表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
遊里之章
274/404

禁じられた遊び 其之弐

翌朝、浪士組屯所ろうしぐみとんしょ近く、壬生寺。


「おいちさん」

沖田総司は、壬生寺の境内けいだいにある小さな池の前で立ち止まり、木洩こもの中でほとりに立ついちに声をかけた。

いちは池に咲く睡蓮すいれんの華を眺めていたが、近づいて来る沖田に気づいて小さく微笑んだ。

「沖田さん」

「今日はお休みですか?」

「いえ、最近診療所の方もひまなので、今日のお勤めはお昼からなんです。それまで雪と散歩に…沖田さんは?」

沖田は言われて初めていちが見覚えのある白い前掛けを付けているのに気が付いた。

そういえば、此処ここいちと初めて出会った場所で、あの日もおなじ服を着ていた。

「ええ。わたしもヒマなんで、ブラっとね」

沖田は、池を囲む雑木ぞうきの向こう側にチラと目をった。

本堂の前では浪士組の調練ちょうれんと、入隊希望者の考試こうしが行われている。

いちは沖田の視線の先を追った。

「沖田さんは行かなくていいんですか?」

「今日は休みです。診療所、今日からまた忙しくなりますよ」

沖田は永倉新八にしごかれている新入隊士たちを指さして言った。

「ええ、そうみたい。みなさんが大坂に行かれている間は患者さんがパッタリ途絶えて、浜崎先生もなんだかさびしいっておっしゃってました」

沖田は調練ちょうれんの様子を眺めているいちの横顔に見入った。

シジュウカラの可憐かれんな鳴き声が木の上から降ってくる。


いちはふと振り向き、沖田の眼をじっと見返した。

「…さっきから気になってたんですけど、それ、なんですか?」

沖田は何やらどぎまぎして、しばらくしてからようやくいちの質問の意味が呑み込めた。

「あ、これ?これはね…」

そう言って、先ほどから手に持っていた丸く切り抜いた板を軽く持ち上げ、

「…そういえば、お雪ちゃんはまた釣りですか?」

と話を反らすように辺りを見回した。


「はい。ほら、あそこで…」

池のふちこけむした岩にチョコンと腰掛ける小さな背中を指したいちの指先がふと止まった。


その隣に、五厘ごりん頭の男がしゃがんでいる。

つい最近浪士組に入った安藤早太郎の後ろ姿だった。


「ほれ、貸してみ」

安藤は雪の手を取り、釣竿を立てて、糸の先を目の高さまで持ち上げた。

「あ」

雪はエサがなくなっているのに気づいて小さな声を漏らした。

「やられたな」

安藤はそう言ってグルリを見渡すと、近くの低木の根元を掘り起こし、

「いたいた」

と満足げにうなずき、雪のそばに戻って、またしゃがみこんだ。


「安藤さん、何やってるんです」

沖田は二人に近づいて行って、後ろから声をかけた。


「沖田はん!」

安藤の手元を神妙な面持ちで見つめていた雪がパッと顔を上げた。


安藤はしゃがんだまま沖田といちを見上げてニヤニヤした。

エサを付けてんの。てかさあ、俺を逢引あいびきの口実にしたな?」

「何を言ってるんですか。偶然会ったんですよ」

沖田はいちと目を見合わせて顔を赤らめ、慌てて打ち消した。



「いいねえ、若いってのはさあ。ほおら、出来たぞ」

安藤は糸をつまんで針に刺したミミズをブラブラと振ってみせた。


「きゃ」

いちが小さな悲鳴を上げて沖田にしがみついた。

沖田はいちから漂ういい香りに身を固くした。


「す、すみません」

我に返ったいちは慌てて身体を離すと耳まで真っ赤になって謝った。

「いえ」

「も、も、申し訳ありません。わたし、農家育ちなんですが、あまり野良のら仕事に出たことがなくて、いまだに慣れないんです…それ」


安藤はさりげなくエサを持つ手を後ろにまわして笑った。

