禁じられた遊び 其之弐
翌朝、浪士組屯所近く、壬生寺。
「お秩さん」
沖田総司は、壬生寺の境内にある小さな池の前で立ち止まり、木洩れ陽の中で辺に立つ秩に声をかけた。
秩は池に咲く睡蓮の華を眺めていたが、近づいて来る沖田に気づいて小さく微笑んだ。
「沖田さん」
「今日はお休みですか?」
「いえ、最近診療所の方も暇なので、今日のお勤めはお昼からなんです。それまで雪と散歩に…沖田さんは?」
沖田は言われて初めて秩が見覚えのある白い前掛けを付けているのに気が付いた。
そういえば、此処は秩と初めて出会った場所で、あの日もおなじ服を着ていた。
「ええ。わたしもヒマなんで、ブラっとね」
沖田は、池を囲む雑木の向こう側にチラと目を遣った。
本堂の前では浪士組の調練と、入隊希望者の考試が行われている。
秩は沖田の視線の先を追った。
「沖田さんは行かなくていいんですか?」
「今日は休みです。診療所、今日からまた忙しくなりますよ」
沖田は永倉新八にしごかれている新入隊士たちを指さして言った。
「ええ、そうみたい。みなさんが大坂に行かれている間は患者さんがパッタリ途絶えて、浜崎先生もなんだか寂しいって仰ってました」
沖田は調練の様子を眺めている秩の横顔に見入った。
シジュウカラの可憐な鳴き声が木の上から降ってくる。
秩はふと振り向き、沖田の眼をじっと見返した。
「…さっきから気になってたんですけど、それ、なんですか?」
沖田は何やらどぎまぎして、しばらくしてからようやく秩の質問の意味が呑み込めた。
「あ、これ?これはね…」
そう言って、先ほどから手に持っていた丸く切り抜いた板を軽く持ち上げ、
「…そういえば、お雪ちゃんはまた釣りですか?」
と話を反らすように辺りを見回した。
「はい。ほら、あそこで…」
池の縁の苔むした岩にチョコンと腰掛ける小さな背中を指した秩の指先がふと止まった。
その隣に、五厘頭の男がしゃがんでいる。
つい最近浪士組に入った安藤早太郎の後ろ姿だった。
「ほれ、貸してみ」
安藤は雪の手を取り、釣竿を立てて、糸の先を目の高さまで持ち上げた。
「あ」
雪は餌がなくなっているのに気づいて小さな声を漏らした。
「やられたな」
安藤はそう言ってグルリを見渡すと、近くの低木の根元を掘り起こし、
「いたいた」
と満足げにうなずき、雪のそばに戻って、またしゃがみこんだ。
「安藤さん、何やってるんです」
沖田は二人に近づいて行って、後ろから声をかけた。
「沖田はん!」
安藤の手元を神妙な面持ちで見つめていた雪がパッと顔を上げた。
安藤はしゃがんだまま沖田と秩を見上げてニヤニヤした。
「餌を付けてんの。てかさあ、俺を逢引きの口実にしたな?」
「何を言ってるんですか。偶然会ったんですよ」
沖田は秩と目を見合わせて顔を赤らめ、慌てて打ち消した。
「いいねえ、若いってのはさあ。ほおら、出来たぞ」
安藤は糸をつまんで針に刺したミミズをブラブラと振ってみせた。
「きゃ」
秩が小さな悲鳴を上げて沖田にしがみついた。
沖田は秩から漂ういい香りに身を固くした。
「す、すみません」
我に返った秩は慌てて身体を離すと耳まで真っ赤になって謝った。
「いえ」
「も、も、申し訳ありません。わたし、農家育ちなんですが、あまり野良仕事に出たことがなくて、いまだに慣れないんです…それ」
安藤はさりげなく餌を持つ手を後ろにまわして笑った。
「ハハ、ミミズというのはこのような姿をしていますが、土を肥えさせるためになくてはならぬ生き物なんですよ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
沖田は苦笑いしながら安藤と石井親子を引き合わせた。
「で、このナマグサ坊主が、最近入った安藤早太郎さんです」
「キミねえ、随分な言い草じゃないか」
「安藤さん、こちらは近くの診療所で助手をされているお秩さんと娘のお雪ちゃん。うちの連中はみな、ケガが絶えないんで、よくお世話になってるんです」
「石井秩と申します。こちらこそ沖田様や浪士組の皆様には色々とお世話になっております」
秩が深々と頭を下げるのに倣って、雪もペコリとお辞儀をする。
「いやあ、どうもどうも。美人の母娘だねえ」
安藤は五輪頭を掻きながら、雪に釣竿を返した。
「おじちゃん、ありがとう」
「いいさ、なあお嬢ちゃん、我々は邪魔みたいだから、河岸を変えるかい?ほら、あそこに浮いてる枯れ枝の下、あっちの方が釣れるぞ」
安藤は雪と視線を合わせるようにしゃがんで、池の対岸を指さした。
「変な気を回さないでくださいよ!」
沖田は安藤の袖を引いて、秩の前に引きずり出した。
「いやね、わたしが安藤さんを連れ出したんですよ。コレコレ、通し矢を披露してもらうんです」
沖田は手にしていた直径3尺(約90㎝)くらいの丸い板をもう一度秩に見せて、ようやく本題に入った。
「…はあ」
秩はまだ事情が呑み込めず、同心円状に三つの丸が描いてある板を見つめて生返事をした。
「わざわざ黒谷の本陣まで行って借り受けてきたんです。実は安藤さんは日本一の弓の名人なんですよ」
「おいおい、そりゃ何十年も前の話だってば。もう昔の様にはいかんよ」
「謙遜しちゃって、腕前の程は、こないだ常安橋で見ましたよ」
「この丸に当てるの?」
雪が円の中心を指した。
沖田は池の脇の銀杏の木に立てかけてある弓具を指さした。
「そ、あれでね。面白そうだろ?」
「へえ…」
安藤が弓袋から弓を取り出して雪に持たせてやった。
「うわあ、おっきい」
雪はその美しい曲線に魅入られたように黒光りする漆をなでた。
安藤は雪の頭に手を載せながら、沖田に向き直った。
「忘れてもらっちゃ困るぜ?三射とも当てたらキミが甘いもんを御馳走してくれるって条件つきだ」
「忘れてませんよ。その代わり一射でも外したら、ここにいる三人に安藤さんが奢るんですよ」
「ほんま?」
雪がピョンと撥ねた。
「いつの間にか頭数が増えているが…ああ、いいとも」
「じゃあ、安藤さんの腕前を見せてもらって、そのあとお母さんも一緒に葛切り食べに行こう」
「やったあ!」
雪が母親に飛びついた。
「しかし、子供をダシにお秩さんを誘うのはズルいなあ」
安藤は弓を仕舞いながら、沖田を横目にニヤリと笑った。
「いちいち変な風に取らないで下さいよ!お秩さんも来づらくなるでしょ」
秩はまた赤くなって手を振った。
「そんなこと!けど、私たちが御相伴に預かる理由がありませんから」
「葛切りくらいで大袈裟な!大坂のお土産も買って帰るの忘れちゃったし、たまにはいいじゃないですか」
安藤は笑いながら沖田と秩の肩を同時に叩いた。
「分かった分かった。散々見せつけられてんだから、少々冷やかすくらいは許せよ」




