明里 其之壱
ここで、西暦1863年6月26日に、アメリカ合衆国のラッセル商会が所有する商船ペンブロークが遭遇した災難について概略を述べておきたい。
時は南北戦争時代。
南軍と北軍が雌雄を決した、歴史に名高い”ゲティスバーグの戦い”まで、あと4日。
すなわち、文久3年5月11日の出来事である。
その日、横浜から上海に向かっていたペンブロークは、未明の激しい雨の中、海峡の潮の流れが変わるのを待つために下関から海を隔てた小倉藩領田ノ浦港沖に停泊していた。
前日5月10日には長州藩の物見がすでにこの船の位置を確認しており、
中山忠光率いる光明寺党が沿岸の亀山八幡宮に陣を敷いている。(因みに中山は京を離れる前に官位を返上して森俊斎と改名している)
光明寺党は久坂玄瑞の指揮により、11日丑の刻(2:00am)をもって、通告なしで亀山砲台からペンブロークに砲撃を開始。
しかし、青銅製の砲門は射程距離300Mというお粗末なもので、とても沖まで届くはずもなかった。
続いて攻撃を開始した壇の浦砲台は亀山のおよそ13町(1.4Km)北東に位置しており、いくらか船に近かったが、結果は同じだった。
久坂ら光明寺党は馬を飛ばして下関港に取って返し、
藩の軍艦、庚申丸艦長松島剛蔵に掛け合って、
半ば無理やり帆走船庚申丸と蒸気船癸亥丸を出撃させた。
強引な談判が受け入れられたのは、松島が久坂らの師、吉田松陰の縁戚であったからとも言われる。
久坂は自ら庚申丸に乗り込み、
二隻の軍艦が放った砲弾のうち3発が命中、
ぺンブロークを門司の南、周防灘に追いやり、
ひとまずは関門海峡封鎖を現実のものとした。
幕府にとっては、たった2日前、生麦事件の賠償金10万ポンドをイギリスに支払った矢先の事である。
しかし逆に言えば、これが運命の5月10日(正確には11日)に、日本側が能動的に行使した武力のほとんど全てであった。
時を同じくして、
若干17歳の若き将軍、徳川家茂は、どんよりと曇った大坂を後にしている。
もっとも、依然朝廷に首根っこを押さえられている状態で、帰れるのは江戸城ではなく二条城までであった。
もちろん、淀川を京へ上る三十石船の船団には壬生浪士組も随行している。
「…なんかさあ、5月10日って、なんとなーく過ぎちゃいましたけど」
船べりに寄りかかった沖田総司が、不謹慎にも退屈そうに欠伸をした。
その隣では藤堂平助がやはり同じように船べりに置いた腕に顎を乗せている。
「長州のやつら、マジで黒船にぶっ放したのかなあ」
「まもなく分かるさ。お楽しみってやつだ」
片膝を立てて座った原田左之助が鼻をほじりながら答えた。
新しい勘定方(会計係)候補、河合耆三郎が膝で擦り寄ってくる。
「しかし長州藩というのは、そんなに火力を持っているのですか?」
「アホウ!ハデに撃ち合って、今頃はもう黒船に斬り込んどるわ。は~あ、ええなあ」
坊主頭の松原忠司が立ち上がって伸びをした。
「しかしねえ、生麦の件でご公儀はイギリスから25万両も要求されているらしいから、今度はやるだけやって敗けましたじゃ済まされないスよ」
藤堂は相変わらずやる気のない顔で、冷や水をぶっかけた。
「ニニ、ニジューゴマンリョー!!」
沖田、原田、松原、河合は声を合せて叫んだ。
「コ、コロシタル~!お上が許そうが、いや神が許してもワシが許さんからなー!ミナゴロシじゃー!」
松原が、枚方かぎや浦の岸に向かって吠えた。
居眠りをしていた永倉新八が迷惑そうに片目を開けた。
「勇ましいのは結構だが、ちょっと静かにしてくんねえかなあ」
船首では、イライラしながらそれを聞いていた会津公用方広沢富次郎が、後ろに座っている土方歳三の襟首を引き寄せた。
「…来だ時より増えてるでねぇが!」
「き、気のせいでしょ。いやまったく長州の奴らときたら。正しく内憂外患ですな」
