禁じられた遊び 其之壱
島原遊郭、輪違屋。
遊里の人通りも絶え、烏の鳴き声だけが響く、夜明け前。
「天神、天神」
二人の禿が眠っている琴を揺り起こした。
「どうしたの?」
琴は髪をかき上げ、まだ微睡みながら、ぼんやりと答えた。
「花君太夫と一之天神が呼んだはります」
琴は目をこすり、眉をしかめた。
暗闇の中で、小さな手の触れる感覚を頼りに禿に向き直る。
「いま何時?」
「七つ半くらいどす。お二人ともついさっきグッタリして帰ってきはって」
「こんな時間に?」
「お台所で待ったはります。お一人でおいでやすと」
禿はそう言って持っていた燭台を琴に手渡した。
「なんだろ?」
そうは言ったものの、頭のハッキリしてきた琴にはなんとなく事情が察せられた。
花君と一之は二人とも土方歳三のお気に入りで、郭では珍しくご公儀贔屓の女郎だ。
今でなければならないということは、その他大多数の勤皇派の女郎たちの目を憚るためで、何某か浪士組に関わる用件に違いない。
「ありがと、あなた達はもう少し寝なさい」
琴はそう言おいて廊下に出た。
暗い御厨に蝋燭の炎をかざすと、ぼんやりと鮮やかな着物を着た二人の姿が浮かび上がった。
花君は、桜木や花香と輪違屋のトップを競うナンバー3。
一之は糸里と共に次期太夫と目される人気の若手である。
二人ともさすがに華があったが、禿のいう通り、この日はどこかくたびれて見えた。
「太夫、こんな時間にどうしたんですか?」
花君は疲れた顔で微笑んだ。
「明里、朝早うにすんまへんなあ。実は昨日、薩摩のお武家様方のお座敷に上がったんどすけど」
「昨日言うても、ついさっきまでお酒に付き合わされてたんえ」
天神の一之が、さも迷惑そうな顔で付け加えた。
「はばかりさんです」
琴は苦笑しながら二人に京風のねぎらいの言葉をかけた。
「ちょっと気になることがおしたさかい、あんたの耳に入れとこ思て」
花君は土方歳三と琴の連絡係を務めていたから、琴が浪士組に関わる仕事をしていることも承知している。
「その薩摩はん方の中に、土井やら言う土佐言葉のご浪人が混っとおいやしたんやけど、その方から浪士組のことを色々聴かれましたんどす」
吉村寅太郎の一件があったばかりなので、土佐の人間が浪士組に興味を持ったのが偶然とは思えない。
「その浪人は、なにを嗅ぎ回ってたんでしょう」
「ま、ほとんどはつまらんことや。浪士組は屯所が近いさかい、此処にはよお来はるんかとか、来るのは誰で、どんな仕事をしてはるんやとか」
「そやけど、なんや薄気味の悪いお方で」
一之がまた口を挟んだ。
どうも一言多い性格のようだが、情報として的を得た補完だった。
琴はそれが洛東の瓦屋で会った岡田以蔵だと直感した。
「それで?太夫はなんて?」
「まあ、そこら辺で聴けば誰でも知ったはることやし、隠してもしゃあないとは思たんやけど。ただで教えてやるのも癪どすさかい、ちょっと揶揄うたげたわ」
「どういうこと?」
花君と一之は顔を見合わせて悪戯っぽく笑った。
「その土井様と投扇興で遊んでなあ。うちが勝ったら聞かれたことにひとつ答える。その代わり、ひとつ負けるごとに、遊女みたいにお化粧させるんどす。白粉を塗って、口に紅を引いて、赤い襦袢を着せてゆう風に」
投扇興とは蝶と呼ばれる的に扇を投げて、点数を競う御座敷遊びである。
琴にはその賭けの面白味が理解できなかったが、とりあえず頷いて先を促した。
花君は琴の顔に出た考えを察して、またクスリと笑いつつ、
「そやけど彼、楽しんどおしたえ。最後には、簪まで刺しはったし」
と、自分の簪に手を添えてみせた。
一之が話を引き取った。
「そうそう、あと、おかしなこと聞かはってなあ。浪士組に、お琴ゆう女子を囲てはる男はんは居らんかて。それ、明里のことやおへんか?」
「ええ。琴は私です。どうして分かったんですか」
「その浪人の言う容姿が妙にあんたと重なったんや。名前は今初めて聞いたけど」
「私も自分が浪士組の誰かに囲われてたなんて今初めて知りました」
一之は琴の冗談など気づいてもいないように、弁解めいた口調で続けた。
「もちろん、うちも太夫も知らん言うて、なんも答えてへんえ?」
しかし、琴にはそんな事など、どうでもよかった。
「で、その男は?」
「朝にはそのまま、口の裂けたお化けみたいな化粧で帰って行かはったわ」
花君は、自分の口をなぞるように両手の指で耳まである口を描いて見せた。
しかし、その表情は妙にこわばっていて、
「それだけの事どすのやけど、あの男の眼…なんや恐ろしい物の怪みたいで」
その眼を思い出したように小さく身震いする。
「なあ、貴方、また外に出て、山南様と会うんどすやろ?気いつけよし言うたげて?」




