禁じられた遊び 其之参
沖田は早速、的の置き場を物色し始めた。
「どうせなら三十三間堂の通し矢とおんなじ距離でやりたいですよねえ。三十三間(約60M)って言ったら、この寺の境内の端から端くらいあるのかな」
安藤は腰に手をやって、壬生寺の境内を目測した。
「いいや。あそこの本堂は六十六間くらいあるから、この寺じゃ無理だな」
「え!なんで!?じゃあなんで三十三間堂って言うんですか!」
「そんな事、私に怒ったって知らんよ。そもそも私がやったのは大仏殿の通し矢で、それでも六十間はあったかねえ」
「ふうん…ここじゃあ狭いですねえ」
「うんまあ、そうかねえ」
木々の葉から、前日の雨の滴がポタポタと落ちてくる。
お手製の的を抱えて境内をウロウロする沖田を眺めながら、安藤は秩に肩を寄せた。
「なあ、お秩さん、確かにあんたはまだ若くて美人だ。だが、老婆心ながら言わせてもらえば、俺が見るに…沖田さんは今、とても大事な時期だ。中途半端に関わる気なら手を引くのが大人の分別ってもんだぜ」
「で、ですからそれは誤解です。そんなつもりは」
秩は神妙な面持ちでうつむいた。
「ふうん。ま、どちらにせよ、今のは余計なお節介だったねえ。ただし、俺ならいつでも歓迎しますぜ」
「年増の後家を揶揄うのはよしてください」
その時、沖田の持っている的に、何処からか飛んできた小石がコツンと当たった。
「おい」
声をかけたのは、境内の中央に陣取り、例によって入隊希望者の立ち合いを睨みつけていた浪士組副長土方歳三だった。
沖田が頬を膨らませる。
「あ、土方さんか。あぶないなあ」
「そんなもん抱えた人間に目の前をウロつかれちゃ、皆の気が散るんだがな」
沖田の後ろから秩がおずおずと会釈した。
土方は、秩と沖田の顔を交互に眺めた。
「確か、浜崎先生のところの。はあん、色気のねえ待ち合わせ場所だな。すみませんねえ、こいつ気が利かなくて」
「まったく」
安藤がニヤリとして相槌を打った。
「ちぇ、みんなして冷やかすのは勘弁してくださいよ」
沖田はそう言って、何気なく参道の石畳の脇に集まる入隊希望者たちの群れを見渡した。
「で?有望そうなのは?」
土方は頬杖をついてため息を漏らした。
「そうだな、見込みのありそうなのは3、4人ってとこか。他人のことは言えねえが、流れ者の用心棒くずれとか、昨日初めて刀を握ったような俄か侍ばっかだ」
「あの…まだ人を増やすんですか?」
意外なことに、秩が一歩進み出て尋ねた。
試合を注視していた土方の刺すような視線が秩に向けられた。
「不安がらせる訳じゃないが、まだまだ頭数が足りませんのでね」
当たりは柔らかいが、部外者が口を挟むことを拒む響きがありありと感じられる。
土方の眼に気圧されながらも、しかし秩は引かなかった。
「それは、都にいる毛利のご家来衆(長州藩)と比べて、という意味でしょうか?」
「さあね。長州、薩摩、水戸、どこだろうが関係ない。このご時勢、今日の味方が、明日もそうだって保証はありませんから」
土方の語気が鋭くなるのを感じて、沖田は、秩をこの場から遠ざけたほうがいいと思った。
「土方さんは、浪士組の抑えがなけりゃ勤皇派が都を席巻するなんてバカげた妄想に取り憑かれてるんですよ。いくらなんでも、コトを急ぎすぎだと私も思いますがね。さ、行きましょう」
土方の眼に例の皮肉っぽい笑みが浮かんだ。
「否定はしないがね。差し迫った話をすりゃあ、土佐の過激派がまたぞろ動き出したらしい。まったく、どっから湧いてきやがるんだか」
「ええ。言われなくても、私がこの眼で見て来たんだから知ってますよ」
沖田は秩を脇へ押しやり、土方に人差し指を突きつけた。
土方は沖田の反応を面白がっている。
「せっかく休みをやったのに、暇なら手伝ってくか?」
「遠慮しときます」
「どれ、じゃあ俺が相手をしてやろう」
そこへ突然二人を押しのけて進み出たのは、隻眼の剣士だった。
「おや、平山さん。あんた、新しい隊士を募るのには、あまり乗り気じゃなかったはずだが?」
土方が闖入者の名を呼んだ。
芹沢鴨一派の副長助勤、平山五郎である。
「ここは剣術道場じゃないんだ。使えねえ奴らはふるい落とさなきゃ足手まといになる。だろ?」
平山は頸を左右に曲げ、肩の骨をボキボキと鳴らした。
「なるほど。だがそいつは、あんたの考えじゃないよな?」
言葉に苛立ちが覗く。
沖田は、釣られたように辺りを見回し、入隊希望者の集団を挟んで反対側にある本堂の方を指さした。
「あれ、芹沢さんじゃないの?いつの間に」
なんの気まぐれか、愛人の梅を伴った筆頭局長芹沢鴨が、石積みの基壇に腰掛けて試合を見物している。
「よう!沖田」
同時に芹沢の方も沖田に気付き、得体のしれない上機嫌さで手を振る
「ちぇ、また捕まっちゃったよ」
せっかくの休日に顔を合せたくない相手だが、沖田は諦めて芹沢に近づいて行った。
「あ?相変わらず失礼な小僧だな。俺が声を掛けちゃ不都合なことでもあんのかよ」
「芹沢さんもヒマだなあって。となれば、あの飛び入りも筆頭局長の差し金ですね?」
沖田が平山を親指で指すと、芹澤は鼻を鳴らした。
「ホザけ。おもしれえ余興だろが」
「悪いですけど、今日はお雪ちゃんたちと一緒なんで、こんな荒っぽい見世物にいつまでも付き合う気はありませんよ。じゃ、挨拶は済ませたんで」
梅にも軽く会釈すると、沖田は秩たちのもとへ戻っていった。
土方が舌打ちした。
「ちぇっ、野郎、質の悪い暇つぶしを考えつきやがる」
しかし、芹沢の動機がどうあれ、隻眼の剣士、平山五郎は試験官として十分にふさわしい実力者だった。
彼は開始の合図と同時に、
最初の相手が八相に構えた間合いにズカズカ踏み込むと、
構えすら見せず、乱暴に木太刀を横に凪いだ。
木太刀は的確に腰の急所を捕らえ、
男が呻いて蹲ったところへ、
さらに容赦なく手の甲を打つ。
「グァ!」
「おい!勝負はついてるだろ!」
審判を務めていた藤堂平助が咎めたが、平山は歯牙にもかけない。
「ハン、そうかい?おら!つぎ来い、次!」
「おおい!ここぁ食い詰め者の預かり所じゃねえんだぞ!」
芹沢からヤジが飛ぶ。
「やり難くてしょうがねえ」
土方が顎を摩りながら毒づいた。