「ハハ、ミミズというのはこのような姿をしていますが、土を肥えさせるためになくてはならぬ生き物なんですよ。南無阿弥陀仏ナンマンダブ南無阿弥陀仏ナンマンダブ

沖田は苦笑いしながら安藤と石井親子を引き合わせた。

「で、このナマグサ坊主が、最近入った安藤早太郎さんです」

「キミねえ、随分ずいぶんな言い草じゃないか」

「安藤さん、こちらは近くの診療所で助手をされているおいちさんと娘のお雪ちゃん。うちの連中はみな、ケガが絶えないんで、よくお世話になってるんです」

石井秩いしいいちと申します。こちらこそ沖田様や浪士組の皆様には色々とお世話になっております」

いちが深々と頭を下げるのにならって、雪もペコリとお辞儀をする。

「いやあ、どうもどうも。美人の母娘おやこだねえ」

安藤は五輪ごりん頭をきながら、雪に釣竿を返した。

「おじちゃん、ありがとう」

「いいさ、なあお嬢ちゃん、我々は邪魔ジャマみたいだから、河岸かしを変えるかい?ほら、あそこに浮いてる枯れ枝の下、あっちの方が釣れるぞ」

安藤は雪と視線を合わせるようにしゃがんで、池の対岸を指さした。


「変な気を回さないでくださいよ!」

沖田は安藤のそでを引いて、いちの前に引きずり出した。


「いやね、わたしが安藤さんを連れ出したんですよ。コレコレ、通し矢を披露ひろうしてもらうんです」

沖田は手にしていた直径3尺(約90㎝)くらいの丸い板をもう一度(いち)に見せて、ようやく本題に入った。

「…はあ」

いちはまだ事情が呑み込めず、同心円状に三つの丸が描いてある板を見つめて生返事をした。

「わざわざ黒谷の本陣まで行って借り受けてきたんです。実は安藤さんは日本一の弓の名人なんですよ」

「おいおい、そりゃ何十年も前の話だってば。もう昔の様にはいかんよ」

謙遜けんそんしちゃって、腕前のほどは、こないだ常安橋で見ましたよ」

「この丸に当てるの?」

雪が円の中心を指した。

沖田は池の脇の銀杏(いちょう)の木に立てかけてある弓具を指さした。

「そ、あれでね。面白そうだろ?」

「へえ…」

安藤が弓袋から弓を取り出して雪に持たせてやった。

「うわあ、おっきい」

雪はその美しい曲線に魅入られたように黒光りするうるしをなでた。


安藤は雪の頭に手を載せながら、沖田に向き直った。

「忘れてもらっちゃ困るぜ?三射とも当てたらキミが甘いもんを御馳走ごちそうしてくれるって条件つきだ」

「忘れてませんよ。その代わり一射でも外したら、ここにいる三人に安藤さんがおごるんですよ」

「ほんま?」

雪がピョンとねた。

「いつの間にか頭数が増えているが…ああ、いいとも」

「じゃあ、安藤さんの腕前を見せてもらって、そのあとお母さんも一緒に葛切くずきり食べに行こう」

「やったあ!」

雪が母親に飛びついた。


「しかし、子供をダシにおいちさんを誘うのはズルいなあ」

安藤は弓を仕舞いながら、沖田を横目にニヤリと笑った。

「いちいち変な風に取らないで下さいよ!おいちさんも来づらくなるでしょ」

いちはまた赤くなって手を振った。

「そんなこと!けど、私たちが御相伴ごしょうばんあずかる理由がありませんから」

「葛切りくらいで大袈裟おおげさな!大坂のお土産みやげも買って帰るの忘れちゃったし、たまにはいいじゃないですか」

安藤は笑いながら沖田と(いち)の肩を同時に叩いた。

「分かった分かった。散々見せつけられてんだから、少々冷やかすくらいは許せよ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=929024445&size=135
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