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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
遊里之章
267/404

魔窟にて 其之壱

しばらく後。洛東らくとう


町娘まちむすめ格好かっこうをした中沢琴が、大仏南門通りと大和大路が交差する辻から、大仏寺の向かいにある瓦屋の様子をうかがっていた。

琴は前日のお座敷がハネたあと、そのまま着替えて島原を抜け出していた。

認めたくはなかったが、このような勝手が許されるのも山南敬介と土方歳三による交渉の賜物たまものだった。


「…あ〜、あったま(いた)

昨日は例の坂本龍馬に釣られて飲みすぎた。


今のところ人の出入りはない。

琴が島原のお座敷で得た情報によれば、

家主の五郎兵衛ごろべえは、歳に似合わず過激な勤皇きんのう思想にも理解があるらしく、この屋敷は土佐を脱藩した浪士や、その他諸々の怪しげな浪人者の巣窟(アジト)となっているらしい。


まもなく京にやってくるという安積五郎あさかごろうも、これら土佐藩の不穏分子ふおんぶんしと接触をはかるのではないかと琴は踏んでいた。

桂小五郎や武市半平太が不在の今、在京過激派ざいきょうかげきはの動静は、つまるところ吉村寅太郎に収束されるはずだ。

あえて土方に情報を流したのも、彼ら浪士組がそこへ踏み込んで、何かは知らないが吉村の企てをつぶしてしまえば、結果的に安積五郎の合流も御破算ごはさんになるのではないかというあわい期待があったからだ。

安積とはせいぜい一面識いちめんしき程度の間柄ながら、清河の計画で、これ以上人の血が流れるのは見たくない。


そんなことをぼんやり考えていると、

突然、背後に人の気配がした。


トシのネタ元は君か…」


振り返れば、そこには浪士組局長、近藤勇が立っていた。

「近藤先生?なぜここに」

近藤は、その問いには答えず、琴が見張っていた屋敷の門にあごをしゃくった。

「あそこが例の瓦屋かわらやかい?お琴さんこそ何故この件に関わってるんだ」

琴は、一から説明しても近藤は納得するまいと思った。

「話せば長くなります、とっても。」

「…聞かない方が良さそうだ。まさか、一人で乗り込む気じゃないだろうな?」

「近藤先生こそ。まさか、あのおかしな羽織を着た一団で押しかける気ですか?大勢で乗り込めば、きっと斬り合いになる」


近藤は大きな口をへの字に曲げた。

「先生はやめてくれ。後ろを見ろよ、他には誰もいない。俺もそこまで間が抜けちゃいないさ」

「へえ?局長が勝手にいさみ足をすれば、あの口うるさい参謀さんぼうたちが黙ってないんじゃないかしら?」

近藤が二人の副長を思い浮かべてゲンナリする様子を、琴は訳知わけしり顔でのぞき込んだ。

「…政治か!君もしばらく会わないうちに都に染まったらしいな。ああ、そうとも、俺も学んだよ。ここでは全てにおいて政治が優先される。吉村は土州人どしゅうじんで、お上も雄藩ゆうはんのことになるとれ物にでも触るような扱いだからな。俺も屯所とんしょでは隊士たちにそう言い聞かせてる」

吐き捨てる近藤を、琴は面白そうに見つめた。

「それが近藤さんの本音ホンネ?」

「君の言う通り、一軍をひきいる将としては、そうした政治の機微きびにも慣れなきゃな。しかし、ここだけの話、あそこに危ない連中が隠れてるのを知ってなお、じっとしてられるほど俺は気が長くないんでね」

「そうね。そっちの方が近藤先生らしいかも」

琴は複雑な笑みを浮かべてうなずいた。

「先生はよせって言ったろ。しかしこれ以上、隊士あいつらにばかり危ない橋を渡らせる訳にもいかないんでね。お互い、この件は山南さんにも内緒だ」

「じゃあまず、私が様子を見てきます」

「一人で?なに考えてる」

近藤は声を荒げた。

「女ひとりなら怪しまれない。私は会津となんの関わりもないし、何かあってもかどは立たない。でしょ?」

「何かあったら困るんだ。俺が山南さんに顔向けできん」

「山南さんは関係ありません」

琴は少しムキになって反論した。

「強情だな。いったい誰に気兼きがねしてる?二人ともひとり身なんだし、なにをはばる必要があるんだ?」

「私たちが所帯しょたいを持つなんて想像できますか?晩酌ばんしゃくの相手をしながら『今日は何処どこで誰を斬ってきたの』って聞いたり、眠れない夜をどうにかやり過ごすためになぐさめ合ったり?…全然笑えない」

「なぜそれじゃダメなんだ?今どきはたのしみのためだけに寝る女だっていっぱいいる」

近藤は、まるでそれが自然なことであるようにたずねた。

「そうかも知れないけど!…私は違う」

琴はつい声が大きくなったことにハッとして、それから肩を落とした。

「…ていうかそれ、今ここでする話?」

「君らは普通の夫婦になれるさ」

近藤は、優しく微笑んだ。

この笑顔に不意ふいを突かれると、みな近藤に心を許してしまう。

「普通、の…」

「むしろ、君は彼にそれ以上を求めてるんじゃないのか?それはこくってもんだぜ?」

思い当たるふしがあるのか、琴は何も言い返せなかった。

近藤もそれ以上深入りはしなかったが。


「…とにかく、危ないことはしません。”清河八郎のつかい”として、中の様子を見て来るだけ。吉村がいれば知らせます」

「清河のつかいだって?」

近藤は顔をしかめた。

「口実です。清河はそのすじじゃ有名人なので。私は江戸から彼と行動を共にしてきたし、何か聞かれてもボロを出す心配はないでしょ?」

「しかし君は吉村寅太郎の顔を知ってるのか?」

「近藤さんだってそうでしょ?上手く聴き出します」

「…お琴さんみたいに機転の利く監察かんさつ浪士組うちにいてくれればな」

「そんなの、お断り」

近藤は苦笑した。

「くれぐれも気をつけてくれよ。そろそろ昼だ。九つの鐘が鳴っても出てこなければ踏み込む」

「了解」

「それから、君がここにいる事情は後でじっくり聴かせてもらうからな!」

琴は小走りに駆けて行って、瓦屋の門前で振り返ると微笑んで見せた。


「まったく。きもっ玉の座った女だぜ」

近藤は小さく首を振った。



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