表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
遊里之章
263/404

千里を駆ける天馬 其之壱

輪違屋主人はあまりいい顔をしなかったが、結局、中沢琴は今しばらくの間、輪違屋に居ることになった。

もとより定住する場所などなかったし、浪士組が屯所とんしょを構える壬生村にも近く、何かと都合がよかったのだ。


「明里!」

遊女たちが起居ききょする座敷のふすまを荒っぽく開けて、花香太夫が入ってきた。

部屋の隅で本を読んでいた琴、つまり明里は、物憂ものうげに顔を上げた。

「はい」

「あんたなあ、今日うちのお座敷、手伝てっとうて」

「ええ、分かりました。角屋さんですか」

「そうや。ほな、すぐ支度したくしいや」

「じゃあ、この間いただいた新しいかんざしを…」

「そんなん、かまえへん。どうせ土佐の田舎侍いなかザムライや」

つんとました顔で、花香は部屋を出て行った。

琴は輪違屋に来て以来、随分ずいぶんこの花香にこき使われていた。

しかし、彼女は誰に対してもこうだったから、琴に対して何か含むところがある訳でもないらしい。


「明里も大変どすなあ」

廊下でこのやり取りに居合わせて、気遣いを見せたのは、輪違屋で花香と二枚看板を張る桜木太夫である。

初見でちょっとした因縁いんねんができたものの、その後はお互いに謝罪し、感情のもつれが尾を引くことはなかった。

桜木は元来穏やかな性格で、最近は琴とも少し打ち解け、むしろ彼女の方が花香より優しく接してくれるくらいである。

「まあでも、可愛がってもらってますから」

琴は気にする風もなく、いそいそと化粧を始めた。

「土佐のおサムライは、言葉(づか)いは荒ろおすけど、皆さんええおひとえ」

桜木は花香の暴言をやんわり訂正した。

太夫こったいにもお知り合いが?」

「うちは長州屋敷の方からお呼びがかかることが多おすさかい、たまに土佐のお客様もご一緒しやはるなあ。今日は坂本様が来はるらしいけど、面白いお方え」

「ふうん、そうなんですか」

琴は期待していた名前の誰とも違ったので、気のない返事をした。


琴が支度したくを済ませて玄関に行くと、

キセルを持った花香太夫がすでに仁王立ちしていた。

「明里!早よ!」

琴を見るなり、手にしたキセルを禿かむろにポイと渡し、下駄げたを履いている。

関東育ちの琴は、この気風きっぷのいい先輩が嫌いではなかった。

お座敷が入れば、何かにつけて琴に声をかけるのも彼女なりの心遣こころづかいで、要するに、京都人にしては珍しく姉御肌あねごはだというか、面倒見がいいのだ。

もっとも、花香にも打算ださんがなかった訳ではない。

明里、つまり中沢琴は、愛想もなく、芸の方も今一つではあったが、とにかく容姿だけはくるわでもちょっとしたうわさになるほどだったので、客からの受けはすこぶる良かった。

