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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
遊里之章
261/404

大望の残像 其之弐

世情が騒がしくなって以降、都には薩摩や土佐、福井など各地の有力大名が入れ替わり立ち代り滞在している。

そのせいで、今や都には京詰きょうづめの藩士たちがあふれかえっており、彼らは色街いろまちに大金を落とした。

かくして、歴史は夜作られる。


明里、つまり中沢琴は幸運にもいきなり島原で一二を争う太夫に付いて座敷に上がれたので、すぐに上客じょうきゃくたちに名が知られて、指名が入るようになった。

「そのお金を山南様のお名前でうちにれはったらよろしだけの話どす」


「いやまて。その二十両、壬生浪士組が立替えよう」

山南の背後から声がした。


中沢琴に代わってこの場を収めに来た土方歳三である。


「土方さん。あなたがなぜ…」

山南の言葉を手でさえぎって、土方は輪違屋との間に割って入った。

「いや、あと十両上乗せしてもいい。ただし、主人、条件がある」

どうやら土方と輪違屋主人は顔見知りらしかった。

「これは土方様、夜分にお勤めご苦労様どす。して、その条件とはなんどすやろか」

話が早い、と土方は笑った。

「これからも明里をお座敷にげてもらうことがあるかも知れん。そのときはよしなに取り計らってくれ」

「なるほど。水心有みずごころあれば魚心うおごころどすか。けど、わたしは今後も危ない橋を渡らなあかん。なんの得がおすのや」

かせぎはこれまで通りあんたが持っていけばいい。たった数日で五十両を稼いだ女だ。損はなかろう?」

「あのいとはん、随分ずいぶん伝法でんぽうな口をきくと思いましたが、関東のお方はみなさん総じて単刀直入にものを言わはる。他ならぬ土方様のお申し出とあれば、断れまへんなあ」


こうして、夜半に行われた奇妙な交渉は成立した。



輪違屋を出るなり、山南は土方の襟首えりくびをつかんだ。

「どういうつもりだ」

土方は不敵ふてきな笑みを浮かべる。

「金のことは心配すんな。いいか?あの女にこの事は伏せておけ。あくまで二十両はあんたの財布サイフから払ったんだ」

「そんなことを聞いているんじゃない」

土方は山南の手を振りほどいた。

「夜の島原に間者を忍ばせる利点について、今さらあんたに説明が必要か?」


「言っておくが、私はこの事を彼女に黙っている気はないし、彼女を巻き込むつもりもない」

「よく考えろ。俺たちは今、会津からも蚊帳かやの外に置かれてる。長州や薩摩の連中がこの町で夜な夜な交わしている密議の中身を、あの女から手に入れることが出来れば俺たちの得るものは…」

「だとしても、彼女にそんな事はさせない」

山南は理をさとす土方に人差し指を突きつけた。

土方はまたしてもその指をうるさそうに退しりぞけた。

「あの女は清河のことをすでに知っていた。それでも島原ここにいるんだ。何をぎまわってるのかは知らんが、つまり、放っといても、そうする気なのさ。その情報を俺たちにも少しばかり流せってだけの話だろ。あんたの言う事ならあいつも大人しく聞く」

「バカバカしい。君は我々の関係を勘違いしている。だいたい君は彼女を疑ってたはずじゃないか?仮に彼女がその条件を飲んだとして、彼女の情報はなしが本当だという確証は何処どこにあるんだ」

「そいつは情報の種類にる。俺はな、ある意味で、あんたよりあの女を買ってる」

「土方さん、あなたは分かってない」

「そうかね、山南さん。ほら、いけよ。女はまだあんたを西の鳥居で待ってる」

土方はうるさい犬を追いたてるように手を払う仕草しぐさをした。

山南は、まだ何か言いたに、土方の顔を見ながら渋々立ち去った。



横殴よこなぐりの雨の中、赤い傘を差すそのシルエットが中沢琴だと山南にはすぐ分かった。

「お琴さん…まず説明してくれないか」

灯篭とうろうの薄明りに近づきながら、山南はいきなり声をかけた。

ゆっくりと振り向いた琴の髪は濡れてしずくしたたらせている。


ずいぶん待たされていたというのに、琴は何の言い訳も用意していなかった。

確かに、いくら奇矯(エキセントリック)な行いの多い彼女でも、想い人の前にいきなり遊女として姿を現したのは、度が過ぎていた。

何故こうなったのか。

山南がそれを聴くのは当然であったし、なにか答えを考えておくべきだった。


「こう見えても私、踊りも三味線しゃみせんも一通りこなせるんですよ」

はぐらかしてみたものの、山南は複雑な笑みを浮かべただけだった。

「まさか君はここで、その…」

東北人らしい、色白で整った顔立ちが苦悶くもんにゆがむ。


「ひょっとして、私が自分の身をひさぐようなことをしたと思ってるんですか」

琴は責めるようにたずねた。

「これでも君の性格を分かってるつもりだ。君が自分からそんな事をするはずがないのは知ってる」

「私は誰からも、なにも強制されたりしていませんよ」


琴は、輪違屋と交わした紳士協定を説明した。


「…だから、輪違屋と直談判じかだんぱんなんて、先走り過ぎです」

「それを知っていたからと言って、私が見て見ぬふりをできたとでも?」

暗くてお互いの表情は読めなかったが、山南の声は明らかに怒気どきを含んでいた。

「…ごめんなさい」

「土方さんは君の身代金みのしろきんを隊の金で払った。つまり、これがどういうことだか分かるか」

詰問きつもん口調は変らない。

琴は少しすねたように顔をそむけた。

「持ちつ持たれつって意味でしょ」

「これは君が考えているような甘い取引じゃない。彼は相応そうおうの見返りを求めるだろう。当然の権利だ」

土方の言っていた「嫌われ役を買う」とはこのことだろうか。

「どちらにせよ、今すぐ30両なんてお金を用意するのは、私には無理なんです」

琴は土方との共犯関係を選んだ。

納得できない山南は一歩前に出て琴との間を詰めた。

置屋おきやの話と違う」

「ええ。確かに、お座敷はいいお金になった。けど、これまでの仕事は予想外に出費も多かったんです。宿代や船代、着る物や、刀のぎ代、諸々(もろもろ)でほとんど消えてしまいました」

「う…む…」

50両もの金がそんな簡単に消えるはずもなかったが、兎角とかくサムライというものは金勘定かねかんじょううとく、山南もその例外ではなかった。


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