禰と秀二郎の腕を引っ張って、門の外まで引きずり出した。
「能が悪いねや。こがあザコばかりこじゃんと居っちゃあ、流石のわしも一人で相手しきらん」
「さ、鬼ごっこの続きをしましょう?」
琴は以蔵を挑発して、尾形たちから遠ざけるために、また道場に誘った。
「分かっちゅう、滝夜叉姫。わしの意中はおまんだけじゃき」
以蔵は、琴の企みを承知で道場に脚を踏み入れる。
不動の自信が成せる業だ。
だが、以蔵ほどの達人に何度も同じ手が通じないことは琴も心得ている。
脇玄関を出た山野八十八は、門前の騒動に目を疑った。
建設中の道場で、あの狂人が町娘を襲っている。
「な、なにがどうなってる?」
山野はその時初めて刀を持っていないことに気づき、狼狽した。
以蔵の刀が一閃するたび、
木クズが煙のように立ち上った。
琴が盾に利用している柱に阻まれ、
以蔵は攻めあぐねているように見えたが、
そうではなかった。
得物を持たない琴はジリジリと後退するほかなく、
以蔵は建物の隅に琴を追い詰めた。
「もう後がないぜよ」
「そう?」
薄く笑いながら以蔵の薙いだ刀を交わし、
琴が最後の柱を回り込むと、
太刀筋は、その後を追うように軌道を変えた。
「まっこと!洒落臭いちや!」
しかし、それも琴の計算ずくだった。
さらにスピードを上げ、
以蔵の刃を紙一重で交わせば、
渾身の一撃は、
柱にザックリと食い込んだ。
「クソが!」
以蔵は力任せに引き抜こうとするも、
愛刀「肥前忠広」はビクともしなかった。
それまで手を出せずにいた、新入隊士大松系斎が、
背後から以蔵の首筋に刃を当てた。
「そこまでだ」
「…参ったちや~」
以蔵は、ガックリと両膝をつき、刀を手放すと、
膝這いで大松を振り返り、
驚いたことに、そのまま両手と額を地面に摺りつけて土下座した。
「このとおりですきに、許してつかあさい!」
大松は飽きれ返った。
「…いくらなんでも観念するのが早すぎやしないか?武士の風上にも置けん男だな。あんたは」
しかし、以蔵は、なおもわざとらしく泣いて命乞いを続けた。
「後生じゃ!斬らんでつかあさい。痛いのは苦手ですきに。のう?この通り!こんだけ拝み倒してもダメなが?」
奇妙な女装とも相まって、その姿はひどく滑稽に映った。
「ふん」
大松は刀を引き、以蔵を見下ろした。
そこに油断が生じたのを、以蔵は見逃さなかった。
「おおきに」
ニタリと嗤って、脇差を下から斬り上げる。