ライバルたちを蹴落けおととすには力強い味方と言うわけだ。



花香太夫が琴らを引き連れて角屋に行くと、

お座敷では6人の客が輪になって、すでにしたたかに飲んでいた。


花香と明里、そして二人の鹿恋が現れると、わっと歓声が上がる。

傾城けいせいじゃ」

「こがな豪勢ごうせい宴会(おきゃく)は、はじめてぜよ」

ほとんどは薄汚うすよごれた木綿もめん半着はんぎはかま姿の若者で、おそらく土佐の脱藩浪士といったところだろう。

角屋のような高級店とは縁遠えんどおそうな者ばかりだ。


「やっぱり同郷のもんと飲むがは、気兼ねがいらんき、ええもんぜ」

その中に一人だけ、絹の着物に仙台平せんだいひらはかまを着けた浪士が、落ち着き払ってさかずきを空けている。

洒落しゃれた格好をしている割に、頭はチリチリの総髪そうはつで、髪紐かみひもほどけば綿飴わたあめのようになりそうだった。

やはり20代後半ほどの若者だったが、おそらく彼が今晩のスポンサーだろう。


その隣には今晩の主賓しゅひんおぼしき、がっしりとした大柄の男が座っている。

「けんど、坂本。ここは例の浪士組の屯所も近いき、ちっくとマズうないろうか」

「那須さん、太い体して、こまいこと言いなや!やき、ええがじゃ。灯台下暗とうだいもとくらしちゅうじゃろ」

坂本は立ち上がると那須と呼んだ男を引っ張って、上座かみざに座らせ、肩をポンポンと叩いた。

「おまんは、まっこと肝が太いのう」

那須は坂本の顔を見上げ呆れ返っている。


席次せきじから言って、天神の琴が坂本につくことになった。

「天神の明里と申します」

花香と琴が上座かみざに座ると、また浪士たちが騒いだ。

「こがな綺麗キレイ女子おなごしゃくをしてもらえるち、京はええとこじゃのう」


「アハハ、おまんら、ほたえな」

坂本は上機嫌で琴のしゃくを受けながら話を続けた。

「知っちゅうかえ、海軍操練所かいぐんそうれんじょの件が本決まりになったがよ。これでようやっと日本にも本格的な海軍ができるぞね。今日はそのお祝いやき。わしのおごりじゃ」

「さすが龍馬、才谷屋さいたにやのボンボンじゃ!」

浪士のひとりがはやし立てた。

「海軍にゃあ金がかかるき、わしゃ勝先生のお使いで、暫時ざんじ越前の三岡さんに金の無心むしんに行かにゃあいかん。いわば、ご公務ぜよ。つまり、コソコソ隠れゆうことは、なんもないちや!のう?明里」

琴は、あまりに明けけな坂本に圧倒された。

「ご機嫌ですね」

「ほうじゃ。こがな美人に囲まれて気分が悪いわけないやか。ほれ、おまんも飲まんかえ」

坂本は明里のさかずきに並々と酒をいだ。

「まっこと、忙しい人でのう…」

那須が坂本の活動について花香に話すのを、琴は耳をそばだてて聴いていた。


海軍操練所かいぐんそうれんじょとは、幕府のきもいりで、いわゆる海軍士官学校とドック(造船所)を併設した機関を神戸港に創設しようという壮大な構想である。


この坂本龍馬という土佐の郷士は、清河八郎から教えられた各国の要人リストには名がなかったはずだ。

軍艦奉行ぐんかんぶぎょう勝海舟の片腕となって東奔西走とうほんせいそうし、ついには海軍創設の足掛かりを作るに至ったというのだから、一廉ひとかどの人物に違いなく、つまりは新進気鋭しんしんきえいの活動家ということなのだろう。

彼がこののちやりげる偉業については今さら説明の必要もないと思うが、何も知らない中沢琴から見ても、身一つで世の中を動かそうとする坂本という人は、才気と野心に満ちあふれていて、まぶししく、魅力的に感じられた。


坂本はまるでヘタクソな芝居の批評でもするように、危なっかしい政治談義せいじだんぎを始めた。

大樹公たいじゅこうは、あくまでリンカーンやテンプルと五分で談判だんぱんしやあせんといかん。海軍がありゃあ、それが出来るようになるちや。あがなびついた大砲と、商船に毛の生えたような軍艦でアメリカとやり合おうらぁて、長州はベコノカァ(バカ)じゃ。けんど、アメリカに尻尾しっぽ振って、わざわざ黒船に空けた穴を直しちゃるお上は、なおベコノカァじゃ」


「坂本様のご高見こうけん頓知とんちいたはるさかい、お(つむ)の弱いお方が聞かはったら誤解されますえ」

花香は優雅な仕草しぐさで唇に人差し指を立てて、妖しく笑ってみせた。

「そうながか?」

坂本は愉快ゆかいそうに笑った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=929024445&size=135
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