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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
遊里之章
268/404

魔窟にて 其之弐

御免ごめんください」

中沢琴は、瓦屋の木戸を叩いた。

下女と呼ぶには少しはばかられるような、上品な初老の女性が扉を開け、若い女の客を見て少し驚いた顔をした。

八木源之丞の話に出てきた楢崎貞ならさきさだである。

「どちら様どすか?」

「私、清河八郎の使いで中沢琴と申します。安積五郎あさかごろう様にお取り次ぎ頂けますでしょうか」

「…少々お待ちを」

さだは一度奥に引っ込んで行き、しばらくして再び出てくると琴を招き入れた。

「お待たせしました。どうぞ、お入りやす」

家屋かおくは典型的な京町屋きょうまちやで、琴は通り庭と呼ばれる土間どまから、表通りに面する「見せの間」に通された。

もっとも、間仕切まじきりのふすまは開け放たれており、奥では四、五人の若い浪士が固まって賽子賭博チンチロリンをしているのが丸見えだった。


脱藩だっぱんした攘夷志士を手厚く庇護ひごしている五郎兵衛老人も、さすがに彼らとの同居は我慢がまん出来なかったらしく、この家は若者たちの男所帯になっているらしい。

そこで、さだが雇われて家事を任されているのだった。

家の中は、浪士らの周辺に立ち込める紫煙しえんが土間にまで漂っていたが、琴の知る煙草たばことは違う独特の香りがした。


トロンとした目の大男が、大義たいぎそうに立ち上がって、琴の方にのっそりと歩いてきた。

「お嬢ちゃん、すまんが、アサカち男は此処ここにはおらんがやき」

「江戸の、安積五郎あさかごろう様です」

琴は、もう一度確かめるようにその名を告げた。

「…ほがな奴はおらん言うつろう」

男の表情から察するに、安積のことを明らかに知っている。

琴は少しはすに男を見上げながら、唇の端を吊り上げた。

「じゃあ、その”いない安積さん”に伝えて。清河さんの言伝ことづてを持って来たと」

「おまん、おもろい女じゃのう。おらんもんに伝えようがないやか」


そこへ、徳利とっくりを手にした出っ歯の男が、奥の座敷からクシャクシャの総髪そうはつきむしりながら近づいてきた。

「まちや。早瀬さん」

その男はヌッと首を突き出し、琴の首筋に鼻を寄せた。

「姉ちゃん。ええにおいじゃのう?」

「そう?ありがと。けど、あなたからはドブネズミのにおいがするから、少し離れてくれるかしら」

琴は、ぐっとあごを上げ、冷ややかな視線で男を見返した。


琴の挑発に、なぜか早瀬と呼ばれた大男がオロオロと取り乱し始めた。

「お、おい。おまん、以蔵に…」


岡田以蔵。

それは、あの阿部慎蔵が二度までも殺戮さつりくの現場を目撃した、

土佐の”人斬り以蔵”だった。


しかし以蔵は、琴の視線を受け止め、気味の悪い笑みを漏らした。

「げに、はちきんじゃあ。姉ちゃん…安積さんは此処ここにはおらんき、用件を言いや。わしが伝えといちゃる」

「本人に直接話すわ。どこに行けば会えるの?」

「さあのう。忙しいお人やき、何処どこにおるやら、さっぱり分からんちや」


奥の間で博打ばくちをやっている男たちから、賽子サイコロ出目でめに歓声があがる。

「まっこと、やかましいのう」

以蔵はわざとらしく顔をしかめた。


「では、また来ます」

身をひるがえした琴の腕を、以蔵のふしくれだった指が捕らえた。

「ちっくと此処ここっていきや」

琴はとっさに反対の腕で以蔵の手をひねろうとしたが、

容易たやすくそちらの腕も押さえつけられた。

「おうおう!」

以蔵は後ろに控えている早瀬と呼ばれた大男に、目を見開いておどけて見せた。

「はしかい姉ちゃんぜ!ゾクゾクするねや!わしゃあ、あのフニャフニャした京女ゆうがは、どうも好かんき」

そして、もう一度琴の耳元に口を寄せた。

「どうじゃろ?ここで安積さんを待ちゆうなら、わしがヒマつぶしに付き合うちゃるけんどのう?」

以蔵は、にらみつける琴の顔に、額を突き合わせた。

