八木家の井戸端会議 其之壱
浪士組屯所に中沢琴からの一報が入ったのはその翌日だった。
しかし、まずは朝の八木家の台所の話から始めよう。
「ああ、そこ、ツバメが巣を作ってるから気いつけや」
八木家の奥方の雅は、井戸の脇で鍋を洗いながら、
勝手口から入ってきた八百屋の物売りに声をかけた。
八百屋の娘あぐりは一旦外に出て、軒下を見上げた。
「ほんまや。ツバメってあんなにピーチク鳴くんですねえ」
「雛や。入口の真上やし、困ってますのやけど、可愛らしから落とされへん」
あぐりは笑った。
「なんや忙しいときに来てしもてすみません」
八木家の台所では鍋や釜の片付けに追われている。
朝食の時間が終われば、今度は山のような腕や皿の洗い物が待っているので急がねばならない。
早速、通い女中の祐が、うず高く積み上げた膳を持って、器用にバランスを保ちながらバタバタ戻ってきた。
「ホンマ!ええ加減にしてほしいわ!土方はんが帰って来おへんから全然片付かへん!」
あぐりと雅が、振り返って苦笑した。
「あんた、ちょっと前までヒマやヒマやてブツブツ言うてたくせに、帰ってきたら帰ってきたで文句ばっかりどすなあ」
「そやかて、ここんとこ毎日朝帰りで、みんなが出てった後に一人で悠々とご飯食べるんやから!」
そこへ主人の八木源之丞が欠伸をしながら姿を見せた。
「そう怒りな。お勤めなんやさかい仕方おへん」
あぐりは、笑顔で源之丞に頭を下げた。
「おはようございます。皆さん大坂から帰ってきてからもお忙しいんですねえ」
「ハン!女の匂いプンプンさせて、何処へお勤めやら!」
祐は鼻を鳴らした。
「またそんなこと言うて」
歳が近いせいもあって最近ではすっかり仲良くなったあぐりが祐の肩を叩いた。
「まあ、男も若いうちはそないなもんどす」
源之丞が羽織の紐を結びながら笑う。
「ふーん、そらあんさんもどすか?」
使い込んだ釜をゴシゴシ磨いていた雅にジロリと睨まれ、源之丞の手が止まった。
「わ、わたしに遊ぶお金なんかおへんやろ!」
源之丞の気持ちを知ってか知らずか、祐がなにか思い出したようにポンと手を打った。
「そや!旦那さん、ええこと教えたげましょか?」
「ん?な、なんや?お祐ちゃん、言うてみ」
都合の悪くなった源之丞は、この話題に飛びついた。
「沖田はんがな、大坂の京屋で例の話の続きを聞いてきたんやて」
「ほんまかいな!」
「気になるわあ。な、なんの話したはるんですか?」
気の回るあぐりも、なんとなく場の空気を読んでその話に乗っかる。
源之丞はあぐりに小さく手招きをすると、かいつまんで、医者の娘が置屋に売られた妹を探しに大坂へ出たまま行方が知れないという話を聴かせた。
「それでそれで?」
あぐりはすっかり興味を引かれて、売り物の野菜を脇に退けて身を乗り出した。
祐は、源之丞の話を引き取って、沖田から伝え聞いたその話の続きを語った。
「ほんなら、そのお龍さんは、妹さんを取り返して帰って来はったんですか!」
あぐりは年頃の娘らしくすっかり感激して、手を叩いた。
「それでそれで?」
さらにその先を促されて祐は困った顔をした。
「それでって、それで終わりやんか」
「でも、その後、お龍さんは京へ戻って来たんやろ?」
「さあ?」
源之丞が鼻の穴を膨らませて、最新の情報を披露した。
「ついこないだ、青蓮院宮の衛士の方から聞いた話なんやけどな、お貞はんは、五郎兵衛さんゆうて方広寺のそばにある瓦屋のご隠居宅で賄いみたいな仕事したはるみたいやで」
