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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
遊里之章
256/404

明里 其之肆

島田が先を続けた。

「だが、行状ぎょうじょうがよろしくない。奴は方々で借金を作ってます。その上、押し借りみたいな真似マネを繰り返してる」

土方が皮肉っぽく笑った。

「芹沢が気に入るわけだな」


「しかし、仏生寺が浪士組に入るのをこばめば、奴は長州に…」

近藤はそこまで言って口をつぐんだ。

女たちが入ってきたからだ。



上座に二人の天神が座り、新造が三人、近藤たちにしゃくをして回る。


土方歳三がお気に入りの一之天神の隣にちゃっかり腰を下ろした。

「ほら、近藤さんも来いよ。あんたがこの…」

言いかけて、もう一人の天神に目を奪われる。

「…この天神の酌を受けてくれなきゃ、俺が気を使って、落ち着かないだろ」


「まったく…」

近藤は浮かない顔で上座に座った。

天神が銚子ちょうしを持ち上げたので、近藤は手にした杯を飲み干した。


明里あけさとと申します」


つやのある声で名乗った天神が、酌をする横顔を間近に見て、近藤も息を飲んだ。

「浪士組の近藤先生ですね?」

「え、ええ。田舎者なのでこういう店では遊び慣れません。無作法があればお目溢めこぼしください」

「ここは殿方とのがたにくつろいで頂く場所なのですから、細かいことはお気になさらず、好きになさってください」

明里は優雅な仕草で返杯へんぱいを受けた。

「私はこれまでの人生で数度、白刃はくじんに身をさらしたこともありますが、これほど身のすくむ思いはしたことがない。つまり、貴女あなたのその眼に射竦いすくめられると、とても、くつろぐどころじゃありません」

近藤は肩をすくめた。

意外と遊び慣れてる、と明里は見たのだろう。

先生せんせ?今日初めてお会いしたというのに、それは田舎者の使う口説き文句じゃないわね。最初からやり直し」

そう言って、悪戯っぽく笑った。



永倉新八が上機嫌で新造しんぞうの酌を受けながら、二人の天神を眺めた。

「ハ~!あでやかなもんだね~。見ろよ、近藤さんについてる女、ありゃ絶世の美女だぜ」

見かけによらず下戸げこの島田魁はちびちび酒をめながら、うなずいた。

「土方さんがお気に入りの花君太夫も綺麗だが、アレを落としゃ近藤さんの大逆転だな」

「ちょっと待て!花君って誰だよ!おまえ!前にも来たことあんのか!」

「土方さんのお供だよ」


近藤たちの密談は中断してしまった。

こうした場所に慣れない山南啓介は居心地が悪そうにハモつついている。


酒が進むと、明里の三味線で、一之が端唄はうた披露ひろうした。


「浅くとも 清き流れの杜若かきつばた)

とんでゆききの 濡れつばめ

のぞ)いてみたかや 編笠あみがさ

顔が見とうは ないかいな 

丁稚でっちが横丁ですべりこけたせつ背中に千両箱…」


「さっきから天神ばっかりデレデレ眺めて、先生せんせ、やらしいわあ」

鼻の下を伸ばして手拍子てびょうしを打つ永倉を見ながら新造しんぞうほおふくらませた。

「いやあ!このとしになるまで剣一筋に生きてきたもんで、女にゃ免疫めんえきがなくてね。だって、そのたもとがどーしてふくらんでるのか、道場では誰も教えてくんないんだぜえ?う~ん、どうなってるのかしら…」

永倉は新造の胸元を覗き込みながら、しゃくたず、銚子ちょうしから直接口に流し込んだ。

「その笑い方、嫌やし!」

「満開の椿は豪奢だが、桜のつぼみでるも、また風流かな、なぁんちって!ウヒョヒョヒョヒョ!」



唄が終わると明里は立ち上がって、山南のそばについた。

「山南先生、お酒が進んでいらっしゃいませんね」

「いえ、私は…」

「なにかご心配事でも?皆さん今日は何のご相談かしら?」

島原の芸妓は気位が高いと聞いていたが、ずいぶん不躾ぶしつけに立ち入ったことを聴くものだと山南は閉口へいこうした。

「…ここでそういう話は…」

「山南先生は、私みたいな女はお嫌いみたい」


大概たいがいの男は、清楚せいそな女を意味もなく有難ありがたがるもんさ。派手な女と楽しんでいてもな」

隣で聞いていた斎藤が、毒をいて酒をあおった。

山南は色は成した。

「そんな風に考えたことはない」


「クソ喰らえね」

明里がすまして口にした台詞せりふに、山南はギョッとした。


向かいに座る永倉には、三人のやり取りは聴こえない。

「クソ~、遊び人の土方ならいざ知らず、山南の野郎、ベタベタしやがってえ!お琴ちゃんといい、なんであんなカタブツがモテるんだあ?」

井上源三郎が渋い顔で、永倉の眼をのぞき込む。

「お、おまえ、酔ってるな?」


永倉は、とうとう山南達にい寄ってカラミ始めた。

「てえい!離れろ!あんたにゃお琴ちゃんてぇ美人の女がいるだろ!」


「あら、そうなの?ける」

明里は妖しく笑った。


「いや、お琴さんというのは…」


そこまで言ったとき、山南は目の前の女性の面差おもざしが琴に重なるのに気づいた。

それは花街はなまち特有の化粧で巧みに隠されてはいたが、紛れもなく中沢琴の顔だった。


「しょうがねえ奴だな。誰か止めろ」

近藤が赤ら顔の永倉を指さした。

「ほっとけよ、これも余興よきょうだ」

土方は面白がって酒をあおっている。

島田が慌てて永倉を抑えつけた。

「こ、こら!まったく、女のことになると見境みさかいがないな」

永倉は島田に組み敷かれながらも、まだ手足をジタバタさせて騒いでいる。


「一之ちゃん!次!”猫じゃ猫じゃ” いこ!明里ちゃん!俺と踊ろ!”猫じゃ猫じゃ”」


騒動の最中さなか、山南だけが明里の顔を凝視ぎょうししていた。

「お、おこ…!」

明里は山南の口元を人差し指の先で押さえた。

「し。今日は天神の明里です」

その眼は少しうるんでいるようにも見えた。

あんな別れ方をした後で、こんな形で顔を合わせるとは。

「明里だって?なんで…」

「明けの明星の"明"るいに、"里"です」


琴の故郷、筑波山から見える明けの明星。

以前、そんな話をした。


「まったく、君って人は、いつもいつも」



「猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが

猫が猫が下駄げたはいて

しぼりの浴衣で来るものか

オッチョコチョイのチョイ

蝶々とんぼやきりぎりす

山で山でさえずるのが

松虫、鈴虫、くつわむし

オッチョコチョイのチョイ」


くるわに永倉の調子っぱずれな流行歌はやりうた木霊こだまする。

外ではまた、しとしとと雨が降り始めていた。


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