「お!怒った顔も可愛かわええじゃいか」


そこへ、ガラガラと玄関の扉の開く音がして、誰かが帰ってきた。

琴は両腕の自由を奪われながら、身体をひねって後ろを振り返った。

入口に立っている男の右眼には、虎の象嵌ぞうがんを施した刀のつばが、眼帯がんたい代わりに掛けられている。

清河八郎の盟友めいゆう、安積五郎だ。

琴はその眼帯に見覚えがあった。


安積は、清河が手紙に書いた通り、ダルマを思わせるような、ずんぐりとした猪首いくびの男だった。

「岡田さん、なにをやっている」

野太い声でたずねる。


以蔵は残念そうな顔で、琴の腕をつかんでいた手の力を緩めた。

「安積さん、間ぁが悪いぜよ」

「この方は?」

安積は以蔵の問いを無視して、琴をジロリと見た。


「清河さんの使いです」

琴は以蔵の手を振りほどきながら、自分で応えた。

安積は琴に視線を戻し、なにか思い出すように顔をしかめた。

「清河の…そういえばお玉が池の道場で何度かお会いしましたな」

「はい。中沢琴と申します」

「そうだ、確か利根の剣法道場の中沢良之助殿の妹さん」

「姉です」

「いや、失礼。だが、ここは若い娘さんがひとりで来る様な場所じゃない」


「用が済めば帰ります」

琴は挑むように安積を見返した。

「…用件をうかがいましょう」

「これを」

琴はふところから出した清河の手紙を安積に手渡した。

「これは…清河から?」

「ええ。浪士組が京に上る道中、大津宿でたくされました」


安積は無言で手紙を開き、目を走らせた。


「田中河内之介に後事をはかり、再起をせ。の人、かつて従六位じゅろくいの官位を授かり、京の人脈に通ず…ふむ」

安積は琴の前で、最後の一行を読み上げた。


二人の横で徳利の酒をあおっていた岡田以蔵が顔を上げた。

「田中河内介なんちゅう男はもうらんぞね」

「なに?」

「とっくの昔にクタバっちゅう」


安積と琴は、同時に以蔵を振り返った。

「おえおえ、二人して、そがいきょうてえ眼ぇでにらむこたあないろう。別にわしが斬っちゅう訳やないき」


「そうは言わん。だが、誰にやられた?」

安積は問い詰めるような口調で以蔵をにらんだ。

「ほがなこたあ知らん。ただ、あの寺田屋のドタバタがあった翌日、小豆島の岸に、首を斬られた土左衛門どざえもんが上がったち話を聞いちゅう。後ろ手に縛りあげて、足枷までめられちょったゆうがやき、まっこと不憫ふびんなことぜ」

水死体どざえもんが、なぜ田中河内之介であると特定されたのかは定かではない。

しかしその遺体は、完全に自由を奪われた状態で斬られており、そしてそのまま、船上から播磨の垂水沖に打ち捨てられたと見られていた。

以蔵は、それをやったのが自分でないことが、さも残念そうだった。


薩摩サツマっぽめ。(むご)いことを」

安積の残された瞳には憎悪ぞうおがたぎっている。

「ほうじゃのう。仲間ち思いゆう人間に斬られるがは、まっこと、口惜くちおしいもんじゃろのう」

同情深げな台詞せりふとは裏腹に、その口元には残忍ざんにんな笑みが張り付いている。

安積は、以蔵の態度を心から嫌悪けんおしている様子だったが、すっかり途方に暮れて言い返す気力も失せていた。

「…田中河内之介はすでに死んでた…それも寺田屋で事件のあったすぐあとに…」


琴が小首をかしげた。

「清河さんは、そのことを知らなかった?」

「多分。田中様は首をさらされた訳じゃない。殺した方も後ろめたい事情を抱えていた。つまり秘密裏ひみつりに、闇にほうむられたんだ。江戸にいた清河が知らなくても無理はない」


以蔵は、楽しそうに二人の会話に加わった。

「わしゃあ、ある男から、寺田屋騒動のあと、薩摩は太い金づるをつかんだち聞いちゅう。清河は、それをアテにしちょったんじゃいか。ほいでも、そん金は今じゃあ島津が握っちゅうぜ」

琴は、足が震えるのを感じた。

「その話は誰から?」

動揺どうようが顔に出ないよう、必死で自分を抑える。

それこそ、清河八郎が探していた闇資金だ。


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