「お貞はんて?」
「楢崎先生の奥方どすがな」
「ほんなら、お龍さんのお母上やろ?仕事も見つかって、めでたしめでたしやんか」
スッキリした顔の祐に、あぐりが首を傾げた。
「へえ。方広寺ってどの辺り?」
「なに言うてますのや。大仏さんどすがな」
重ねた皿を運んで三人の後ろを通り過ぎた雅が口を挟んだ。
三人のヒソヒソ話が気になって、様子を窺いに来たようだ。
「あ、それなら分かります。ホンマは方広寺ていうんですか?」
あぐりは感心した風にうなずいた。
方広寺には、かつて奈良の盧舎那仏像をもしのぐ巨大な大仏があったのだが、寛政年間の落雷で焼失してしまった。
文久三年の時点では、その火事も65年前のことになるので、彼らも大仏を実際には見てはいない。
この時代には、代わりに、少しスケールダウンした大仏の胸像が安置されていたが、それでも京の人々の間では、変わらず「大仏寺」の通称が通っている。
「じゃあ川向こうになるんかあ。ちょっと遠いなあ」
残念そうにしているあぐりに祐が尋ねた。
「なんでそんなこと聞くん?」
「行商のついでに、そのお龍さん言うひとの顔見てみたいなあと思って」
「ヤジウマやなあ」
祐は苦笑した。
「いやしかし、わたしもな、お龍さんの消息は気になってたんやけど、安心しましたわ」
源之丞が胸を撫で下ろす仕草をすると、
水屋に皿を仕舞っていた雅が目を怒らせて振り返った。
「お龍て誰え!!」
「いや!その!あ、あかん!無駄話してたら遅れる。ほな行ってきますよって」
そそくさと出て行こうとする源之丞に、雅は追い討ちをかけるように声を浴びせた。
「おはようお帰りやす!」
雅の剣幕のとばっちりを恐れて、あぐりと祐も同時に立ち上がった。
「さあ、私も仕事に戻ろうかなあ…」
「あ、そや。うちも土方はんにお茶淹れな」
一方、八木家の離れでは。
「また朝帰りか?」
不機嫌な顔で朝食を取っていた近藤勇が、背後を通り過ぎる土方歳三に声をかけた。
「朝っぱらからうるせえなあ。仕事だ、仕事」
土方は、何か書き付けた紙を近藤に投げてよこした。
近藤は、前を向いたまま器用にそれを受け止めると、
折り畳んである紙を広げてまた顔をしかめた。
梅の花の香りがふわりと漂う。
「香が焚き染めてある。おまえの情報屋は随分風流だな」
土方は事もなげに笑って肩をすくめた。
「いいから読めよ」
「河原屋五郎兵衛宅に土州浪士出入りし候につき、改められたし…なんだこりゃ?これだけか?」
「大坂に立つ前、左之助が言ってた吉村寅太郎の件を覚えてるか?油問屋を強請ってた連中の親玉だ。いま、ヤサを探らせてる」
「この瓦屋五郎兵衛ん家が、そうだっていうのか?左之助から聞いた木屋町の宿屋からは遠いが…」
「ああ、そこは土佐を脱藩したゴロツキどもの巣だ」
近藤の眼つきが鋭くなった。
「…いったいどっから仕入れたネタだ」
土方は畳にぺたんと腰を下ろし、ニヤニヤと近藤の顔を見た。
「それ言うと、またかっちゃん怒るからさあ」
「…もういい、聞かん。その情報は信用できるんだろうな」
近藤はそう言って茄子の漬物を荒っぽく口に放り込んだ。
土方は近藤の向かいに座っている山南敬介にチラリと目配せした。
「正直、そこに吉村が立ち寄っているかは、まだ分からん。土佐って国の内情は複雑でな。吉村寅太郎は不逞浪士どもを束ねる武市半平太の派閥とは、いささか意見を異にしているらしい」
「二人はどう違うんだ」
「さあな、どうでもいいだろそんなの。どうする?踏み込むか?」




