大盗賊の抜け穴 其之壱
五条大橋を渡り、鴨川沿いに南下すると、
やがて方広寺仁王門に通じる大仏正面通りに出る。
四人が鴨川に架かる正面橋の脇に差し掛かったとき、
佐々木愛次郎が不意に立ち止まった。
「どうした?」
正面橋の下を見つめている愛次郎に、後ろを歩いていた原田左之助が声をかけた。
「あの男…」
原田が視線の先を追うと、浪人らしき三人連れの男たちが、しきりに周囲を気にしながら、葦の茂みを掻き分けて歩いているのが見えた。
「怪しげな連中だな。知り合いか?」
「いえ…先をゆく丸顔の男、以前、八百藤のそばで見かけたことがあります」
「誰だよ」
「知らない男ですが、ジッとこちらの様子を伺っていたので、引っかかっていたんです」
愛次郎が指差したのは、総髪を頭頂で結い上げ、打裂羽織に野袴を着た男だった。
土佐の吉村寅太郎その人である。
連れの一人は、十徳を着た五十がらみの中年男、もう一人は左眼に眼帯をした、がっしりとした体格の男で、歳は三十前後だろうか。
原田が橋の下に気をとられている内に、
愛次郎は、土手を駆け降りていた。
「ちょっと…」
愛次郎が声をかけると、吉村はハッとして、次の瞬間にはいきなり抜刀していた。
しかし、葦の茂みに視界を遮られている愛次郎は、まだそれに気づいていない。
橋の上からその様子を見ていた原田が叫んだ。
「愛次郎!伏せろ!」
愛次郎は反射的に身を低くした。
間一髪でその頭上を吉村寅太郎の薙いだ刀が通り過ぎる。
葦の穂先がハラハラと宙を舞った。
原田は刀を抜いて橋の欄干から飛び降り、
落下の勢いに任せて、力一杯吉村の刀を叩き折った。
「おまんら、誰なら!」
吉村が叫んだ。
「そりゃ、こっちの台詞だ!」
原田が吉村を睨め上げた。
他の二人も、吉村に倣い、既に抜刀している。
異変に気付いた沖田が、祐を庇うように肩を抱いた。
「ここでじっとしてるんだ」
吉村は折れた刀を打ち捨て、葦の茂みに逃げ込んだ。
原田と愛次郎はお互いに背を預けて周囲を警戒する。
「総司!そっちに行ったぞ!」
原田が叫ぶ。
沖田は正面橋の欄干から、下を覗いた。
三人の浪士が、まっすぐこちらに向かってくる。
先頭を走る丸顔の男は、脇差しに持ち換えていた。
「…下がって」
沖田は祐に指示すると、カチリと鯉口を切った。
その声音で祐は状況を悟り、身を硬くした。
沖田はスラリと刀を抜き、
そのまま姿勢を低くして、敵めがけて走る。
男たちは、三角の陣形で突っ込んできた。
むせかえるような草の匂い。
沖田は距離を計り、
一足一刀の間合いに入る寸前で横っ飛びした。
浅葱色の羽織がはためいた。
先頭の男が振り下ろした脇差しはわずかに届かず、
沖田は横に凪いだ刀の背で男の脚を払い、
返す刀で右側にいた片目の男の手の甲を強かに打った。
「ぐっ!」
男たちは痛みで声にならない呻きを漏らす。
残るひとり、左側を走っていた年配の男は、祐に向かって行く。
「逃げろ祐!」
祐は、頭を抱えて土手の方向へ走った。
沖田は男に追いすがったが、
男は祐に目をくれず、そのまま葦の茂みに駆け込み、姿を眩ました。
沖田は祐に走り寄って無事を確認した。
「怪我は?」
「ううん、大丈夫」
祐は首を振った。
「ええから、放たくっちょきや!」
茂みの何処からか吉村の声がした。
沖田は後の二人を振り返ったが、
彼らも同じく茂みに身を隠したらしい。
「くそ!近藤さんに止められてなきゃ、斬り捨てたんだが…」
敵がどこに隠れているか判らない今、下手に仲間と離れない方がいい。
沖田は、敢えて深追いしなかった。
「大丈夫か!」
原田が駆けつけて二人を見た。
「ええ」
沖田がうなずく。
「…あんたら、ほんまに強かったんやなあ」
祐は目を丸くして言った。
「お前はしかし、呑気でいいな」
原田が可笑しそうに、祐の頭をクシャクシャと撫でた。
しかし、言葉とは裏腹に、祐の心臓は早鐘のように打っていた。
「…足で纏いになってもた。ごめんな」
「いや、無事でよかった」
沖田はまだ周囲を警戒しながら答えた。
大仏餅屋の裏木戸にはまだ動きはなかった。
琴は近藤より先に吉村寅太郎の身柄を押さえて、軍資金の在り処を聞き出そうと考えていた。
確かに、紙のように薄い希望だ。
吉村がその金を自由にできるなら、今頃ケチな強請りなどやっていないだろう。
しかし、1年前、吉村が伏見義挙に呼応する気だったのなら、薩摩や田中河内之介とも連携していたはずである。
少なくとも何か知ってるかもしれない。
仮にその軍資金がすでに誠忠組なる薩摩の過激派の手中にあり、土佐や長州すら手出しできないとしても、
その情報を京都守護職の会津に渡せば、ご公儀の知るところとなり、これ以上の政治的な混乱を未然に防げるかもしれない。
なにより、まかり間違って、その金が吉村に渡るようなことがあれば、攘夷親征などというとんでもない暴挙が現実になるかもしれない。
あの坂本龍馬が言っていたではないか。
今の日本の軍備では、到底諸外国に伍する力などないと。
負けの知れている戦に、強引に帝を巻き込むなど、
それだけは何としても阻止しなければならない。
結局のところ、琴は清河の理想に魅かれながらも、山南敬介の理性に寄り添うことを選んだのだった。