土方は景色を眺める振りをしてそっぽを向いた。
長州は続く5月23日にフランス東洋艦隊の通報艦キャンシャン、
26日には江戸時代を通じて外交のあったオランダの東洋艦隊所属、蒸気軍艦メデューサにまで砲撃を加え、
かくして長州とアメリカ、フランス、オランダ、さらにはイギリスをも巻き込んだ下関戦争の火蓋が切られたのだった。
お世辞にも大戦果とは言い難い先制攻撃による各国の被害は、それぞれ船体のわずかな損傷と、フランス海軍水兵4名の命だった。
この事件が長州の勇み足なのか、幕府の統制不能によるものなのかは、その後双方の解釈が分かれる。
しかし何れにせよ、のちに幕府と長州藩は多大な代償を支払う羽目になるのだった。
その夜。
浪士たちは20日間に渡る出張を終え、壬生村に帰ってきた。
八木家の門には、通い女中の祐と、村の診療所の手伝い石井秩、雪親子が出迎えに来ていた。
小さな雪は隊士たちの中に沖田総司の姿を認めると、駆け寄ってきて飛びついた。
「おかえりなさい!」
「ただいま!え?こんな遅くまで待っててくれたの?」
沖田は雪を抱き上げて、肩越しに秩の顔を見た。
秩は、はにかむように微笑んで頭を下げた。
「お疲れのところすみません。どうしても迎えに行くと言って聞かないので」
「いえ…お雪ちゃん、ありがと」
雪は短い手を精一杯沖田の首にまわしてぎゅっと抱きしめた。
秩はその様子に目を細めてもう一度お辞儀した。
「お勤めご苦労様でした」
原田左之助と藤堂平助は、シラケた顔でその横を通り過ぎて門をくぐった。
「ちぇ~っ、つまんね!」
「オレたちも頑張ったのに」
祐が小走りに二人の前へ回り込んで声をかける。
「二人とも、お疲れさんでした!」
「お、おう…」
原田と藤堂は少し驚いた顔で応えた。
祐はそのまま玄関に駆け込み、奥に声をかけた。
「谷局長―っ!旦那は――ん!皆さん帰ってきはったで!」
「え?谷局長?」
沖田は聞き覚えのない名前に面食らった顔をして、問いかけるように秩の顔を見たが、秩も戸惑った顔で首を横に振るばかりだった。
その頃には主人の八木源之丞と妻の雅も玄関まで出て隊士たちを迎えていた。
二人が芹沢鴨と談笑しているのを見つけた沖田が近づいていくと、源之丞が畏まって頭を下げる。
「沖田はんもお帰りやす」
「あ、ああ、どうも、ただいま帰りました。ところで谷局長って誰です?」
そのとき。
原田左之助が屋敷の奥から足をもつれさせて駆け戻ってきた。
「い、い、いいか?総司。落ちちゅいて聞いてくれ」
「まず、あんたが落ち着いたらどうです」
話の腰を折られた沖田が渋い顔で答えた。
「た、た、た大変なんだ!!部屋に行ったらデッカイ福禄寿の置物があってよ、邪魔なんで、ど、退かせようとしたら…い、い、生きてる!!」
「それ、福禄寿じゃなくて、ただのお爺さんでしょ」
「ナ、ナニ言ってんだ!じゃあ見たこともない爺さんが俺たちの部屋にいて、し、しかも、その爺さんが、い、生きてるってことになるんだぞ!」
「…死んでたら、大ごとでしょ」
「そ、そうか。それもそうだな」
原田は状況を整理しようと、神妙な顔で胸を押さえ息を整えた。
「じゃあ、ダレあれ!」
冒頭に触れたゲティスバーグの戦いですが、この決戦から四か月あまり後に、同じ場所でリンカーン大統領が戦没者に捧げた演説が、有名なゲティスバーグ演説、「人民の、人民による、人民のための政治~」というアレです。
ということは、アメリカは日本と通商交渉を続ける一方で、本土では南(アメリカ連合国)と北(アメリカ合衆国)に分かれて戦争をしていたわけでなんですね。
当時の駐日米国公使ロバート・H・プリュインはアメリカ合衆国(北軍)の人ですから、もしアメリカ連合国(南軍)が勝ってたらどうなっちゃってたんでしょう?




