カタナ・ガール 後篇
その、男装した中沢琴の顔を、杉山松助がにらみつけている。
入江九一がちらと後ろをふり返って言った。
「おっと、仲間が加勢に来たか?」
「あんな奴は知らん!」
阿部慎蔵が刀をかまえたまま、叫んだ。
杉山は、琴を睨め上げるように、頬をよせた。
「ああいってるが。じゃあ、おまえはなんだ」
「わたしも、あんな男は知らん。ただ、」
琴は、言葉を切ると、鞘の先で杉山の胸板を突き飛ばした。
「あなたの相手はあっちだろ」
不意をつかれた杉山は、二三歩うしろへよろめいたが、体勢を立て直すと、真っ赤な顔で琴に刀を向けた。
「こいつ!」
周囲の野次馬たちが悲鳴をあげて後ずさる。
「かまわないから、続きをやってくれ」
琴は、動じる風もなく、手にした刀を腰に差した。
あくまで傍観を決め込む琴に、先ほどの町娘がすがった。
「なんでなん?あのお侍さん、助けたげてや!」
腹のおさまらない杉山も、入江と山県をふり返ってから、
「あっちは手が足りてるようだ。相手をしてやる」
と、琴に向けて八相にかまえた。
「いいのか?」
琴は口の端を吊り上げて笑うと、杉山にではなく、阿部にたずねた。
勝負の邪魔をして「いいのか」という意味らしい。
阿部は余裕のない声で、
「ああ。やれるもんなら、どんどんやっちゃってくれ」
と応え、自身も一歩、前にふみ出した。
自然、入江九一たちは、阿部と琴に挟まれる格好になった。
しかし、杉山は自分たちの絶対の優位を疑っていない。
「なんだその佐々木小次郎みたいに長い刀は。抜けるのか?」
二尺八寸(85cm)もある琴の刀をみて、見下すように言った。
琴は、町娘を横目に見ながら、すらりと抜いてみせる。
少女は、琴の意をくんで後ろに身を引いた。
「そんな…」
杉山がなにか言いかけたとき、
琴はそれを、
ブン!
と横なぎに払い、
彼を飛びずさらせた。
「しゃべってる暇があったら、さっさとかかって来たらどうだ」
その言葉が杉山を逆上させた。
彼は、意味をなさない叫び声をあげて、
思い切り袈裟がけに斬りつけた。
琴はまるで曲芸のように身体をひねって、
斜め後方に回転しながらそれをかわすと、
その勢いを利用して杉山の刀を弾き上げた。
甲高い金属音が響き、
杉山の刀は根元からポッキリと折れた。
はじき飛んだ刀身が、
入江九一の足元に突き刺さる。
入江は、背後で何が起こったのか理解できず、呆然と立ちつくした。
山県も同様だ。
その一瞬のスキをついて、
阿部は山県の刀を力いっぱい叩き落とした。
一瞬の静寂のあと、
阿部は正眼にかまえたまま、大きく深呼吸して、
「もういいだろ?」
と、見開かれた入江の眼をにらんだ。
そうして全てが終わったころ、ようやく現場を探しあてた沖田総司が駆けつけた。
その状況を見ておおよその事情を察した沖田は、自分の両肩を抱いてため息をついた。
「あーあ、やっちゃったよ…」
沖田の姿に気がついた琴は唇に人差し指をあてて、少し眉をよせた。
「山南さんには黙ってて」
一方、三条大橋ではようやく浪士組の隊列が動き始めていた。
「沖田に任せといて大丈夫かな。」
中沢良之助がそわそわと、丸太町の方角を眺めながらつぶやいた。
「だあいじょうぶだって!あいつは普段はフラフラしてっけど、やるときはやる奴なんだよ。今までは、たまたまそのやる時が来なかったから、おれもフラフラしてるとこしか見たことはないけどな」
永倉新八の慰めにもならない無責任な言い草を無視して、土方歳三が先をうながした。
「そんなことより、清河がなんだって?」
良之助は、仕方がないという顔で話し出した。
