A Love Bizarre Pt.1
壬生寺の荒っぽい考試から逃げ出してきた沖田総司と石井秩らが、寺の南門を出て、そのやまと屋へ向かっていた。
「裏のやまと屋へ行きましょうよ」
提案したのは沖田だ。
彼は、近藤ら幹部が時折りその店で葛きりを食べながら人目をはばかる相談をしているのを知っていた。
「やったあ」
安藤早太郎に肩車された雪は、肩の上で跳ねた。
「ちょ、コラ!あぶないってば」
その背中を見ながら、沖田と秩は肩を並べて歩いていた。
「ちょっと嫉妬しますよ。お雪ちゃんは安藤さんがずいぶん気に入ったみたいだ」
「ええ。あんなにはしゃいで」
「なのに、お秩さんは、なんだか浮かない表情ですね」
沖田はその顔を覗き込んだ。
「その、私、女なので政の事はよく分からないのですが、この度の将軍様ご上洛で、朝廷と幕府の隔たりは、埋まったのではないんでしょうか?」
「わたしは男ですが、やっぱり政治の事はよく分かりません。近藤先生に少しは勉強しろとよく叱られます」
沖田は笑いとばしたが、うつむいたまま無言の秩を見て、彼女が何かちゃんとした答えを望んでいるのだと気づいた。
「いや…ですがまあ、双方が合意したからこそ、ああして大樹公も忙しく準備に追われておられる訳でしょう?きっと良い方向へ向かいますよ」
「では、なぜ土方様は人を増やそうとされているのですか?京でも大きな戦が起きるのでしょうか?」
秩を不安にさせていた原因はそれだったのか。
沖田は小さくため息を漏らした。
「大樹公が約束を違えるのではないか等と、あらぬ疑念を抱く者が一部にいることは確かです。けど、それも今だけのことですよ。やがて、直々に攘夷の大命が下って、大樹公の本意が世間の知るところとなれば、状況は落ち着くでしょう」
それは近藤の受け売りだった。
「都におられる直参や雄藩の方々を別つ理由もなくなりますか」
「ええ。それまでは我々が京洛を守ります。心配しなくていいですよ」
「はい」
秩は小さく微笑んだものの、まだ何か心残りがあるように見えた。
「まだ心配ですか?我々も信用ないなあ」
秩は急に顔を上げて、沖田の眼をじっと見つめた。
「…違います。ただ、そうなったとき、沖田さんも江戸に帰られるのですね」
「えっと…」「そ、それはそうですよね。そのために来られたんですから」
秩は沖田の返事を待たずに、自分の問いに答えを出してしまった。
沖田も、それについては、力なく頷くことしかできなかった。
「そうですね」
「…雪が、娘が寂しがります」
「はは、光栄だな。わたしも故郷に帰りたい気持ちは勿論ありますけど、せっかく仲良くなったお秩さんやお雪ちゃんと離れるのは辛いです」沖田が言い終わらないうちに、また秩は自分の言葉を打ち消した。
「ごめんなさい。なんでも娘のせいにするのはズルいですよね。私も、いえ私は、沖田さんにもう会えないと思うとさみしいです。とても」
「お秩さん…?」
沖田は、驚きのあまり言葉を失い、立ち止まった。
秩も同じく歩みを止め、沖田に向き直った。
「大坂出張で沖田さんが留守にされている間、自分の気持ちを思い知らされました」
「…え?」
真顔で問い返す沖田を見て、秩は急に我に返ったように、先に立って歩き出した。
「い、今のは忘れてください」
「いえ!そういう風に思ってもらえて嬉しいです」
「一方で都の安寧を願っておきながら、それが両立しない望みだと云うことくらい分かっているんです。ただの、ない物ねだりだと」
「お秩さん、わたしは、」
「もう!自分が嫌になります。こんなこと口にしても、沖田さんの重荷になるだけなのに。ごめんなさい。ごめんなさい」
秩の歩調はどんどん速くなる。
沖田は慌てて後を追って、その時ようやく、まとわりつくような視線で二人を見つめる安藤早太郎に気が付いた。
「う、うわあ!」
「…着いたぜ?」
安藤はじっとりと沖田を睨んだ。
「そ、そ、そうですか」
「けど、いいぜ?続けて続けて」
沖田は面白がる安藤の背中から雪を奪い返して、その小さな肩を押した。
「いいから!葛切りを食べましょう!ほら!ほら!」
ところが。
「なんだい、今日はめずらしく流行ってやがんなあ」
安藤は席が埋まっている店内を見渡して残念そうに首の後ろを掻いた。
「今日は暑いから順番待ちの人たちが休んでるみたいよ」
仏光寺通りに面する店先に座っていた老人が応えた。
「あらそうなの?」
安藤早太郎と老人のとぼけたやり取りは、二人の気安い関係をうかがわせる。
「お加禰ちゃ~ん?」
常連の安藤は、お気に入りの看板娘を呼んだが返事がない。
「いないよ」
また老人が代わりに答えた。
「ほえ?」
間の抜けた返事をしたところで、後から来た沖田が老人に声をかけた。
「あれ?谷局長、こんなとこでナニしてるんです?」
「きょ、局長?」
周りにいた新入隊士たちが、一斉に立ち上がって姿勢を正す。
岡田以蔵にダメ出しをしていた老人の正体は、新見錦が不在の間、局長代理を務める谷右京その人だった。
「お茶を飲んでるんだよ。ここはお茶屋なんだから」
「そっすね」
沖田は新入りたちが立ち上がった隙をついて、ヒョイと谷の隣に腰かけた。
すると谷老人は内緒の話でもあるように沖田の方へ少し席を詰めた。
「じつはね、さっきちょっとした騒動があってさ。いやあ、ボクもひと肌脱ぎたかったんだけどさあ。なんせこの歳なんで、足手まといになっちゃ申し訳ないから。そうだキミ、強いんだよねえ?助けに行っておあげなさい」
「なんです?」
沖田が眉を潜める。
丁度その時、安藤が泣いている女将の八重をみつけて歩み寄った。
「どうしたんだい?なにがあった」
「安藤様、加禰、加禰が…」
谷老人と八重から事情を聴いた沖田たちは顔を見合わせた。
二人の話を突き合わせると、状況は深刻に思える。
「どうも穏やかじゃないな」
安藤が顎を摩った。
「いきましょう」
秩が沖田たちを促した。
沖田としては秩たちを連れて行くのは気乗りしない。
「いやでも」
「邪魔になるようなことはいたしません。これでも武士の妻ですから」
ふと口をついた「妻」という言葉が、小さな痛みを伴う。
それは沖田にとっても同じだった。
「この通りから屯所の方へ行ったよ。とにかくさあ、いやもうホント怪しかったなあ。だから気を付けてね」
谷老人は茶をすすりながら目の前の通りを指した。
すでに歩き始めていた沖田は、不服そうな顔で振り返った。
「怪しいって、どう怪しいんです?」
「見たらすぐそれと分かるくらい、とっても怪しいから」
谷老人はなおも念押ししたが、まるで答えになっていない。
寺の土塀に沿って仏光寺通りから坊城通りへ曲がると、信じられないことに八木家の門前で女装した男が浪士たちと対峙していた。
谷老人のいう通り、あまり身なりが良いとは言えない浪人に混じっても、その男、白塗りの岡田以蔵はひときわ不審だった。




