壬生寺にて 其之壱
禁裏、いわゆる皇居が京にあったこの時代は、東京(江戸)⇔京都間の上りと下りが現在とは逆、ということになる。
浪士たちは、つまり「おのぼりさん」になるわけだが、
河原町通り、烏丸通り、堀川通りと続く賑やかな街並みを、さも物珍しげに横断してゆく様などは、まさしくその名に相応しかったのだろう。
京洛の人々は、小汚い田舎ザムライの一団を、さげすむような目で眺めていた。
浪士組の長い旅路の終着は、京の西の外れにある壬生という小村だった。
よく知られる京野菜「みぶな」の原産地で、その通称はこの村の名に由来する。
徳川家茂の上洛が成った際には、その拠点となるであろう二条城から、南へ半里(約2km)ほどの場所だ。
村のほぼ中央に新徳寺という禅寺があって、ここに浪士組の本営が置かれた。
隊士たちは一旦その本営に集められて、それぞれ、村の郷士の邸宅や、会所(村の事務所や集会所を兼ねたもの)などに宿泊先をふり分けられた。
近藤たちにあてがわれた宿舎は、新徳寺から坊城通りをすこし北へ行ったところにある八木という郷士の屋敷で、当主の八木源之丞は、壬生村に知行をもつ者の中でも長老格という名士だった。
「遠いとこ、ようお越しやす」
源之丞は、五十がらみの温厚そうな人物で、この得体の知れない一団を、精一杯の笑顔で迎え入れた。
この頃の京の人々は、おしなべて閉鎖的というか排他的で、他所者を歓迎しない気風があった。
ましてや、朝廷をないがしろにする幕府の手先、浪士組などは、「招かざる客」以外の何者でもない。
しかも、彼らはそうした感情を決して直接的には表現しない厄介な人種だったから、そのような機微を察せられるはずもない武骨者ぞろいの浪士組の面々とは、相容れるわけがなかった。
特に沖田総司などは、見た目こそアカ抜けた都会人に見劣りしないものの、場の空気を読まないことにかけては試衛館でも随一だったから、遠慮というものがまるでなかった。
玄関をあがると何かに気づいたらしく、ズカズカと奥の間に入っていって、
「うわあ!なんですか、このお面は?」
と壁を指さした。
そこには見慣れない面がいくつか飾ってあって、沖田は、そのうちの一つを手にとった。
「ああそれ。狂言のお面どす」
八木源之丞は、不躾な若い関東武者に、心中穏やかではなかったが、つとめて平静を装っている。
「八木さんが演るんですか?」
「うちは宗家どすさかいなあ」
八木は少し得意げに応えた。
「ふうん。へえ。じゃ、これは?」
沖田は手にしていた面を壁にもどすと、今度はユーモラスな女性の面をはずして、八木の顔を見た。
「『桶取』ゆう演目の醜女の面どすな」
「面白そうだなあ。この女の人が出てくる芝居、観てみたいなあ」
「芝居やのうて、狂言どす」
八木はとうとう沖田の人懐っこい笑顔につられて微笑んでしまった。
「ああ、そっか。でもこのひと、なんか楽しそうですよね?」
沖田はその面を顔にかざしながら、おどけてみせる。
「若い女に旦那を寝取られて狂い死にしますのや」
沖田は面をかぶったまましばらく絶句したあと、
「…なかなか重そうな…いや、面白そうな筋書きですね」
そう取りつくろった。
「壬生狂言のなかでも『桶取』は名作どすな。ほな、ちょっと触りだけでもやって見せまひょか?」
いまや八木はすっかり上機嫌になっている。
「あ…いや、また今度、時間のあるときにゆっくり…」
と、そんなわけで、緒戦の軍配は八木源之丞にあがったが、沖田の屈託のなさが、互いにうち解けあうきっかけになったのは確かなようだ。
八木は心なしか表情を和らげて、
「皆さんお疲れどすやろから、お茶でもお出しさせますよって」
と奥へ引っ込んでいった。
一行は、与えられた部屋で荷物を解きながら、ようやく一息ついた。
「あれ?山南さんは?」
近藤勇が、ふと部屋を見渡して言った。
沖田総司も、いま気づいたという風に、あたりを見回す。
「さっきまで一緒にいたのに」
「あの女とどっかにシケこんでるんじゃねえのか」
あぐらをかいた土方歳三が、いつもの調子でつい軽口を叩いてから、しまったという顔をした。
「…どういうこった?」
近藤が訝し気に土方の顔をのぞき込む。
土方は、とっさに上手い言い訳が思いつかず、言葉をつまらせた。
「…いや別に」
「ケケケ。ヤケボックイに火ガツイタってやつか?」
原田左之助が、どこに隠し持っていたのか大津宿で買った「走井餅」を頬張りながら、言わなくてもいいことを口走った。
「あんの野郎、ふてえ了見だ!お琴ちゃん、早まるなあ!」
永倉新八が、弾かれたように部屋を飛び出していった。
近藤は、永倉の足音が遠ざかっていくのを聞きながら、自分だけが知らない秘密をみなが共有していることに気がついた。
一番若い藤堂平助を下から睨めつけ、説明を求めるように、口をへの字に曲げてみせる。
土方から口止めされていた藤堂も、これには逆らえなかった。
「じつは、あの中沢さんの連れの男なんすけどね…」
他の隊士たちをはばかって、近藤に耳打ちする。
近藤は横目で土方を睨みながら、藤堂の話に耳を傾けていたが、その顔がみるみる険しくなってゆく。
土方が、苦い顔で手をヒラヒラと振った。
「そう怖い目でにらむなよ。別に隠してたわけじゃねえ。そのうち話そうと思ってたんだ」
そこへ、井上源三郎が後ろを振り返りながら入ってきて、
「永倉がすごい形相で飛び出して行ったが、何かあったのかい?」
と誰にともなくたずねた。
土方が肩をすくめてみせる。
「何でもねえよ。あいつは、ああいう顔で走んのが好きなんだ。そっちこそどうした?」
「いや、清河さんがね。みんなをもう一度新徳寺に集めろと言ってるらしい。それで呼びに来たんだ」
土方が、近藤に目配せした。
「ほうら?さっそくおいでなすったぜ」
近藤は小さく頷いてから、沖田に向き直り、
「総司、山南さんと永倉を呼んでこい」
と命じた。
沖田は不満げに頭を掻きながらのっそり立ち上がると、近藤の前に仁王立ちした。
「いい加減にしてほしいなぁ、もう!親ネコじゃあるまいし、二人が何処に行ったかなんて、わたしだっていちいち気にしてませんよ。いったい、どこを探しゃいいのさ?」
「いいから、その辺を探してこいよ!」
煩わしそうに手を払う近藤に、沖田は顔をしかめてみせ、
「そのへんて、どこらへんだよ…」
ぶつぶつ言いながら部屋を出て行った。