「山南さんはごぞんじですが、清河は一時期、玄武館道場の塾頭をつとめていたんです。俺が入門したころは、すでに自分の道場を開いていましたから、たまにしか玄武館には顔を出しませんでしたが、俺はそのころから虫が好かなかった」
「じゃあ、二人は道場で知り合ったというのか」
山南敬介が思案顔でたずねた。
「たぶん。姉は何度かお玉ヶ池(玄武館)まで、つくろった道着なんかを届けにきたことがあったでしょう?」
「どうでもいいが、ずいぶん面倒見のいい姉ちゃんだな。だって一緒に住んでたんだろ?あんた、甘やかされすぎだぜ」
土方がひやかすような顔をしてみせる。
「ああ、それは俺にじゃない」
良之助は、そう言って山南を見やった。
「ははあ」
土方の意味ありげな視線を感じて、山南は少しきまり悪そうに目をそらした。
良之助にはもちろん他意はない。
「とにかくその頃、姉はなにかのきっかけで、あの誇大妄想狂につけ入られたんですよ。いつだったか道場のまえで、二人が親しげに話してるのを見た記憶があります」
「しかし、そこまで清河を嫌っていながら、なぜ君は浪士組に入ったんだ」
山南が、複雑な表情で聞いた。
良之助は少し胸をそらせて、決心したように告白した。
「清河の企みを暴くためです。いやもちろん、俺にだって国に報いたい気持ちは人並みにありますが、あの清河という男が、そんな純粋な動機から浪士組を作ったとは思えない。むしろ、山南さんがあっさりあいつの口車に乗せられたのが不思議ですよ」
そのとき、藤堂平助が土手のほうを指差して言った。
「あ、沖田さんが帰ってきたぞ!」
沖田総司は、鴨川べりの道を中沢琴、阿部慎蔵と並んで歩いていた。
「まったく、急にいなくなっちゃうんだから」
「木像のクビを見て喜ぶ連中の顔が見たかっただけだ」
琴は、阿部がそばにいるせいで、まだ浪士を演じている。
「ま、誰も死ななくて良かったですよ」
入江や山県が渋々ながら刀をおさめたため、今回の騒動もひとまずは事なきを得た。
彼らは、やはり相応の分別をもった人物らしく、こんな詰まらないケンカに命を掛けるべきではないと判断したようだ。
もちろん、藩邸の目の前で、これ以上騒ぎを大きくしてはまずいという意識が働いたこともあるだろう。
「はっ、あんな奴ら!いつでもかかって来やがれってんだ」
なぜか二人にくっついて来た阿部が強がってみせた。
分別とは無縁の男だ。
「あなたもその腕で、三人と渡り合うなんて無茶だ」
琴は冷淡に、その軽率な行動をいさめた。
沖田が苦笑いしている。
「失礼な奴だな。それよりさっきのあれ、どうやったんだ?」
阿部は、琴がやってのけた曲芸まがいの立ち回りのことを思い出して聞いた。
そもそも法神流の極意は飛び斬りにあるとも言うが、あのような剣法があるわけもない。
「なにが」
と、琴はとぼけてみせた。
「しかし、京にはあんな手合いがいっぱいいるのですか」
沖田が、阿部の顔をのぞきこむようにしてたずねた。
長州人たちの不敵な面構えが目に焼き付いている。
「さあな。俺も野暮用で大坂から出てきた人間だから、詳しくはないがね。なにかと騒々しい町であることは確かだよ。あの三条河原って場所にいけば、木像の首だけじゃなくて、日替わりでいろんなものが見れるぜ」
「やる事がガキなんだよなあ」
沖田は、河原の人だかりを見ながら唇をとがらせた。
しかしこの事件は、幕末を象徴する出来事ではあった。
「征夷大将軍」という肩書きは、こうしたタチの悪い嘲りを受けるほどに色あせてしまったことを露呈したのだから。
まもなく、徳川家茂は、その十字架を背負わされて、殺戮に明け暮れる京の街に入らねばならない。




